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ルチアのMikotobaダイアリー💖

平和を祈る場所を訪ねて

嵐のように吹き抜けた9月が終わり、ようやく遅咲きの曼珠沙華が野山を彩り始めました

秋分の日から数日間広島に滞在して、以前ブログにも書いた私の母教会と兄弟の鐘のある『広島平和記念聖堂』へと足を運びました

広島駅からも中心街からも近くにありながら、その場所だけが静かな時が流れているかのように穏やかな空間が広がっていました
平日の午前中、ぽつりぽつりと訪れる外国人観光客くらいでひっそりとしていて、ゆっくりと神様と二人ぼっちの時間を楽しむことができました。

日の光が差し込む聖堂




この聖堂は、1940年8月6日に広島に投下された世界最初の原子爆弾の犠牲になられた方々の追悼と慰霊のために、また全ての国のJ人々の友愛と平和のしるしとして建てられました。
そして、この青銅がずっと伝えていかなければならないものは、虚偽ではなく真実、権力ではなく正義、憎悪ではなく慈愛であり、これが人類に平和をもたらす神への道なのです。そのため、この聖堂を訪れ、ご覧になる全ての方々は、亡くなられた犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平和のためにお祈りください

世界平和記念聖堂リーフレットより


この聖堂は、被曝建物ではないものの、爆心地に近く、当時被爆したこの教会の主任司祭が身をもって体験した悲惨な光景と戦争の恐ろしさから2度とこのようなことがないようにと平和を祈る聖堂を建設したとされています

被爆したのは、日本人だけでなく、様々な国の人々もいたこと、そこには敵も味方もなく共に支え合い励まし合う姿
1人1人の心には美しいものがありながらも大きなものに巻き込まれ、翻弄したことがありありと記されているように感じました

聖堂の中に入ると、ピント張り詰めた空気と静寂が私を包み込んでくれました

重厚感のある佇まいに圧倒されながらもそこには優しく包み込むようなエネルギーも同時に満ち溢れているようでした

ちょうど天井のドームにあるステンドグラスから午前中の日の光が差し込んできてとても神々しく見惚れていました
そして、祈る中でこんなメッセージが伝わってきました

貧しき者の中の最も貧しき人の中にイエスはおられる

聖マザーテレサがおっしゃられた言葉で私がとても大事にしている、座右の銘とも言える言葉

その時ふと、つい反応してイライラしてしまう相手の態度や言葉に振り回されそうになる自分と相手の顔が浮かんできました

そう・・・
自分自身の中にある貧しい心、そしてつい反応してしまう人の中にイエスがおられることを教えてもらったような気がしました

そんな時こそ、そこにイエス様がおられることを忘れずに慈しみ深く愛してくださるその御姿を心に止める必要があることに気づき、導かれたように思います

心に清々しい風が吹き込むように晴れやかな気持ちで教会を後にしました

そして、何よりこの聖堂が私を歓迎してくれているような暖かさと自分のいる関東、母教会の聖イグナチオ教会と広島のこの平和記念聖堂がしっかりと握手をしているようなそんなイメージが浮かんできて「つながっている」ことを実感しました

今回の広島滞在でまた一つ大切な心の居場所と出会うことができました

ルチア

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