【ドラマ感想】悲劇の裏主人公ベガス様に萌え死ぬタイBLドラマ『KinnPorsche the series 』【ネタバレ】
今回はタイのBLドラマ『KinnPorsche The Series』をご紹介。今回は全体レビューというより個人的に刺さったキャラクターを中心にレビューしていく感じ、かつただただ感動と萌えを書き綴った感想を大いに含む上、腐向け注意です。ご了承の上見て頂けたらと思います〜。
トップ画像: FOG.様
あらすじ
主人公ポルシェは叔父と弟を養う人気バーテンダー。ある日、マフィアのキンを助けたことから運命は急転する。金のため、渋々嫌っているマフィアのボディガードになるが、そこは陰謀渦巻く血なまぐさい世界。一般人だったポルシェには想像もつかないような暴力の世界だった。弟の学費のため、それでもそこで踏ん張るポルシェはある時キンと一線を超えてしまい……。
登場人物
ポルシェ(Apo):主人公。家族を養う元バーテンダーでキンのボディガード。負けん気が強い。
キン(Mile):マフィアの本家の次男で実質的後継者。のちポルシェの恋人。
ベガス(Bible):分家の長男でキンにライバル心を燃やす。ヤンデレサディスト。ピートを気に入る。
ピート(Build):本家のボディガード筆頭。キンに忠誠を誓っている。のちベガスの恋人。
ほか
BL作品とは思えない骨太ドラマ
国内BL作品をほぼ見尽くし、今更という感じでタイBLドラマにトライしてみている今日この頃。なんとな〜く観たKinnPorscheが大当たり。恐ろしいほど素晴らしい作品だったので記録しておきたいなと思いレビューを書きます。
KinnPorscheの何がいいか。それはまず、脚本が抜群にいい。
緻密な心理描写と共にマフィアの世界を描ききっており、がっつりBL要素がなくても作品として完成しています。
主人公ポルシェが放り込まれるのは、タイの伝統あるマフィアの世界。
そこは裏切り行為や暗殺が頻発する、本家と分家の内部抗争の世界であり、ドンの後継者筆頭であるキンが「誰も信じない」と言う通り、自分以外は誰も信じられない修羅の世界です。
その容赦のなさ、残酷さ、そしてその世界で生きる男達の孤独を丁寧に描き切っています。ゆえに、BL要素がなくても成立するBL作品となっています。
後半一気に魅力が増すベガスというキャラクター
序盤は目立たない悪役ポジなのに、中盤以降急に異彩を放ち始めるのが分家の長男、ベガス。
個人的にはこの作品においてもっとも輝いていた(そして萌えた) キャラクターでした。
ベガスは登場時顔色一つ変えずに拷問を行える冷酷無比なキャラクターでした。
過酷な訓練を受けたボディガードでさえ目を背けるような残虐な行為を平気でやります。
また、本家乗っ取りのために陰で糸を引いた人物であり、主人公ポルシェの恋人でドンの次男であるキンの命を狙ったり、組織の内部情報を別の組織に流したり、とにかく手段を選ばず本家を潰そうとするいわゆる悪役でした。
しかしながら、ベガスは単純な悪役ではなく、自身が悲惨な生い立ちであることが、徐々に明かされてゆきます。
分家の者として常に見下されてきたベガス。
父には何をしてもキンと比較され、お前は駄目だと罵られ、殴られながら育ってきました。
それでもベガスが父に反抗することはなかった。
傷つけられ、蔑ろにされてもひたすら従順に父の愛を求めて戦い続けました。
その必死さ、悲壮さがこの作品の中では頭抜けていました。
確かに悪党であることにはかわりない。しかし作品中最も不幸で悲惨なキャラクターの一人でした。
だからこそ惹きつけるものがあったのだと思います。
ベガスとピートが寺院で出会う意味:ベガスにとってピートは救いの象徴
誰にも愛されず、誰も愛さず孤独の中にいたベガスにただ一人愛をくれたのが、本家のボディガード筆頭・ピートです。彼はキンに忠誠を誓っていました。
しかしベガスと出会って心は揺らぎ始めます。
ベガスとピートが出会ったのはEP9。
キンにベガスの尾行を命じられたピートが寺に法話を聞きにきていたベガスとマカオに見つかり、一緒に法話を聞こうと誘われて応じます。
真剣に僧侶の法話を聞くベガスに興味を持ち始めたピートが「お好きなんですか?」と聞くと、「心が落ち着くから」と意外と信心深い一面を見せます。
ベガスの方でも明らかにピートを意識しており、最後に使う祝福の水が一つしかなかったためピートがもう一つ持ってきますか、と問うと、「一緒に徳を積み托鉢すれば来世で一緒になれる」という意味深な言葉を吐き、その背中をさりげなく触ります。
ピートの方も戸惑いつつも強く拒絶はしない。
そして儀式に使った水を捨てて戻ってくるとベガスは既に帰っており、駄目押しのように『来世で会えるようにまた一緒に徳を積もう』というメモだけが残されていました。
このときを境に二人は互いを意識し始めるようになります。
また、ここでの描かれ方からベガスが完全なる悪として描かれていないのは明白です。
寺院というのは苦しむ人を救済する場所。信仰は善人になりたいのになれない、出自のせいで悪事を重ねざるをえないベガスを断罪しません。
そうして最終的には救済します。
だから寺院で出会ったピートはベガスにとっての救いの象徴であり、のち実際に救われることとなるのです。
あまりにもディープすぎる絶望の監禁シーン
その後特に進展のなかった二人の関係が一気に進展するのは、計画が失敗し追われる身となったベガスがピートを連れて隠れ家へ行き監禁するシーン。
ベガスは自らの計画を暴いたピートを散々拷問したのち監禁し、更に暴行を加えます。
しかし行き過ぎた暴行でピートが死にかけると手当をし、薬を与える。
なぜ殺さないのか、という問いに、ベガスはすぐに死んだらつまらないから、と答え、それを期にピートは絆されてゆきます。
この辺りはほぼストックホルム症候群だと思うのですが、そののちピートはベガスが父親から虐待されていることを知り、何かを感じて自分もそうであったと告白します。
そして苦しむベガスに、「親父は俺たちが悪いから殴るんじゃない。自分自身が情けないから殴るんだ」とめちゃ深いことを言います。
核心をついたその言葉にベガスは救われたような顔をする。
その後もたびたびピートの言葉で救われ、暗闇の中で孤独に生きていたベガスは徐々に光の方へと進んでゆきます。
ベガスの本質は愛に飢えた孤独な子供
個人的な感情として私は作家にベガスを絶対に殺してほしくなかった。なぜかといえば、それではあまりにも救いがなさすぎるからです。
誰にも愛されず、誰も愛さず、孤独で、殴られ、罵られ、汚れ仕事を押し付けられて地の底を這うようにして生きてきたベガス。
おそらくキンもやったことがないようなエグい仕事をまだ若いうちからやらされてきて、もはや感覚が麻痺していたでしょう。
ベガスの父ガンは、ベガスを愛さなかった。それはベガスが愛した女の子供ではなかったから。
ガンは義妹でありポルシェの母でもあるナムプンだけを愛していた。だから他の女の息子であるベガスに愛情を注げなかった。
ガンはガンでナムプンを失うことにより精神的ショックを受けたり分家の劣等感に苦しんだりで大変ではあるのですが、子供がそれを知る由もない。
ベガスはただただ自分が無能だから父に愛されないのだと思い、認めてもらうためにキンを出し抜き戦功をあげる計画を立てます。
しかしすべてが裏目に出て父親から失望され、絶望します。
そのときに同じく虐待された経験を持つピートの一言一言がベガスを掬い上げ、暗い世界から明るい世界へ導いてゆきます。
ペットのハリネズミのメタファー:強そうに見えて内面は脆い
このように、ベガスは一見冷酷非情に見えて内面は非常に繊細な人物です。
つまりベガスが飼っていたハリネズミは彼のメタファーであり、ハリネズミが死んだときベガスの心も死にかけます。
しかしその瞬間に脱出に成功したピートは逃げずに寄り添い慰めた。
そして本部に出向いてけじめをつけろと説得にかかった。
この行動が奈落に落ちかけたベガスを救い、この世につなぎとめました。
このピートの行動が本心からか、ストックホルム症候群によるものかはわからない。
ストックホルム症候群は監禁され、虐待され続けた人間が加害者に好意を持つようになる現象のことです。
これは自然な現象であり、意外と多くの人に起こりえます。なぜならそれは生存戦略だからです。
逃げ場のない環境で危害を加えられそうな際に、加害者に好意的である方が被害が軽く済む可能性が高いから監禁された人間はこうなりがちです。実際に自分を監禁した犯人と結婚した被害者すら実在します。
だからピートがそういう状況であったことは十分に考えられます。
しかし、自由になってからもピートは本家の人間にベガスの居場所をバラさなかった。そして分家が本家に殴り込みをかけ、ベガスと撃ち合いになったときも殺さなかった。
そして父を殺されて後を追おうとするベガスに死ぬなと言い、こちらの世界に引き戻した。これも事実です。
どこまでが本心でどこからがストックホルム症候群か。それは視聴者の解釈に委ねられています。
私は、その割合はわからないが愛は確かにあった、と解釈しました。
鎖の象徴:本当に鎖で繋がれていたのはピートではなくベガス
濡れ場が多めなKinnPorsche。ちょっと濃ゆいなぁ〜と思いつつ観ていたのですが、ベガスピートのそれだけはとにかく美しかった。
鎖に繋がれた男を男が鞭打ち組み敷くというかなり異様な光景なのだが、魅せ方が上手いのか下品じゃなくとにかく美しい。
絶望の闇の中で必死にもがき、救いを求めるようにピートを抱くベガスの美しいまでの悲愴さ。
お耽美JUNE大好きな自分にはたまらない最高のシーンでした。
あのシーンで物理的に監禁されているのはピートでしたが、父親の価値観という檻に囚われているのは、鎖に繋がれているのはベガス自身だったと後で気づきました。
分家の部屋にあった手錠も、最初はそういう趣味なのかなー程度にしか思っていなかったのですが、あれは父親によりベガスにかけられた手錠だった。
鎖でつながれ、がんじがらめになって檻の中でもがいていたのはベガス自身だったのだ、とあの監禁シーンでの二人のやり取りでわかります。
血を吐くように「俺には何もない」「捨てないでくれ」と言いピートを求めるベガス。
あのシーンでピートを拘束した鎖は、父親という檻の中で絶望と孤独に蝕まれながらもがき続けるベガスの象徴だったのです。
だから本当に鎖で繋がれていたのは実はピートではなくベガスでした。
終わりに 安易に死ネタに走らなかった作者様に感謝
登場時から死亡フラグを立てまくっていた悪役ベガス。特に「来世で一緒になろう」のくだりでもう半分以上諦めていました。
ドラマを観ている間ずっと死なないでくれと祈りつつ、おそらく死ぬだろうと思っていた。
ドラマってそういうものだから。
悲劇的な死は作品を盛り上げ、一方で完結させます。
巷にはそういう作品が溢れているし、ましてやベガスは悪役。いずれは命を落とすだろうと覚悟していました。
だがそうはならなかった。私の中での第二のアッシュ(バナナフィッシュ) にはならなかったのです。
これには本当に救われました。エンドロールで視聴をやめなくてよかった。
やっぱりそうじゃんと泣きながら画面閉じなくてよかった、本当に。
ベガスは救われ、すべては報われました。これ以上のエピローグはない。
作者さんには本当に感謝したいです。
同時に本当に一人一人のキャラクターに愛情を持っているのだと思いました。
私自身趣味で創作をするので死ネタが便利なことは知っています。
死でもって話を盛り上げ、完結させるのは本当に簡単。
けれどもKinnPorscheの作家さんは死を使わなかった。
ベガスを愛し救済した。それが本当に素晴らしいことだと思います。
ベガスは父親とファミリーの分家の長男という鎖から解放されて自由になった。
そしてピートと弟と共に本当の人生のスタート地点に立った。
そのシーンで終幕となった瞬間、本当に本当に感動して涙が止まりませんでした。目玉溶けるくらい泣きました。
作品を通してシニカルな笑みしか浮かべなかったベガスが、本当に満ち足りた心からの笑顔でピートと弟を抱きしめて物語が終わる。こんな最高の終わり方があるだろうか。
本当に最高でした。ドラマ観てこんなに泣いたのは久しぶりです。
ありがとうKinnPorsche!
こちらで視聴できます→u-next
作品データ
制作 タイ・2022
監督 ゴーンキアット・コームシリ、クリッサダー・ウィタヤーカチョーンデート、バンチョーン・ウォラセートアーリー
ジャンル アクション―ロマンスBL
原作 Daemi
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