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蹴上インクライン(琵琶湖疎水)

5/17(金)京都大学のとある有名な方と「蹴上インクライン」に行ってきました。

「蹴上インクライン」と言っても関西方面の人でもない限り、なんぞやそれ?みたいな反応が予想されるので、少し丁寧に書いていこうと思います。

琵琶湖疎水や水路閣や南禅寺と聞くと、結構みんな歴史の教科書や京都観光の資料などで1度は見たことがあるのではないかと思います。

水路閣(南禅寺近く)

そこです!


「蹴上インクライン」は全長582mの傾斜鉄道跡で、高低差36mという急斜面で船を運航させちゃうために作られたものだったんです。(昭和23年に役割を終えており、現在は使われていませんが、地元の人からは桜の名所として親しまれているそうで、遠足などでも訪れるそうです。)およそ10~15分で舟を通航させるもので、画期的、建設当時は世界最長の施設のようです。今も記録自体は抜かれていない様子。
インクラインという英語はあるのですが、蹴上インクラインのインクラインは和製英語で、正確にはCanal Inclined Planeとなるようです。inclineだけだと傾斜という意味になり、planeを入れないと不正確なんですね。

1940年頃のインクラインの様子(wikiより転載)

インクラインと言うと最近の解体キングダム「世界遺産!? 巨大岩を解体せよ」でも登場し、少しだけ有名になりました。

北野牧 巨大岩掘削工事 インクラインの様子

今現在でインクラインを使う工事と言ったら、私の知っている限り、水力発電の水圧鉄管を運ぶ手段か、シールドのセグメントを運ぶ手段くらいで、土木経験者でも実際のものを見たことがある人は数少ないのではないでしょうか。

さて、話を戻しますと、
平安時代以降、武士に政権を握られ、衰退していった京都を大津と結ぶことで大きな希望の架け橋として、莫大な費用をかけて取り組んだ明治時代の大きな産物、それが「琵琶湖疎水」なのです。大きな事業というのは「技術」を生みます。水車動力や舟運、灌漑、防火、庭園用水など、多くの目的に利用されたことで、土木技術を発展させるとともに、後世の我々にとっても学ぶことが多い土木遺産なのです。

上流の方に船と台車が保存されていました


インクラインの歴史については以下にまとまっているのでご参考に。
BC600年からある技術とは驚きです。

サムネの素敵な絵はkei02さんに描いて頂いております。
kei02さん


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