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ありのままを生きること〜ルチアのラスール物語17-1〜

第17話 コネプラソングの誕生①

毎朝の日課、毎朝6時からのデイーコヒーランスのある日の出来事。
アメリカのコネクションプラクティスのマスタートレーナーである綾さんが、小さなお子さんのいるお母さんたちにコネクションプラクティス(以下コネプラ)を伝えている時、子供たちが段々飽きてぐずり出した時に歌を歌うことで和やかな雰囲気になったことをシェアしてくれました。

その時「コネプラの歌があったらいいのにね」

と言う一言から全てが始まったのです。

その声を聞いた時に私の頭の中では、ゴスペルで一緒に歌っている障害のある若者たちの笑顔や仲間とわいわい賑やかに歌を作っている光景が渦巻いていて興奮していた。
思わず、
「私、コネプラの歌作りたいです。」

とみんなの前で言っていた。

しばらくして、とんでもないことを言ってしまった自分に驚きと戸惑いを感じていた。
歌うことは大好きでゴスペルのクワイヤには参加しているけれど、音楽を基礎から学んだこともなければ楽譜もまともに読めない・・・
ましてや作曲なんて!
もちろん自分一人で作ろうなんて思ってはいなかったけれど、一体どうするの?

興奮した頭が一気にひんやりと冷めていくのが分かった。
でも、やっぱりやりたい!
そんな時、玄さんがプロのミュージシャンであったことやデイコヒのコミュニティにミュージシャンがいるのがわかった。

早速、繋いてもらい3人zoomで話すこととなった。
ワクワクと緊張が入り混ざった感覚のまま、パソコンの前に座った。
そんなガチガチな私を見て、hajimeさんが言った。

「なんで、そんな会社の会議みたいな話し方してんの?もっと、気楽に話したら?少なくとも俺は、友達だと思ってるよ。」

それを聞いて身体中の力が抜けていくのを感じていた。
それまでの
「きちんとやらなきゃ」とか

「目上の人に失礼がないように」という私の中のラべリングとランク付、勝手にパワーアンダーに入っていた事に気づいた。

それからは、気楽に3人で話をして私の想いやプランを聞いてもらった。
歌詞は、コネプラを知っているみんなに参加してもらうことになった。
デイコヒ、コネプラのコミュニティに投げかけてFacebookページの投稿のコメント欄に上げてもらった。ニーズの言葉から1遍の詩まで沢山の言葉が集まっていった。
「誰も投稿してくれなかったらどうしよう?」
と不安になりながら投稿した途端に次から次へと寄せられる言葉の数々に嬉しくて涙が出そうになった。

それを私が纏める

その当時、私の母が脳梗塞で倒れ、さらにコロナのロックダウンになり心身ともに疲弊していた。なかなか進まない作業、企画からあっという間に2ヶ月が経ったある日、仲間から「一人でできっこないんだから、玄さんやhajimeさんに頼んだらいいじゃないか!」
悔しかった。もどかしかった。
今までできているところまでを画面共有しながら必死に思いを語っていた。
その私の勢いに圧倒されたのか?仲間は応援してくれた。

仲間の言葉に触発されたのか?スイッチが入り何日か徹夜した朝、歌詞が概ね完成した。

                         次回へ続く





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