見出し画像

婚活について語る

 フォロワーの方からのリクエストで婚活について語ってほしいというものがあった。今回は婚活についての考え方や具体的な指針について語ってみたいと思う。

 人生の三大岐路は進学・就職・結婚と言われる。こう考えると婚活は就活や受験と同じくらい重要なイベントと言える。しかし、婚活の場合の面白いところは、受験や就活のようなもっともらしいルールが存在しないことである。受験はセンター試験のようにかなりの程度パターン化されているし、就活の場合は年齢要件が厳しい。ヒエラルキー化も進んでいる。しかし、婚活の場合は自由度が高く、その分正解めいたものも見つけにくい。

 筆者は色々あってまだ結婚していないのだが、結婚を約束している女性がおり、お互い他の人間と結婚することは考えられないような状況であるため、婚活については一区切りがついていると言っても良いと思う。筆者はそこまで婚活についてエネルギーを割いた方ではないのだが、婚活に関する方針や戦略は色々考えてきたほうだし、婚活は浪人と同じでたくさん経験したからと言って優秀というわけではないので、筆者のような経験が少ない人間であっても語れることはあるのではないかと思う。

恋愛と結婚

 人間にとってのベーシックニーズは他の生物と同じく生殖である。「産めよ増やせよ地に満ちよ」である。しかし、そこまで至る心理的傾向には様々なバリエーションが存在する。大きく分けると「性欲」「恋愛」「家庭願望」に大別されるだろう。

 このうち、一番どうでもいいのは性欲だ。筆者は基本的に性欲を下らぬものと思っており、あまり人生において重きを置いていない。胸のでかい女性がエロいとして、生涯の伴侶を考えるうえでそこがいかなる重要性を持つだろうか?性欲を発散したいのであればAVを見るとか、風俗に行くとかした方が良い。そちらの方がノーリスクだし、安上がりである。折角知的生命体として生まれたのだから、ゴキブリも持っているような生殖本能に熱を挙げるよりも学術や社会貢献に興奮した方が高尚なのではないか?

 次に問題になるのは恋愛だ。筆者は甘酸っぱい恋愛とか青春と言ったものへのあこがれはかなり強かったのだが、実のところこうした青春には全く向いていなかった。センスの欠片もないといっても良い。筆者の恋愛論はツイッターの男女論や世界系アニメのような荒唐無稽なものが多く、どう考えても「モテ」とは程遠かった。どうにも筆者の思考回路や感性は恋愛めいたものからはズレているようなのである。筆者は好みの女性に熱を上げたこともあるのだが、ここにも書きたくないくらいの黒歴史だった。

 というわけで、筆者は最初から異性に対する興味は婚活がメインだった。重要なのは将来の伴侶として大丈夫かどうかだった。顔が美形とか、体系がエロいといった項目はどうでもよいことだ。それよりも家庭環境がしっかりしているとか、共通の話題が多いと言ったことの方が重要である。学生時代にこういったことを悟ったのは大きな収穫だったかもしれない。学生時代はまだ婚活よりも恋愛という色彩が濃い。イケメンでない人間にとっては辛い期間かもしれない。ただし、学生時代の良いところは恋愛に失敗しても特に問題が無いことと、出会いの機会が多いことにある。婚活を成功させるためにはなるべく学生時代に恋愛で失敗し、経験値を積んでおいた方が良い。

コミュニティ内の交際とコミュニティ外の交際

 さて、まだ学生時代の話が続くが、周囲の男女交際を見ていると、大きく分けてコミュニティ内とコミュニティ外の二通りに分かれることに気がついた。前者は主にサークルやクラスであり、後者はマッチングアプリや授業が一緒だった等の繋がりである。両者は結構性質が異なるように思えた。

 コミュニティ内の恋愛を成就させるために重要な条件はコミュニティの性質にもよるが、基本的に集団内の立ち位置が高いことが重要である。集団内で浮いていたり、控えめなポジションに甘んじていたりするとコミュニティ内恋愛は難しい。一方、リーダーになってブイブイ言わせていればコミュニティ内恋愛がやり放題かというと、そうでもない。むしろスーパー陽キャのようなタイプはコミュニティ外に相手がいることが多かった。コミュニティ内恋愛の良くない点は破局した場合にコミュニティが気まずくなることであり、慎重に行うべきである。

 コミュニティ外恋愛の場合は重要な条件はそこまで関わりが深くない人間にグイグイ行ける勇気と、話題をその場でひねり出す能力である。これは人によるが、有名大学に在籍していたり、社会的に受ける肩書を持っている場合はコミュニティ外恋愛においては有利である。筆者は集団行動が苦手である一方、学歴等においてはそこそこ映える立ち位置だったので、基本的にコミュニティ外恋愛の方が有利であると判断していた。

 コミュニティ外恋愛の良くない点は、相手がどこの馬の骨やら良くわからないことである。ただし、学生時代においてはこのデメリットはあまり問題にならない。大学生はそれなりに均質性が高い集団であるし、家庭環境等の推測もしやすいだろう。ちゃんとした出会いの機会が多いというのもある。アルバイトやら合コンやらの誘いも多かった。また、多くの人間がまだ「フリー」の状態であるため、母集団の質もそこそこ良い。

 恋愛とは言ったが、当時の筆者は恋に恋している状態であり、実際のところ実際の恋愛に関する感度は最悪であった。筆者はこの前も婚約者と「花束みたいな恋をした」を見たのだが、あまりの眠気に最後まで意識が持たなかった。「恋の三体問題」や「ブルドーザー理論」といった新理論を思いつくたびに同性の友人と賑やかしていた。言うまでもないが、こうした「理論」を合コンの場で話すのは避けるべきである。

婚活開始

 さて、ここからが具体的な婚活になる。筆者はもともと婚活には興味があったのだが、社会人になって間もなくその志向が強くなった。今まで結婚や家庭と言ったものの重要性を強く認識してはいなかったのだが、しだいにこうしたものはマストであると考えるようになった。

 筆者が結婚の重要性を強く意識したのは、職場という場所が今までの学校とはわけが違う事に気がついたからである。筆者はてっきり小学校から大学までの延長線上で会社があるものだと思い込んでいたが、実際はそれは間違いで、厳しい現実に直面せざるを得なかった。特に筆者にとってショックだったのは社会人になると友達のような存在は増えないということである。職場の人間は友達ではないし、かといって他に社会的なコミュニティが存在しているわけではないので、どうにも楽しい人間関係は薄くなっていしまうのだ。定年退職と同時に高校の同窓会を開くことが多くなるのも、社会に40年間所属していても友達と呼べる間柄の人間は増えないということが理由だと思う。交友関係という観点では40年間の会社生活よりもたった3年の高校時代の方が遥かに実りあるようだ。人生というものは結構早期にクライマックスが来るのかもしれない。

 となると、心の空白を埋めるために必要なのは伴侶に他ならない。当時はまだ学生時代のノリが続いていたが、筆者は楽観視は出来なかった。40代以上の男性を見ていると、本当に交友関係は狭そうだ。これが60代以上になると何日も日本語を話さない人が少なくないらしい。迫りくる孤独を回避するにはすぐにでも行動を起こす必要があった。

どこで探すか

 さて、婚活を開始する上でどこで相手を探すべきだろうか。筆者にとって幸運だったのは、この時点で筆者がまだ若く、取りうる選択肢が多かったことである。まだ同級生の多くは結婚しておらず、相手の候補はまだまだ沢山存在していた。婚活の場として考えられるフィールドはいくつか存在した。

①同期(総合職)

 最近は職場恋愛に関して否定的な風潮がメインだが、少なくともJTCに関してはこの傾向を過大視する必要は無いように思える。JTCの多くは企業文化の問題として社内恋愛には寛容である。特に若い年次の人間に関しては婚活候補という側面すらあるだろう。

 筆者が就職したのは世間的には一流企業とされている場所であり、均質性は大学時代よりもむしろ上がっていた。皆それなりにバランスが取れていて育ちの良さそうな人間が多かった。母集団の質としては最上であることは間違いない。

 また、JTCにおいて同期という存在はどこか学校の延長線上のような側面がある特別な存在である。これは研修の存在も大きいかもしれない。新人研修は会社にもよるかもしれないが、学校のような要素があり、親交を強めるにはもってこいである。

 ただし総合職女子の場合の問題はまさに学校の延長線上という点にあり、こうしたコミュニティ内の恋愛が苦手な筆者にとっては不利なフィールドであった。筆者は積極的に同期のイベントに参加するなどして親交を深めたのだが、どうにも婚活には繋げられそうになかった。(後のことになるが、筆者が密かに憧れていた人は陽キャと結婚してしまった。)

②同期(一般職)

 こちらも筆者にとっては有力な候補であった。他の職場は分からないが、筆者の観測範囲ではいわゆる一流企業の一般職はかなり厳選されており、それなりに人間の質は高い。先程の総合職と比べると1ランクほど学歴は下がるが、それでもMARCHや早慶の文学部等が多く、家庭環境等も問題が無さそうな人が多かった。インカレの出会い系サークルと比べると明らかに良かった。なんというか、JTCという環境はとにかく均質性が高いのだ。

 一般職の場合は総合職ほどコミュニティ内という感じがしないし、総合職というだけで優位に立てるため、こちらの方が勝算がありそうだとも考えていた。社内イベント等には一般職の女子もそこそこ来ていたし、筆者は仲の良い同期などを通して結構飲み会や旅行等を行っていたので、この線はかなり脈ありだったのではないかと思う。

 ただし、こうした社内恋愛の危険な点は破局した時に取り返しが付かないという点である。一度付き合ったら結婚するしか選択肢が無くなってしまうのだ。したがってくれぐれも慎重な行動が求められる。結局、筆者はこの方向には行かなかった。

③社内(同期以外)

 次に考えられる同期以外の社内である。こちらの方は同期に比べて近づく難易度が高い。所属部署の場合は基本的に日頃の仕事を通して仲良くなるというパターンだろう。いわゆる残業ラブもこの一環である。ただし、筆者は仕事ができない人間なので、所属部署を通した恋愛は基本的に不可能であると判断していた。筆者の個性や特質はどちらかというと、フリーダムな場でこそ生きるものだった。

 同期との交友関係を通して別の年次に婚活の場を広げることも可能だったかもしれない。ただし、注意が必要なのは同期と比べてハラスメントとして扱われるリスクが高いという点である。筆者の職場を見ても同期と比べて明らかに年次が異なる相手とのカップルは少なかった。同級生カップルが多いという点を考えると、良くも悪くも学校の延長線上と言えるかもしれない。

④マッチングアプリ

 おそらく現在最もホットな手段だと思われる。筆者の周囲を見てもマッチングアプリで婚活をしている人間は非常に多い。コミュニティ内恋愛がそこまで得意でないが、社会的に順風満帆の立場にいる男性にとって最も婚活し易い場だろう。

 マッチングアプリの良いところは社内に比べて遥かにリスクが少ないことである。合わなければ次の人間に行けば良いだけだ。ただし、母集団の質という点では会社に比べて遥かに劣ってしまう。サイトにもよるが、詐称も多いらしい。

 ただし、筆者の周囲を見ていると、うまく言っている人間はかなり多いようだ。一つはマッチングアプリであっても結局似たような人間とマッチする可能性が高いという要因が絡んでいる。更に言うと、マッチングアプリの方が明確に優れている点が一個ある。それは年下と出会いやすいことだ。女性の方が早いからか、基本的に精神年齢は2歳ほど差があると言われている。こうした間合いはマッチングアプリが最も狙いやすいと思う。

 筆者や周囲の経験から考えると、最も安定性が高いのは女性の方が年齢が2〜3歳ほど下で、家庭環境等が似ており、相対的な学歴が同程度(男性の方が0.5〜1ランクほど高い)であり、似たような業界にいるというパターンである。地方出身の人間は地方出身の人間と付き合うケースが多く、都会出身の人間は都会出身の人間と付き合うケースが多い気もする。

⑤学生時代の交友関係

 筆者にとっては頼みの綱である。学生時代の交友関係はあまり女性に縁がなかったのだが、それでも手に入る情報の広さや出会える人間の幅という点で非常に有用だった。母集団の質に関しては会社には劣るのだが、それでも職場の面倒な関係が無いという点はメリットだった。

 先ほども述べたとおりだが、学生時代の交友関係は替えが効かない存在であり、なるべく維持しておいた方が良い。筆者の周囲を見てもアラフォーになってから学生時代の同窓会で知り合った相手と結婚した人がいる。

 学生時代の交友関係の注意すべき点は時間の経過とともに有効性が薄れていくことである。ただし、筆者が動いたのは早期であったため、同級生の中には大学院で学生を続けていた人間が多かったし、後輩などはまだ就職していなかった。というわけで、筆者は学生時代の交友関係が生きている間に最後の一押しで更に交友関係を広げていくことができた。

⑥サード・プレイス

 社会人の交友関係は職場外の趣味の集まりなどで知り合った人間のことを指すことが多い。これは学生時代とは異なるものである。学生時代の交友関係は基本的に同じ学校で関わりが深い人間がほとんどだったはずだ。別の小学校に友達がいた人間は稀だろう。学生時代の交友関係は学校という公的空間に関わるものがほとんどなのに対し、社会人の交友関係は公的空間から切り離されたものを指すのが普通であり、全く交友関係の性質が異なるのだ。世間はこの点をもっと強調すべきだと思うのだが、なぜか認識は低いままである。

 サードプレイスは婚活の場所としてはかなり有効だろう。ただし、筆者の周囲を見ている限りはどちらかと言うと30代以降が多いような気がする。これはサードプレイスの重要性が年齢が行くにつれて増すからだろう。20代の場合はまだまだ学生時代の交友関係が生きていることが多いし、会社に関しても同期の間では学生時代のノリの延長があったりもするからだ。30代以降になるとなかなか友達のような間柄は作れなくなるし、話し相手にも事欠くようになる。中高年あたりから見知らぬ人に話しかける人が多いのはそのためかもしれない。なお、母集団の質はかなり雑多である。

 筆者はサードプレイスを通した婚活はしなかった。というのも、筆者が出て行けるようなサードプレイスがあまり思いつかなかったからだ。社会的な裏付けのないコミュニティに入っていった経験が無く、尻込みしてしまったというのもある。

結果

 筆者はこのように様々な方面でアンテナを張って婚活を行っていた。物色と言えば聞こえが悪いが、常に結婚相手の候補はいないかと考えるクセを付けていたのだ。そのおかげか、筆者は早期に現在の婚約者と知り合い、現在に至る。

 筆者が婚約者と知り合ったのは⑤の学生時代の交友関係を通してである。筆者は社会人になってからの交友関係が広がらないことを早期に悟り、駆け込みでネットワークを広げていたのが良かった。出会いというのは本当にどこにあるのか分からない。

 筆者は以前占いに行った時に「あなたと結婚する相手はあなたよりも更に変わった人です」と言われたことがある。今から思い返すと占いは当たるものだなと思う。類は友を呼ぶというか、変なやつには結局似たような変なやつが集まってくるのである。婚約者は良い点でも悪い点でも筆者に似たところがある。雰囲気もなんだか似ているらしい。大谷翔平が結婚した時、あまりにも相手が大谷に顔が似ているので驚いたが、そこまで珍しい現象では無いのかもしれない。

 なお、婚活を通して思ったのだが、結婚と恋愛は全く別の原理で動いている気がする。恋愛結婚というのはむしろ特殊なケースなのではないか。筆者の友人の中には人生で一度も恋愛すること無く結婚した者がいるが、新婚生活への満足度は極めて高そうである。むしろいつまでも恋愛体質の方が婚期が遅れたり不倫に走ったりしてリスクが大きいかもしれない。

 婚約者曰く、筆者がのめり込んでしまうタイプの女性は皆同じ顔をしているらしい。全員「デスノートのミサミサ似」だそうだ。ただ、筆者はこの系統と関わって良い方向に転んだことがないので、脳内から消去している。

 ちなみに婚約者が好みのタイプは揃いも揃って浮世離れした知識人のような人間ばかりである。曰く、歴代総理で一番カッコいいのは鳩山由紀夫で、その次が近衛文麿らしい。筆者もこのあたりの人種と同じに見られているのだろう。確かに仕事ができないのも納得である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?