止められない魂の叫び

シングルマザーの彼女は三歳か四歳の時の出来事を思い出した。公園の周りは暗くなってきた。それでも自転車を一所懸命に動かしていた。

今日中に乗れるようになりたい。

薄暗くなった公園で怖さよりも、

「今日マスターするのだ。」

という思いが湧き上がっていた。

人は幼い頃に何かを「成し遂げたい」という衝動に駆られる事がある。その記憶を彼女は今、思い返している。

私は中学生の頃に「一人で居る場所」を探していたような気がする。その場所を求めて、学校が終わると家から自転車に乗り郊外の山裾に行った。そして気に入った大きな岩の上に座ったり、仰向けに寝て、太陽の陽射しを浴びていた。

今、私の前で三歳、四歳の幼い子が夢中になっていることの意味を探ろうとしている。

私は彼女に「自転車に乗れる」と何が得られるのかな、と尋ねた。
女の子は即座に、
「お兄ちゃんと遊べる」、
「遠くまで行ける」、
「自転車を買ってもらえるかも知れない」
と応えた。

だから暗くなっても「今日中に乗らなきゃ」と頑張っている。

幼い頃の行動は、しばしばその人の人生を象徴するようなものとして出記憶に残っているものだ。
 
交流分析では「人生脚本」と呼ぶだろうし、再決断療法なら「幼児決断」と言うかもしれない。

ゲシュタルト療法はどうだろうか。ゲシュタルトは「過去に原因がある」ととらえない。大人の「いまの生きかた」が彼女自身にとって、どのような意味を持つのかにフォーカスすることになる。私はその意味に気づくのを待つことになる。

あなたにとって、
「遠くに行きたい」
という魂の叫びは、何を意味したのですか?

彼女は大人になるとデザイナーになった。そして、独立すると同時にニューヨークまで行った。

「会いたいデザイナーに、私のデザインを観てもらいました。」

それがあの時のエネルギーの源流だったかもしれない。

人は幼い頃から、突き動かされるような衝動に駆られものである。それを育てるのは自分自身の感覚である。その感覚を信じる何かである。

私も20代の後半にニューメキシコの砂漠の中に佇んだ時に、「俺を突き動かしていた衝動」は、ここに来るための魂の叫びだったのかと思った。

私はゲシュタルトのSessionの中で、遠い過去の出来事を思い出しながらいる。

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