ありのままを生きること〜ルチアのラスール物語〜
第4話 死んでるように生きなさい
コネプラやNVCを学び始めたものの、精神薬の強い副作用で朦朧とする中この学びの本物さを感じながらも実践するには程遠い感じだった。
そんな中、区役所の方から「障害年金の受給資格に当てはまるから出してみたら?」と教えてもらったことから、自分の年金番号がないことが判明した。
いわゆる、『消えた年金問題』での被害対象者の1人であった・・・
公務員時代から結婚、出産での退職のあたりでちょうど制度改正とが重なったことが要因だったらしい。年金番号は与えられて年金も大丈夫とのことだったが、元々申請しようとしていた障害年金は、この年金番号の件が要因となって受給資格に当てはまらなくなってしまった。
何ヶ月も区役所や年金事務所に辛い体を引きずっていった結果がそれだった。
「仕事もできる体でないのに、これからどうやって生活していったらいいのだろう・・・」
途方に暮れていた
そこに追い打ちをかけるような、きつい一言が私の心の奥で消えようとしていた命の炎が吹き返すきっかけとなった。
いつものように心療内科のクリニックで診察を受けていた。
障害年金を受給できないことや日常の些細な痛みを吐露していた。
そんな時先生から
「あなたは、もう外での刺激を受けないようにできる限り家にいてじっとしていた方がいい。家でも極力何もしないように」
私は思わず
「それって、死んでるように生きろ。ということですか?」
と返した。
すると・・・
先生は黙って頷いた。
「死んでるように生きなさい」
私には、あの遠回しな一言がそんなふうに聞こえていた。
その瞬間、
どこにそんなパワーが残っていたのだろう?と思うくらい強い怒りで体全体が暑くなっていくのがわかった。
「勝手に私の人生終わらせるな!」
という怒りと同時に
「生きたい!」
「絶対良くなって、人生やり直したい!」
思いもよらない心の声が全身に響き渡っていた。
私は、死にたい、死にたいと言って自分自身を傷つけていたけれど、本当はこんなにも生きたかったんだ!ということに否応なく気付かされた。
それから、周りの世界が変わっていった。
脱石油化粧品のイベントで出会ったバッチフラワーの方からの紹介で新しい病院を紹介してもらった。
そこの病院では、薬を極力使わない方針なので減薬、断薬も期待できた。
そこの医院長先生(現理事長先生)は、前の先生とは正反対のことを言った。
「わー!随分ひどいね。辛かったね。
で、どのくらいで治す?3ヶ月、半年、1年?」
私は、話していることが理解できなかった。
通っているクリニックで「死んでるように生きなさい」
と言われて、然程間もないのに、3ヶ月?半年?
正直、ふざけているのかと思ったくらいだ。
「先生、ちょっと言ってる意味がわかりません。もう治らない。って言われているんですよ」
それに対して
「元気になりたいんでしょ?だからここにきたんでしょ?
僕が治すんじゃないよ!ルチア、あなた自身が治すんだよ」
目から鱗だった・・・
私が治す・・・
そうだよね。私の体だもの。誰かでなく自分で責任を取らないと・・・
今まで、医者やカウンセラー主導で私が。ではなく従ってきた感が拭えなかった。とても親切に親身になってきいいてくれた。だけど・・・
何も変わらなかった・・・
「私が治ると思ったら治るんだ」
謎の自身が湧いてきた。
アドバイスや提案はあってもやるかやらないかは私次第。
自尊心がイキイキしているのを感じた。
私にはそれが必要だったのかもしれない。
5年経った今、それに気付かされている。
私にとって、自分で決めること。選択の自由や意志の尊重が大事なんだな。
とこのブログを書きながら子供の頃を思い出している。
次回へ続く
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