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<MBTI>NeとNiの違いを考察する

 心理機能の中で特に直感的に理解が難しいのはNiだと思う。世間一般の人間から見ても、16タイプに興味を持っている人間から見ても、Niという性質は難しい。これが原因で、NJ型の人間の振る舞いには統一的な説明がしにくい。SJ型であれば一言で「真面目」「保守的」「権威主義的」という説明を言い切れてしまうのだが、NJ型は柔軟なような、頑ななような、名状しがたい人物だ。今回はNiとNeの違いを考える上で両者の性質について考えてみたい。

N型というミステリアスな人々

 N型の人間は不思議極まりない。私のようなN型の人間からみてもN型は謎が多いし、S型の人間から見れば尚更だろう。実のところ、S型の人間がN型を理解するのは極めて難しいと思う。逆のほうが遥かに容易だ。16タイプにN型の人間がハマりやすいのも、1つはこうした構造的な要因があるのだろう。

 N型とは何か、という点には様々な説明が加えられている。しかし、根本的な原理まで突き詰めたものは少ない。なんとなく不思議とか、なんとなく型破り、という段階で終わっていることが多いだろう。

 N型とS型の違いの根本を突き詰めるとすれば、それは「具体と抽象」といったことになると思う。N型は何もかもを抽象的に捉えるクセがあり、それが認知に大きな影響をもたらしているのだ。 

Neは樹木

Neを画像的にイメージすると、樹木のような構造になる。

 一般的に言われる連想ゲーム的なN型の特徴は、主にNeによってもたらされる。Neは見るもの全てが想像の種であり、どんどん広がっていく傾向がある。NP型はNeを通して世界を見ていることが多い。

 S型は目の前に見えているものを自明のものとして捉え、それ以上詮索することはない。ところが、Neは目の前のものを抽象化して捉えるので、必ずしも目の前の物を認知しているとは限らない。「眼の前のりんご」といった1つの物体から、「ウィリアムテルってあったなあ」とか、「りんごの花って白いんだっけなあ」などと、色々想像が飛んでいく。これがNeである。

 Neの思考は例えるならば樹木に近い。1つのものごとから別のアイデアが浮かび、そこからまた次のアイデアが浮かび、とツリー状に広がっていくのである。Neのブレインストーミングは凄まじい分量に上るだろう。 

Niは建築物

Niを画像的にイメージすると、建築物のような構造になる。

 Niは一見してわかりにくい。MBTIに関する議論でNiの説明の歯切れが悪いのは、Niが外部から捉えにくいからだ。Niはたしかにアイデアという要素は持つものの、Neのような無節操なものではなく、遥かに体系的なものだ。明確な設計図が存在し、はみ出た部分が許されない建築物に近い。しばしばINTJが建築家と評されるのもNiの特徴が原因だ。

 Niは人間が内部に積み上げた無数の思想の束というのが適切だ。Neが発想だとすれば、Niは信念に近い。Neが自由奔放なのに対し、Niは遥かに硬直的で、しばしば強力な権威主義的態度を取る。Niにとって人生とはレールそのものであり、自分の乗っているレールを明確に認識し、そのことを肯定している。レールから逸脱したがるNeとも、慣習になんとなく従っているSiとも異質である。

NeとNiの違い〜数学で例えると〜

 数学はNTの好む分野の1つだ。といっても一部には過ぎないが、それでも数学という学問がNTの性質が極めて強いことは間違いない。

 数学好きの人間はINTPとINTJが多い。しかし、面白いことに、両者の数学に対する愛情にはいささかの違いが見られるようだ。ここに注目するとNeとNiの違いが明らかになる。

 Neにとって、数学はアイデアをひねり回すのことが面白さだ。例えば、色々な公式や原理を別のものに応用して、新たな証明が可能になったりする。一見数式の問題のように思えた問題が、実は図形的に証明すると遥かに簡単だったりする。例えば、全ての数学を学んだ人間にとって共通の感動はオイラーの公式だろう。これは、一見無関係に見えた三角関数と指数関数が実は同根であり、eとπが実は自然界の根底を司る神秘の数であることが示されている。そして、この公式を元に複素関数論という新たな数学の地平が開いていった。複素関数論が展開すると、何も関係無さそうな代数学の基本定理(n次方程式はn個の解を持つ)が簡単に証明されることが判明する。こうした新たな「発見」や「発展」こそがNeから捉えた数学の醍醐味だ。

筆者に数学の面白さを教えてくれたバーゼル問題。
平方数の逆和を無限に足すとπが出てくる衝撃は大きい。

 一方、Niで考える人間は数学の異なるところに惹かれているようだ。数学とは水も漏らさぬ完璧な論理体系であり、大変美しいものだ。完璧な正方形は現実には存在しないが、数学の世界には存在する。こうした無矛盾性や完成度がNiにとっては魅力となる。Niが強い人物は定義や証明の厳密さにうるさいし、それらを徹底的に詰める事によってより数学の体系が完璧に近づくと考えている。高校数学で流していた細部の証明を詰めているイプシロンデルタ論法や微積分学の基本定理は、Niにとって非常に満足の行く議論なのだと思う。筆者は「大体一緒なんだから良いじゃん」と思ってしまうのだが、こうした態度はNiから見ると大変不誠実だ。土台が曲がった樹木がどんどん枝を伸ばしていくのに対し、土台が曲がった建築物は確実に建設中止になるのと同じである。

独立当初のブラジルの国旗。
なんとも言えないキモさがあり、速攻で廃止された。
Niから見ると、厳密性に欠く議論はこんな感じに見えると思われる。

 なお、筆者は法学部の出身なのだが、Neが強い人間で法学が好きという人間をあまり見たことがなかった。数学は少なくとも大学教養辺りまではNeでも十分楽しめるのだが、法学はNeの立場から見るとかなりつまらないもののようだ。法学も数学と同じでNiの好む複雑精緻な論理体系という特徴を持っているが、法学の論理から新たな事実が見つかったり、アイデアが広がるということはないので、Neには退屈極まりないものとなるのかもしれない。因みに数学者のワイエルシュトラスは法学部に進学したが、法学に興味が持てず、数学ばかりやっていたので卒業できなかったらしい。

NeとNiの違い〜権威への反抗編〜

 一般に16タイプに関する説明ではS型が権威に従順で、N型が権威に反抗的と言われる。ただし、Neから来る反権威とNiから来る反権威は別物であり、両者はお互いのことが理解できそうで理解できないと思う。

 Neの場合は見るもの全てからアイデアが湧き上がるので、物事の可能性を重んじるという傾向が強い。人類が空に行けるならきっと宇宙にも行けるだろうと思うし、未解明の謎があったら、その真理が気になって仕方がないと思う。Neの反権威は自分の思いつきや行動を抑制されたくないという欲求が根本にあり、非常にアナキスト的だ。

 一方、Niは自分の中に積み上げられた信念の束のようなものだ。従って、その価値体系に反することを押し付けられると、激しく反発する。ただし、Niは価値体系に従う限りにおいては非常に忠実なので、時に反権威だったり、特に強烈な権威主義者だったり、二面性を見せる。例えるならば、自身を含むあらゆる秩序に縛られたくないNeと、自分の価値体系を貫き通したいNiの違いである。Neが「アイデア」だとすると、Niは「イデオロギー」に近い。前者は発散が本質にあるのに対し、後者は収束が本質に存在する。

 NeとNiの反抗の違いを学校で例えて見よう。N型の人物は学校に反抗的なことが多い。特に学校のレベルが低く、統制度が高いほど彼らの反感は増していく。例えばとある自称進学校が理不尽なスパルタ教育を行っているとしよう。Niは学校の押し付けが自分の信念に反すると考える。自称進学校の教育カリキュラムよりも鉄緑会の方が効率的に偏差値を伸ばせると判断すれば、彼らは容赦なく学校を軽蔑し、鉄緑会の宿題を授業中にやり始めるだろう。Neの場合は管理されることそれ自体が嫌いだ。従って、自称進学校にも反対するが、鉄緑会にも良い思いはしないだろう。和田秀樹氏は鉄緑会の創設に関わっているにも関わらず、鉄緑会に批判的だ。「昔の生徒は自分なりに勉強法を工夫して理三に受かっていったが、今は鉄緑会がメソッドを完成させてしまい、単なるガリ勉集団になって面白くない」とのことだ。この批判が合理的とは言えないが、Neが抱えるモヤモヤとした反感を良く表していると思う。

NeとNiの違い〜革命家編〜

 世界の歴史では多くの革命が発生した。ここにも実はNeとNiの違いが隠れている。実際に歴史上の人物がこうした性格をしていたかは証明できないが、ある種の例え話として考えてほしい。

 ロシア革命の直後にレーニンは死亡し、後継者はトロツキーとスターリンに絞られた。トロツキーは内戦で赤軍を率いて三面六臂の大活躍をし、ソ連建国の最大の英雄となった。この間、スターリンは地味な役回りに留まった。しかし、勝ったのはスターリンだった。

 トロツキーはNeで革命を捉えていた。レーニンの予言どおりにロシア国家をひっくり返そうとし、本当にひっくり返せてしまった。夢物語だと思ったアイデアが実現し、地下活動家だった自分たちはなんと国家指導部に成り上がってしまった。なんと夢のある話だろうか。トロツキーはこの夢を更に拡大させようとした。ロシア国家を転覆できたのだから、次はドイツやポーランドも転覆できるだろう。世界征服もその先に見えてくる。こうした具合でどんどん構想が膨らんでいき、世界革命論に繋がった。

 スターリンはNiを通して革命を捉えていたため、遥かに慎重だった。彼も熱心な共産主義者であることは間違いないが、共産党組織の生き残りを重視していた点でトロツキーとは違っていた。彼の目標はレーニンの予言どおりに共産党組織を存続させて最終目標の共産主義国家を完成させることだ。トロツキーの冒険主義は共産党国家を危険に晒す無謀な行為だ。レーニンの予言に従っていればいつかソ連は西側を圧倒するのだから、まずは党の仕事に専念すべきだと考えた。マルクス・レーニン主義のイデオロギーに対する確信がスターリンの統治体制を作っていた。要するに、スターリンは自分の信じたマルクスとレーニンの設計図に忠実だったのである。

 Neの思考回路は革命には向いているのだが、革命が成就した後の国家作りには向いていない。西郷隆盛は明治維新最大の功労者にも関わらず、意見対立で排除され、自害の道を辿った。坂本龍馬も生きていれば同じ運命を辿っただろう。大隈重信は命を落とすことはなかったが、在野の方が遥かにいい仕事をした。遥かに問題になるのは権力者の座に留まった場合だ。ヒトラーはまさにトロツキーのような世界革命を実行しようとし、第二次世界大戦を引き起こした。毛沢東は国家が成立すると面白くなくなってしまい、今度は自分の作った党と国家を文化大革命で破壊しようとした。こうした不安定性がNeの根本的な弱点だ。

Niにとっての知識

 研究者や高度専門職に就いているINTJの人物を観察していると、1つの特徴が見えてくる。それは専門分野を代表とする一流の専門家の言っていることを熱心に信奉する一方で、在野のコメンテーターやタレント知識人のような人間を嫌悪していることだ。Niの場合は考えを自分の価値体系の一部として固定化するので、間違っていたり、曖昧なものは困るのだ。学術的なエビデンスもなく、思いつきのアイデアを語る知識人はNiにとってはノイズにしかならない。Niが強い人物は「2050年の日本はこうなる!」とか「ブルシットジョブは廃止してしまえ!」といった意見にほとんど興味を示さない。Niと相性が良いのは査読済みの論文とか、大学教授の書いた専門書などである。

 INTJの嫌いそうな知識人はひろゆき・森永卓郎・佐藤優・落合陽一・成田悠輔などだ。意図してのことだろうが、林修と山口真由はINTJに叩かれそうなポイントを絶妙に回避していて面白い。私には筋違いにも思えるのだが、池上彰のようなマスコミ出身の人物も叩かれることが多い。というか、Niユーザーはマスコミに違和感を感じがちだと思う。マスコミは本質的にNeが強い世界だからだ。

 MBTIの話もINTJにとっては腹立たしいことが多いと思われる。学術的に何の根拠もないし、信頼に足らないように感じてしまう。早い話が悪質なニセ科学に見える。仮にMBTIを受け入れたとしても、今度は何でもかんでも人間をMBTIで判断する狂信者のようになってしまうだろう。しばしばMBTIの界隈にはINTJを名乗る人物が散見されるが、かなりの割合でINTPのミスタイプが紛れ込んでいると思う。NiとMBTIの相性は非常に悪い。こういう者は話半分で聞いておくべきなのだが、話半分というのはNiが不可能な間合いだ。完全に信頼できるか、インチキとして棄却されるかの二択にして欲しいだろう。私がINTJに対してMBTIの話をしたところ、返ってきたのは「マルクス主義と並ぶ、頭のいい人のための血液型性格診断」という反応だった。まあ、言いたいことは分かる。

 INFJは物事へのアプローチが異なるので、INTJほど批判的ではない。ただし、Niで考えている場合は強い興味を示さないと思う。MBTIの界隈にINFJの人間は多く見かけるが、Neを使って考えているか、ミスタイプなのだろうと思う。

NeとNiの人生観

 NeとNiの人生観は正反対だ。しばしば「レールの上の人生」という言葉を聞く。この概念をSiやSeが思いつくことはない。少なくとも、自分の人生をレールに例えることはないだろう。

 Neにとって「レールの上の人生」は厭わしいものだ。自分の人生が外部によって勝手に決められ、身動きできないように思えるからだ。例えそのレールが大変実りあるものであっても、Neにとってはストレスとなる。Neの最も大事にする「無数に枝分かれして広がっていく樹木的イメージ」に沿わないからだ。

 ところがNiにとって「レールの上の人生」はそこまで不快ではない。むしろレールの上の人生を積極的に作り出すことが多い。何かしらの信念にしたがって、自分の道を貫き通すというのはNiにとって望むところだ。Niにとっては例えそのレールが辛く苦しいものであっても、レールを貫き通すということに価値を置く。ビル建設は細部に変更を加えることはあっても、途中でビルが枝分かれしたり、斜めの方向に向かうことはないだろう。Niの人生観は一貫性を重んじている。最後まで信念を貫き通すNiユーザーの生き様が見えてくる。

まとめ 

 長々と書いてしまったが、要するにNeはアイデアを発散させる機能で、Niは自分の中に世界観の芯を作り出す機能だ。P型は前者で物事を考えることが多く、J型は後者で物事を考えることが多い。Neは「アイデア」「思いつき」「連想」「発想」「ブレインストーミング」「ロマン」といった概念と関係が近い。Niは「イデオロギー」「信念」「ポリシー」「人生計画」「教義」「公理体系」といった概念と相性が良い。

 Niという存在は中々理解しにくいし、表に出てくることも稀だ。特に職場のような間合いではほぼ感知することができないだろう。特にINFJの場合はほとんど自己開示しないので、どのような価値体系になっているか、うかがい知ることは困難だ。Niに関する言及が少ないのはこうした理由に依るものだろうと思う。

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