見出し画像

最近の気づき。

真実とは、「嘘偽りがないこと。」を意味するが
事実と異なっている点としては、真実は人の解釈によってことなる。 

人によって、感じ方、考え方は異なる。
悪意がなくても誰かを傷つけていたり、不快にさせていたり。
些細な言動が、誰かを幸せにしていることもある。

そう考えると、
自分の行動に対して
相手がどう感じるかはコントロールできない。
と言うことは、
もう他人の視線を気にする必要なんてない。
周りの評価を気にする必要もない。
悩んだり、悲しくなっている時間が勿体無いと考えて、自分が振る舞いたいように振る舞うのが自然な生き方なんじゃないかって、思う。

「嘘偽りのないこと」である真実でさえ、
人の解釈によって異なると言うのなら
言動ひとつひとつを気にして疲れるくらいなら
自分のことを信じて、自分にだけ正しく入れれば充分じゃん。

ある本の著者は、
現実の世界は「公正さ」を欠くどころか、かなり「不公平」だ。
世界の「不公正」さは、現実としてそのまま受け入れて、冷静に耐えたほうがいい。そうすれば、人生を歩むうえで、何度も失望せずにすむから。
と、綴る。

辛い事、嫌な事から逃げては行けないと思っていた。(もちろん、逃げてはいけない事があるのは事実だけど。)

責任感が強かったり、
正義感が強いって言われることが多いけど
一度も褒め言葉として受け取ったことはない。

そのせいで自分の首を絞めていることもわかっている。でも、ミスは許されなくて、全てに対して真っ向勝負しないと行けないと思ってた。

でも、世の中には
仕方がない事がたくさんある。
世の中が不公正なのも事実。
良い行いが全て報われるとも限らない世の中で、辛い思いをしながら、正でいようとする必要もないのではないか。(この文章を、自己憐憫だと思う人もいるだろうけど。)

嫌なら一旦隣に置いておいて、
後回しにしてもいいじゃないか。
少し手を抜いてもいいじゃん。
もう少しゆるく行ってもいいじゃん。

自分は報われないとか、何もできないとか、
自分のことを責めるエネルギーを
自分のことを褒めてあげるエネルギーに変えて。
自分のことを信じてあげるエネルギーに変えて。

言葉という道具で伝えられる事は
その人の本心なのか、それとも偽善なのか、
本当のことなんてわからないから
結局、味方は自分しかいないと思うから。

自分のことは自分で守らないと。
可愛がってあげないと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?