音律史について自分で調べたことのまとめ

はじめに

 以下はyoutubeのコミュニティに投稿した複数の文章をそのままコピペしたものです。私は研究者ではありませんし、情報元はほとんどネット上の論文です。ただ、できるだけ18世紀、19世紀当時の直接的な記述(ほとんど日本語か、英語に翻訳されたものだが)を参考にするようにしていますので、原典を確認することはできると思います。
 言いたいことは、情報元を確認してほしい、ということです。そして、芸術的解釈と、厳密な音楽史の研究は区別して、どこからどこまでが確実に言えて、どこからは推測なのかをはっきりする必要があります。私はもう音律関係のことを漁るのには満足しましたし、何かこの記事にコメントがあったとしても返すかどうかはわかりませんが、もし何か音律史についてこの記事のようなてきとうなものではなく、きちんとした主張をしたいのならば、ドイツ語の書籍をあさったり、当時の書籍や書簡をあさったりする必要があるかと思います。私はこうしたことをしませんでしたが、研究したい場合、できることです、ぜひそうしてください。


いろいろまとめ


音律研究からひとまず身を引きましたが、あまりネット上で話題になっていない点から、大バッハの時代の平均律受容などについて、思ったことをまとめてみます。私は疲れたのでこれ以上深入りしませんが、遺言みたいな感じで。 こちら、結構使えそうな資料集で、18世紀までの音律の歴史と、大バッハの音律に言及した資料を網羅的にまとめたものです。

18th century quotations relating to J.S. Bach’s temperament https://www.huygens-fokker.org/docs/K...

https://www.huygens-fokker.org/docs/K...


全て読めていませんが、私にとって衝撃的だったのは、Barthold Fritzという人がDas Wohltemperirte Clavierの出る前から全ての完全5度を気づかないほど狭める方法を使用していて(1716年ぐらいから? 40年使用していたとのこと)、そしてこの方法を1756 年に発表したこと(32ページ)、またWerckmeisterが1707年出版の文章(これもDas Wohltemperirte Clavierの出る前!)に全ての五度を1/12コンマ狭めることで”wohl temperirte Harmonia”、つまり良く調律されたハーモニーが得られると言及していることです(23ページから、または、38ページ)。Werckmeisterはこれ以前に不等律を提唱したり、いや流石に平均律はやりすぎでは、みたいなことを言っていましたが、晩年になって意見が変わった、ということのようです。 これに加え、C.P.E Bachも大体の五度を少しだけ狭める方法を使用していたようです(34ページ、これが平均律かどうかは何とも言えないが、1/8PCdivision~平均律ぐらいと考えると良さそう)。
これらのことを考えると、歴史学的にみても、Das Wohltemperirte Clavierを平均律で演奏することがそこまで悪いことなのか、という疑問が私には湧いてきました。このまとめも膨大で全て読めていませんし、バッハ=不等律派の書籍を回ったわけではないので何ともいえませんが。どちらにせよ当然、当時毎回厳格な平均律にすることは困難だったでしょう。 大バッハの時代でこれですから、モーツァルトぐらいの時代になるとさらにぐちゃぐちゃになるはずです。私のエネルギーでは、モーツァルトやベートーヴェンが何らかの音律を推奨していたとする直接的な証拠にたどりつくまで資料を漁ることはできませんでした。ベートーヴェンがキルンベルガーを使用した、モーツァルトはミーントーンを愛用した、など断言系の記述がネット上で見られますが、出典は何なのか、注意が必要と感じます(ベートーヴェンがキルンベルガーの純正作曲の技法を使用していたというのは確か、だと思う)。ちょっと前まで私も(アバウトな)平均律や、それに極めて近い1/8PC divisionのような音律はこの時代実践されていなかったと認識していたのですが、そうではなさそうです。 研究している人が平均律から隔たった音律が好きな人が多いからか、平均律に近い音律の情報が得づらい気がしていて、注意が必要なのかななんて思います。 こちらは現代の研究者の意見もまとめたものです。渦巻き模様の解釈やキルンベルガー2が良いという意見など、色々書いてあります。

TEMPERAMENT IN BACH’S WELL-TEMPERED CLAVIER https://core.ac.uk/download/pdf/13314...

こちらは平均律派の視点から資料をまとめたものであり、全てうのみにするのも危険ですが、貴重な資料集と思います。
平均律の歴史的位置 坂崎 紀
http://www.mvsica.sakura.ne.jp/eki/ek...

で、こうなるとじゃあ聞いて判断するかとなるわけですが、聞いた感想を歴史学的な主張に持っていくのは難しいというのが私の感想です。聞いた感想はどこまで行っても感想でしかないですから、平均律になれた耳には平均律が良く感じますし、もともと嫌いな曲ならば普段聞かない音律で聞くとよく感じるかもしれません。ただミーントーンについては、Pure meantoneでその人の作品をほぼすべて相当な程度(この程度がどのぐらいかという問題もありますが)演奏できるならば、作曲者が(少なくともモディファイド)ミーントーンへの配慮をした可能性が高いと言えるのではと思います。しかしだからと言って、それが作曲家の理想だったかはまた話が変わってきます(理想は存在しないかもしれませんし、複数あったかもしれません)。歴史学と芸術的解釈は別、ということです。

以前紹介した以下のまとめ41ページから42ページに、マルプルクの重要な証言が載っていたので訳出します。
18th century quotations relating to J.S. Bach’s temperament https://www.huygens-fokker.org/docs/K...
もとはドイツ語ですが、英語に訳されたものから翻訳しています。ちょっと? なところもあり、翻訳にあまり自信がありません。各自原文を読んでご判断ください。 バッハがピタゴラス長三度を嫌っていた、という出典不明の主張があり、どうしたものかと思っていましたが、この文章が元ネタでしょう。訳注にある通り、このピタゴラス長三度についての記述がキルンベルガーの証言なのかどうか、英文訳からはフルにくみとることができませんでした。ドイツ語に詳しい方の読解が必要と思います。
(追記:ドイツ語版で"そしてそのために81:80の長三度も得られない"and since no just major third is tuned, no major third tempered 81:80 is possible の部分が見当たらない、どういうこと。。。 更に追記 以下の19ページ、20ページに(おそらく)同じ出版物からの同じ文章のドイツ語引用があり、こちらでは確認できました。誤植でしょうか? 他細部が微妙に違います。注意です。 一応こちらからのドイツ語版も載せておきます。
”Kunst og Virkelighed” Nogle indledende betragtninger over Johann Sebastian Bach: ”Das Wohltemperierte Klavier” Lars Pryn, 2009 http://www.frborg-gymhf.dk/gj/talogta...
Der Hr.Kirnberger selbst hat mir und andern mehrmahl erzählet, wie der berühmte Joh. Seb. Bach ihm, währen der Zeit seines von demselben genoßnen musikalischen Unterrichts, die Stimmung seines Claviers übertragen, und wie dieser Meister ausdrücklich von ihm verlanget, alle großen Terzen etwas scharf zu machen. In einer Temperatur, wo alle großen Terzen etwas scharf, d. i. wo sie alle über sich schweben sollen, kann unmöglich eine reine große Terz statt finden, und sobald keine reine große Terz statt findet, so ist auch keine um 81 : 80 erhöhte große Terz möglich. Der Hr. Capellmeister Joh. Seb. Bach, welcher nicht ein durch einen bösen Calcul verdorbnes Ohr hatte, mußte also empfunden haben, daß eine um 81 : 80 erhöhte große Terz ein abscheuliches Intervall ist.)

以下ドイツ語、英語は以下の資料より。
18th century quotations relating to J.S. Bach’s temperament https://www.huygens-fokker.org/docs/K...
Marpurg: Kritik an Kirnbergers Temperaturvorschlägen, 1776 (Criticism on Kirnberg’s temperament suggestions, 1776) Man komme mir hier mit keiner Autorität aus den vorigen Jahrhunderten wo man drey Tonarten häẞlich machte, um eine einzige recht schöne zu erhalten…. Der Hr.Kirnberger hat mir und andern mehrmals erzählet, wie der berühmte Joh. Seb. Bach ihm, währender Zeit seines von demselben genoẞnen Unterricht, die Stimmung seines Claviers übertragen, und wie dieser Meister ausdrücklich von ihm verlanget, alle groẞen Tertsen etwas scharf, d.i. wo sie alle über sich schweben sollen, kann unmöglich eine reine groẞe Terts statt finden…. Der Hr. Capellmeister Joh. Seb. Bach, welcher nicht ein durch einen bösen Calcul verdorbnes Ohr hatte, muẞte also empfunden haben, daẞ eine um 81:80 erhöhte Tertz ein abscheuliches Interval ist. Warum hatte derselbe wohl seine aus allen 24 Tönen gesetzte Präludien und Fugen die Kunst der Temperatur betitelt
Don’t refer me to any authority from the previous centuries, when three keys were made ugly in order to get one quite beautiful… Mr Kirnberger told me and others several times, how the well-known Joh. Seb. Bach entrusted him with the tuning of his harpsichord while he [Kirnberger] had lessons with him [Bach]. And how this master expressly required him to tune all major thirds a little sharp, i.e. since they all beat, it is impossible to tune a just major third; and since no just major third is tuned, no major third tempered 81:80 is possible. Mr Capellmeister Joh. Seb. Bach, whose hearing wasn’t corrupted by bad calculations, therefore must have found a third tempered 81:80 abominable. Why else would he have called his Preludes and Fugues in all 24 keys the art of temperament?   
私は、前世紀の権威あるやり方を支持しているようには見られたくない、3つのキーを醜くして1つだけ大変美しいキーを得るようなやり方を(訳注:ここが具体的にどういうことを言っているのか、よくわからなかった。Key = 調のこと? だとしてもこの記述に合う音律を見つけられない。)……キルンベルガーが私を含め何人かに語ったのは、あの有名なヨハン・セバスティアン・バッハが授業の際彼にハープシコードの調律を委託し、特に全ての長三度を鋭くするよう訴えたということだった(訳注:ここまではキルンベルガーが言っていたことと確実に読める。この先“これを受けると~81:80の長三度も得られない“までがキルンベルガーの証言なのか、マルプルクの補足なのかはっきりしない。英語訳を読むと現在形が使われているので、マルプルクの補足で、キルンベルガーの証言ではないと思うが、本文がドイツ語であることもあり、何とも言えない。英語でも、書き手が不変の事実ということを強調したければ、過去の出来事でも現在形を使うみたいなことがあるが、ここは証言を強調したい場面のはず。上で紹介したもう一つのドイツ語版では明確にピリオドで区切られており、マルプルグの主張と読み取れる?)、これを受けると、すべての長三度がうなるため、純正な長三度を得るのが不可能で、そしてそのために81:80の長三度も得られない(訳注: おそらく81:80はピタゴラスの長三度に言及。ピタゴラス長三度:純正長三度=81:80である。キルンベルガーはピタゴラス長三度が64:81の整数比になることから許容できるとし、自身の音律を正当化しましたが、それに対する当てつけでしょうか)。楽長のヨハン・セバスティアン・バッハは、計算に聴力が侵されておらず、したがって81:80の長三度は忌むべきものだったに違いない。いったいどういう理由があってバッハは、24調によるプレリュードとフーガを、音律の芸術(訳注:もしくは技法、Die Kunst der Fugeのkunst)と呼んだのだったろう?

以下の本にトンコープマンによるヴェルクマイスターIII(I)の調律法指南がありましたので、メモもかねて。

トンコープマンのバロック音楽講義 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3...

実践的な指南であり、絶対値でどれぐらい狭めるか、などの細かい情報は記述ごとに少しブレがあります。要約すると Aから始める。 F-A 長3度を純正に取る(書籍では"純正三度"と表記、書籍の図ではC-Eとともに"ほぼ純正"との表記)。 A-E 完全五度純正 F-C 完全五度をほんの少し狭める、言い換えれば、C-Eがほとんど純正になるようCを取る(C-Eは書籍では"純正三度"と表記、書籍の図では"ほぼ純正"と表記)。 C-G, G-D, D-Aはすべて同等に狭める。"ミーントーン同様"との記述だが、別図には-1/4 PCとの記述。 他の完全五度をH-Fisを除いて純正にする。H-Fis は結果として、F-Cと同じぐらいの狭さとなる。 本に載っている図ではF-C, H-Fisが 1/8 PC、C-G, G-D, D-A が1/4 PC である。 (ほんとのところ、F-Cが1/4 PC、C-Gが 1/8 PCと記載しているが、これは明らかな誤植、上記の調律基準と矛盾するし、ヴェルクマイスター調律とも合致しない) これは実際、ほとんどキルンベルガーIIIです。このような調整は、ヴェルクマイスターの弱点を解決する可能性があります。ヴェルクマイスターの三度は最高のものでも4 centも純正から離れており、3つの-1/4 PC 完全五度を正当化するには不安があります。そういう意味で、キルンベルガー寄りにした方が聞きやすくなるかもしれません。 以下の鈴木さんの演奏はヴェルクマイスターのようですが、C-Eが +2 centほどの、より純正寄りになっている気がするんですよね。このコープマンの方法を使用しているのかもしれません。

The Well-Tempered Clavier, Book 1: Prelude in C Major, BWV 846 https://www.youtube.com/watch?v=SLIIh...
鈴木さんの音律について、情報元。
https://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/foru...

音律についてネットなどで出回っている情報で、出典が確認できない怪しいものについてまとめます。
・大バッハのWell tempered clavier のWell tempered は平均律を表したものではない。
https://www.youtube.com/post/UgkxpKjh...
以前コミュニティに投稿したこちらを参照。 平均律のみを表したものではないでしょうが、平均律に近い、もしくは平均律そのものなどを広く含め、Well tempered と表した可能性があるのかなと。鍵盤楽器と関係ないと言われればそれまでだが、そもそもフレット楽器ではとっくに前から平均律が一般的だったりする。 Well temperedが平均律のみを表したものではない、という考察から、伝言ゲームで表現がすり替わっている可能性。
・キルンベルガーが自身の音律を作成した過程を表現するにあたり、大バッハの平均律について述べている。 出典未確認。 もしそうだとすれば大バッハ=平均律になるが?
https://www.youtube.com/post/Ugkxuqfb...
以前コミュニティに投稿したものだが、これのマルプルクの記述をもとにしている可能性。
・モーツァルトはミーントーンを愛用した。平均律を嫌っていた。
出典未確認。
・ベートーベンやショパンはキルンベルガー音律を愛用した。
直接的な出典は未確認。 キルンベルガー音律の載っていた書籍『純正作曲の技法』を使用していた、または使用していた可能性が高いという情報を拡大解釈した可能性。
・ハープシコードの時代の音律で平均律はあり得ない。
上で挙げたコミュニティ投稿を参照すると、どうもそう断言はできなさそう。
・大バッハはピタゴラス長三度を嫌った。 出典未確認。 上のコミュニティ投稿で述べたマルプルクの記述が独り歩きした可能性。
・大バッハ、モーツァルト、ベートーベンの時代には平均律は一般的ではなかった。
大バッハの時代にすでに平均律に相当近い音律を数十年試した音楽家がいたことは、上で挙げたコミュニティを参照。ラモーやCPEbach、ダニエル・ゴットロープ・テュルクの記述を考えれば、1780年ごろには平均律が一定の地位を築いていた可能性。
平均律の歴史的位置 坂崎 紀
https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiin...
こちらも参照。 ただオルガンは調律を変えるのに手間がかかるのもありすぐに使用音律が変わったわけではないだろうし、当時の情報伝達の遅さを考えれば、相当に地域差があったとは個人的に思う。

・大バッハのWell tempered clavier表紙の渦巻きは音律を表したものである。  
あの渦巻から音律を学術的に示すには、あの渦巻きが音律を示したものであるという直接的な証拠が必要だが、そうした証拠を私は確認できていない。  あの草稿は職を得るために提出する楽譜の一部だった可能性がある、という薄い状況証拠を主張する人はいる。この主張については面倒なので直接ここに出典は載せないが、レーマンの論文を参照。

また思いついたら書いていくと思う。

以下の坂崎 紀 氏の音律解説は平均律派の立場からのもので時たま言葉が強すぎる所があるようにも思えますが、一部重要な指摘をしていると考えるので挙げておきます。 坂崎紀 氏は音楽の研究を大学でされている先生のようです。そのような立場から以下のような指摘をされているのは興味深いところです。
https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiin...
以下一部引用しますが、音律研究される方は確認してほしいです。
"したがって、一部の研究者が唱える「対数の概念の存在しない時代には平均律は実現できなかった」という見解は慎重に吟味されなければならない(平方根と立方根が求められれば2の12乗根は求められる)。また「平均律は19世紀以後普及した」というような一般化も誤解を招くといえるだろう(フレスコバルディやフローベルガーがすでに平均律を使っていたとする説もある)。 "
(バッハwell-tempered clavierの渦巻き模様の解釈について)
" 18世紀の書籍には、しばしばこの種のループ状の文字装飾が見られる。したがって、ここでの基本的な研究手続きとしては「これらのループは単なる装飾模様に過ぎず、特定の隠された意味を持たない」という仮説も検討するべきで、そのためには、当時の楽譜にこの種の模様がどのように描かれているのか、描かれていないのか、という問題が検討されなければならない。しかし、筆者の知る限りでは、そういった基本的な検証はなされていない。  たとえば、《アンナ・マグダレーナバッハのためのクラヴィーア練習帳 Clavierbüchlein für Anna Magdalena Bach》の表紙にも、文字の飾りとして上述の「1重のループ」が用いられている。"
(BWV 565の表紙も参照してください。 https://en.wikipedia.org/wiki/Toccata...)
また、以下の主張について100%これを支持する論拠は私の知る限りありませんが、ヴェルクマイスターも晩年は平均律支持となった(過去の私のコミュニティ投稿を参照)こと、その後の平均律的音律のCPEbachなどによる受容などを考えると、そういう見方もできるのかなと思います。
”仮にバロック時代の一部の音楽家がヴェルクマイスターIIIを好んだとしても、その理由は、平均律に対して優位性を持つからではなく、1/4コンマ中全音律に対して優位性を持つからであり、大局的に見れば、平均律の一種として使用したと見るべきだろう。”  
個人的には、そもそも当時の人が完全に平均律に調律するのは困難だったはずで(調律にそんなに時間をかけるわけにいかないし、当時の楽器は時間経過でどんどん調律がずれた)、完全五度を少しずつ狭めるという、ヴェルクマイスターやCPEbach、ラモーが勧めた方法を耳障り良いように行った結果、1/6PC~1/12PC辺りに落ち着く、ということが多くあったのではないかと思います。このような実態があったことは、キルンベルガーが平均律の短所として正確な調律ができないことを指摘している(純正作曲の技法を参照)ことからも読み取れないでしょうか?  
この”完全五度を少しずつ狭める”という方法は、相当に広がっていたのではないでしょうか、そのように考えてはいけないでしょうか。もしそうならば、なぜほとんどの作曲家が調律法を指定していないのかという問題に、ある程度正しそうな答えを出すことができます。そしてこれは、ヴェルクマイスターやキルンベルガー、ヴァロッティ音律を作曲家が想定していたとする主張を完全に否定するわけではありません。なぜならば”完全五度を少しずつ狭める”ことを各音楽家が個人の芸術的主張の元行った結果、どのようになるのかはわからないからです(このことは、CPEbachの平均律とも、不等律ともとれるあいまいな表現から読み取ることも可能です)。  
そして、1950年代あたりの音楽家は、大bach=平均律とみなしていたようです(色々出典は有るかと思いますが、例えばカールリヒターの記述を参照。 https://ameblo.jp/darts-studio/entry-... ) どうしてこういうことになったのでしょうか? それは"平均律的な調律"が代々受け継がれて行った結果とは考えられないでしょうか?
 以上は私のただ1つの解釈の方法です。このことを完全に証明する証拠はありません。しかし大バッハは絶対に不等律という完璧な証拠や、大バッハはミーントーンを使用しなかったという完璧な証拠は、私の知る限りありません(ヴェルクマイスターはバッハがwell-tempered clavierを発表する前に平均律でwell-tempered harmonyが得られると述べていたし、バッハがオルガン曲を作るとき、ミーントーンを全く考慮しなかったとも思えない)。このところは多角的に考える余地があるように思うのです。

昨日挙げた坂崎 紀 氏の指摘について、以下の部分も、数々の資料を当たったであろう研究者の指摘として、興味深いものです。

音律入門 an introduction to tuning and temperaments https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiin...

https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiin...


(well tempered clavier表紙の渦巻き模様について)
"この種の裏読みや深読みは、読み物としてはおもしろいかもしれないが、実証的な音楽史学の議論とは認められない。これは「強い信念に基づく」という意味において、純正律や不等分律を礼賛し、返す刀で平均律を批判し、「バッハのWohltemperierteは平均律ではない」と主張する議論に通じるところがある。どちらも奇説、珍説のたぐいであり、「疑似音楽学 pseudomusicology」と呼ぶべきものだ。"
また以下の文章も坂崎 紀 氏のもので、あまり見られないCPEbachやDaniel Gottlob Türkの重要な記述に言及しています。 平均律の歴史的位置 The Historical Position of Equal Temperament https://mvsica.sakura.ne.jp/eki/ekiin...
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またこれはファンの又聞き情報ですが。Bach Collegium Japanのファンからのメッセ―ジを集めたフォーラムで、以下の引用は鈴木雅明の演奏会に行ったファンのメッセージです。最新研究を反映しているかもしれず、興味深いので紹介します。
BCJフォーラム(17) [04/07/29~] https://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/foru...
"バッハも全体的にワザと半音階のフレーズを多くして効果を上げているようで、調号が多い曲の中には(嬰ハ短調や変イ長調)和音に緊張感がありましたし、面白いなぁと思って聞いていました。その時のチェンバロのチューニングが気になったので、終わってから調律師の人と少し話しましたところ、大変に面白いことを言われました(というか私が知らなかっただけですが)。
演奏会で使ったチューニングは、ヴェルクマイスター。それは雅明氏の「こだわり」だそうです。録音もそれで終了したそうです。道理で変イ長調の主和音に緊張感があるわけです。ちなみに、カンタータの時は、1/6 (ヴァロッティ&ヤング)だそうです。 ただ、現在編集中の(と言われてたと思います)ニューグローヴの「調律」の項では、平均律はその考え方がバッハの時代に既にありましたが(『バッハ事典』[東京書籍]でも書かれています)、それだけではなくて実践ももうなされていたというのが最近の学説とのことで、「バッハがヴェルクマイスターやキルンベルガーだというのはノスタルジーに過ぎない」とも言われているそうです。これにはちょっと驚きました。
ただ、バッハが、ヴェルクマイスターでもキルンベルガーでもない独自の調律をしていたということは、知られていますよね。それが現代の平均律に近いか同じであっても不思議ではない、とは思いました。"



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