10年ぶりのHCR~まさかのDNS?~

今からちょうど10年前。
ロードに乗り始めてすぐに参加したことのある
ホノルルセンチュリーライド(HCR)。

今のような、練習と言えるものは全くしていなかったし、
週末の天気のいい日に、気が向いたら走る程度で、
やっと4,50km乗れるようになった頃だった。

それでいきなり100マイル(160km)は無謀なので、
ハーフセンチュリー(約80km)を走ったのだが、
その頃の私にとって激坂のハートブレイクヒルは、
歩く速度でよろよろと上がり、
復路のマカプー岬への上りでは、ついに脚を付いてしまった。
最後のエイドステーションを出て、
残り20kmからの記憶はほとんどない。
とにかくそれくらい辛かった。




【10年前 初のHCR 25マイル折り返しのエイドステーションにて】 


次に行く時は、必ず100マイル。
そう思って少しずつ練習をするようになり、
ヒルクライムのレースに参加するようにもなったけれど、
ダー様の仕事の関係もあって、
HCRに参加する機会はなかなか巡ってこなかった。

今年は休みがなんとか取れそうだと分かったのは、
去年の年末。
エントリーの日が待ち遠しかった。

年明けから仕事の休みを入れ、申し込んだのは4月。

あの、苦しかったハートブレイクヒルを、
今はどんな風に上がれるだろう?

10年前に行けなかった、
50マイルの折り返し地点から先の景色はどうだろう?

ワクワクしながら、大会のエントリー、
自転車運搬サービスの申し込み、ESTAの申請。
少しずつ準備を進めていた矢先に、
富士ヒルでの大怪我。

よりによって、一番治りの悪い、厄介な場所を骨折してしまった。
一般的に、3~4カ月の治療期間が必要。

まずい・・・
4カ月かかってしまっては、HCRまでに間に合わない。

なぜかは自分でもわからないが、
その時は、行けない、とは全く思わなかった。

どうすれば間に合うか。何をすれば走れるようになるのか。

身近に?いいお手本がいた。
1年前、同じく大腿骨を骨折し、 その後3ヶ月で完治し、
骨折から113日目のTOJの伊豆ステージで、
見事に優勝を遂げた新城幸也選手。

もちろん、プロロードレーサーと比較するなんて、
ばかげているかもしれない。
性別も、年齢だってずいぶん違う。

でも、私はレースで優勝したいわけじゃない。
ホノルルを楽しく100マイル、走って来れればいいだけだ。

入院初日、次々と顔を見に来る医師たちに、
3ヶ月後に100km走れるようになりたいんですけど、
と訴える。

どの医師も首を縦には振らない。
160kmと言いたいところを、
100kmと控え目に伝えているつもりだったのに。

まあいい。
106日後に走れるようにするのは私自身なんだから・・・

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