軍事政権は軍事力が弱いというパラドックスがある

 よくコワモテの軍事大国を指して「軍事政権」という言葉が使われることがある。しかし、しばしばこの記述は誤用であることがある。軍事政権と軍事大国は全く違う概念であり、両者は相反する場合があるのだ。

 軍人と文民の違いについて考えてみよう。軍人というのは通常、若い年齢で士官学校に入り、同期と切磋琢磨しながら一人前の軍人として育てられていく。途中で外部から入ることは難しいし、転職市場も存在しない。そのためどの国でも軍人は伝統的な日本企業と同じ新卒一括採用である。
 一方で文民はそれ以外の人間のことを指す。政治家にせよ、官僚にせよ、基本的には士官学校を出て軍事訓練をしているわけではないので文民である。両者の区別は明確である。
  
 政治を行うのは本来政治家の仕事なので、政権を担うのは文民である。これは日本のような民主主義国であろうが、中国のような一党独裁国であろうが同様だ。この原則が崩れるのが軍事政権である。本来は軍務に徹するべき軍人が武力を盾に直接国歌を統治するのが軍事政権である。

 よく誤解されるが、軍事大国と軍事政権は全く別である。北朝鮮を例に挙げよう。北朝鮮は社会主義を標榜する朝鮮労働党の一党独裁政権であり、そのトップには金一族が三代に渡って君臨している。彼らは士官学校を出たことはないし、同期と一緒に射撃訓練をしていたわけでもない。彼らは皆文民である。
 金正日は確かに先軍思想を掲げて国民一体の軍国主義路線を推し進めていたが、金正日自身は元々武より文の人である。映画マニアとして知られる金正日は長年北朝鮮のプロパガンダ部門を先導しており、軍部を掌握したのは90年代になってからだ。「先軍政治」という方針も実のところ軍部がクーデターを起こさないためのご機嫌取りという見方もある。
 金正恩は砲撃の天才というプロパガンダがなされていたが、体形を見る限り明らかに軍人ではないだろう。軍部を統制していると思われるNo.2の崔竜海も軍部の出身ではなく、党人である。
 北朝鮮は国力の大半を軍事につぎ込んでいる超軍事国家だが、政権は文民独裁であり、決して軍事政権ではないのである。

 同様の状況は共産圏全体にも当てはまる。旧ソ連は世界最強の軍事国家だったが、やはり政権を担っていたのはソ連共産党という文民の集団だ。赤軍は常に共産党の統制下にあり、政治に関して何らかの役割を担うということはなかった。大粛清の際も赤軍軍人はなすすべもなく党の手に掛かって処刑されていったのである。
 ソ連崩壊の際にも結局軍部は動かず、文民統制の原理は貫徹された。旧ソ連諸国は独裁政権が多いが、それらも全てが文民の独裁政権である。旧ソ連諸国の軍にはそもそも軍が政治に関与するというカルチャーが存在しないのだ。

 他にも文民独裁の軍事国家はたくさんある。ヒトラーやムッソリーニは軍務経験があるが、軍人として成り上がったわけではない。両者ともにあくまで選挙やクーデターで政党のリーダーとして成り上がった文民である。
 現在何かと話題になるプーチン大統領も秘密警察の出身であり、軍人ではない。あくまで文民の政治家だ。

 では軍事政権はどのような国が挙げられるだろう。代表格はエジプトだ。エジプトは1952年のクーデターで英国とベッタリの国王が追放され、軍が政権を掌握した。それ以降ナセル・サダト・ムバラクと半世紀以上に渡って事実上の軍事政権が続く。2011年のアラブの春で一度民主化が行われるもシシ将軍によりクーデターで元通りの軍事政権に戻ってしまった。
 ナセルは大佐として実際に部隊を率いており、若手の将校を味方につけて軍事力で政権を獲得した。サダトはナセルの士官学校の同期であり、ムバラクは第四次中東戦争で名を挙げて空軍トップになった人物である。シシもクーデターを起こすまで陸軍大臣の務めており、根っからの叩き上げ軍人だ。
 このような軍部が政治に密接に関与してくる国として有名なのはパキスタン・タイ・ミャンマー・民主化前の韓国・トルコである。

 軍事政権は軍隊に力を入れている国ではなく、軍人が政治を取り仕切っている国のことを指す。軍隊の強さとは無関係だ。むしろ軍事政権の国は軍事的に弱体な事が多いのである。現にエジプトとシリアはイスラエルとの戦争で無惨な敗北を喫しているし、パキスタンもインドとの戦争に全て敗北している。ミャンマー軍は半世紀以上かかっても未だに国内の武装勢力を制圧できていない。
 軍人とは本来軍事の専門家であり、政治家ではない。単に武力を握っているだけだ。軍事の専門家が政治家のやる仕事を行っている状態は決して効率的とは言えない。
 軍事政権は権威主義政権の4タイプ(軍事独裁・一党独裁・個人独裁・君主独裁)の中でも最も不安定である。軍はそもそも政治のための機関ではないので政治には不慣れだし、政治に乗り出すことで腐敗と意見対立が激化し、軍内部の規律が乱れてしまう。その結果国民が暴動を起こしたり、軍内部の別の勢力が再びクーデターを行うのである。

 また、軍が政治に乗り出すことが歓迎される国家は文民政府が国民から極端に信用されていないケースが多い。パキスタンは典型例である。文民政府の腐敗と無能の苛立った国民は「規律正しく清廉潔白な」軍部の統治を快く受け入れてしまう。脆弱国家の軍事政権は、軍部が強すぎるのではなく、文民政府が弱すぎるのである。
 
 軍事政権の国はそもそも政府がまともに統治できないほど脆弱な国が多い。軍部がクーデターを平気で行う国の殆どは第三世界の脆弱国家だ。これらの国はまともな官公庁や政党、メディアや大企業が乏しく、軍部に匹敵する有能な組織が存在しない。こうした国が軍事的に強力になるのは難しい。

 また軍部が統治に乗り出すと軍内部の規律が乱れ、軍事に集中できなくなってしまう。したがって軍事政権では軍事力は低下する。現に世界に名だたる強力な軍を持っている国は全て文民統制が徹底している。第二次世界大戦の主要参戦国も全て文民統治の国だ。戦前の日本はあたかも軍事政権かのように描かれることがあるが、これは間違いである。226事件も短期間で鎮圧され、日本は軍事政権の国にはならなかった。軍事政権は脆弱すぎるため、一流の軍事大国にはふさわしくないのである。

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