失われていくID

アイデンティティとは

アイデンティティ(ID)は獲得していくIDと失われていくIDがある。

私は中国地方のバスの中にいた。空港から街に向かうためだ。あたりは暗くなってきて外の景色が見えない。

やることがなく、ぼんやりしていると指先が痛くなっていることに気づいた。この半年くらい時たま人差し指と中指に鈍痛が走ることがあった。

そこで指先に意識を向けると、ツーンと痛みが出る時に、僅かであるが指先が動く。その動きは、軽い鈍痛のたびにピクリと曲がる感じである。

その指先の小さな動きは何を言おうとしているのか。その動きを少し意図的にしてみた。二つの指先を小さく微細に曲げてみた。

むっ、何か、感じるぞ。

あっ、その動きに合わせて背中が丸くなってくる。ますます興味が湧いてきた。バスの中は暗いし客は私一人だ。
背中の微細な動き、丸くなる背中に気を取られていたが、それが二分なのか、三分なのか、五分なのか、あるいは十分も経過したのかわからない。

えッ、俺は年取ってきた?

と思わず呟いた。背中をさらに丸めてみると年寄りのような姿勢になったからだ。

前屈みになり、さらに顎を出すと、気持ちも身体もヨボヨボの爺さんだ。気分は70代。さらに80代と進む。

そのまま何歳まで行くのか。幾つになったら死を迎えるのか楽しみな感じでもある。90歳を越えると、そろそろか、という気持ちが出てきた…。

いっそなら臨終までを体験したい。
更に進むと棺桶の中に入っている感じたが、心は穏やかだ。結構落ち着いている。

何人かが周りにいる。
悪くない人生だった。

頬に涙が伝わってくる。

 暗いバスの中で良かったと思う。更に先に行こう。
私の体は焼かれてしまい、形がないのに、私が居る。

「まだ若いぞ」という自分のIDは、「年老いてきた」という新しいIDを受け入れることなのだが、それに抵抗しているだけなのか。
それでも身体は現実を受けいれていて、おいおい、お前の若さは失われているぞ、と主張し始めた。

私はくらいバスの中で、ふと現実に戻った。不思議なことに指先に痛みがなくっていた。

子供は野球選手になる。アイドルになる。昆虫学者になる。と自分たちの好きな延長線の上にIDを獲得していく。そして、少し大人になると現実に合ったIDを書き直していく。
今風に言えばIDをアップデートしていくわけた。

もう一つのIDはあまり意識されないレベルで構築される。例えば、私は新潟の田舎で生まれたが、親が直ぐに東京に住んだ。
しかし、50年前の武蔵小杉は原っぱであった。
小学生時代は「緑の原っぱ」が私の原風景であり、、土の香り、草の匂いが原点である。広い草地の上で遊んでいる「ワタシ」というIDは意識されないままに成長した。

晩年になってそれが私の人生の大切なものであることに気がついた。東京なんぞに住みたくないと思ったのだ。

私の場所は広さと緑の中にある。

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