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この世で出逢ったことのないあの子との再会#03~あなたは私のお兄ちゃん?~

  前回記事の続きです。


1.子どもを守る仏様

 占いをするという6畳程度の部屋には、中小いくつかの仏像を祀った祭壇がありました。仏像の周りには、造花のようではありましたが、色とりどりの花が飾られ、優しく穏やかな空気が流れているのを感じます。

”아기를 보호해 주신 신이 계셔서 걔도 기뻐하네.”
「子どもの神様がいるから、その子も喜んでるね」

 ここで祀られているのは子どもを守る仏様だそうです。鬼子母神様か何かでしょうか。祭壇の上には、人形やロボットなどの子どもの玩具がたくさん置かれていました。子どもの健康や幸福を祈りに来た方々がお供えしたものだそうです。

 私に憑いているらしい赤ちゃんを目で追いかけるアジュンマは、「あなたがこの部屋に入ると、赤ちゃんが喜んでよりはしゃぐ」と言いました。

 それが嘘か本当かは分かりませんが、言葉では表現しがたい、何とも妙な気分になったのは覚えています。


2.四柱じゃねぇじゃん、巫堂じゃん。

 さて、ここまで来ると、もう明らかです。

このアジュンマ、所謂「見える人」ってやつだね。
ということは、ひょっとして巫堂ムダン(무당)なのか?

 韓国には、神霊と人間の仲介者として、悪霊払い、祖先供養、豊漁・豊饒祈願などの儀式を行うシャーマンがいます。このシャーマンを巫堂ムダン(무당)と呼び、その土着信仰を巫俗ムソク(무속)といいます。巫俗の歴史は非常に古く、韓国文化の形成にも大きく影響したと考えられています。

 私は昔から、世界は目に見えるものだけで成り立っているわけではないと思っていました。また、漠然とですが、この世には霊能力を持つ人もいるのだろうと考えていましたし、実際に話を聞いてみたいと思ったこともありました。

 しかし、いざ霊能者らしき人間が目の前に現れると、詐欺かもしれないと疑ってしまうものです。得体が知れないという恐怖感も、その疑いに拍車を掛けているようでした。ただ、用心するに越したことはありません。憑いている霊を払うためだと、高額な料金を請求されては困るのです。

 そんなことを考えていると、そもそも四柱サジュ(사주)を見てもらうという話ではなかったのかと、自分勝手で理不尽な怒りがオンニに向いていくのが分かりました。

聞いてねぇし。見えるとか、聞いてねぇし。

 はい、完全な被害妄想です。


3.心当たりがないわけではない

 実はここだけの話、アジュンマのことを訝しむ一方で、かわいい赤ちゃんの正体に関しては心当たりがないわけではありませんでした。

 そのため、その赤ちゃんについて、少しだけ訊いてみることにしました。もし赤ちゃんが私の思い浮かべるあの子なら、アジュンマのことを信じても良いのかもしれないと思ったのです。

「で、一体誰なんですか?」

”귀여운 애기야. 아주 귀여운 애기.”
「かわいい赤ちゃんよ。すごくかわいい子」

 あ、訊き方間違えた。

「その赤ちゃんって、誰なんですか?」

언니, 임신한 적이 있어요?”
「あなた、妊娠したことがあるの?」

 え!?!?!?

 中絶か流産でもしたかと言うのです。

 思いも寄らない質問に驚いた私は、自分でも分かるくらいに目をぎょろっと見開いて、「ないっす!(없어요!)」と答えました。

”그래요? 근데 걔는 언니 가족인데요. 가까운 사이라 언니 애긴 줄 알았는데.”
「そう? でも、この子はあなたの家族よ。近い関係だからあなたの子かと思ったんだけど」

 なぬ。

 人間というのは不思議なもので、そんな経験は一切ないにもかかわらず、失われた記憶があるのかもしれないという気になってくるのです。

 でも、どう考えてもないものはないので、気を落ち着かせて、性別を訊くことにしました。

「女の子ですが? 男の子ですか?」

”음~. 귀여운 애기야. 아주 귀여운 애기.”
「うーん、かわいい赤ちゃんよ。すごくかわいい赤ちゃん」

 うん、知ってる。それ、何回も聞いた。

 どうやら性別は分からないようです。家族だとは分かるのに性別は不明だなんて理解しがたいところではありますが、考えたところで答えが見つかるような問題でもありません。

 このアジュンマを信じていいものかどうか・・・。

 非常に悩ましいところではありましたが、この時点での答えは、丸(〇)に近い三角(△)、例えると、おにぎりせんべいくらいの三角でした。

 全く信用できないわけではないけれど、完全に信じられるわけでもない。ただ、丸(〇)とバツ(✕)のちょうど真ん中というよりは、信じる気持ちーーいや、信じたいという期待が若干強いため、おにぎりせんべいのような丸い三角なのです。

 そういえば、つい最近までおにぎりせんべいは全国区だと思っていたのですが、実は違うそうですね。折角良い例えを見つけたと思っていたのに地域限定だったなんて、非常に残念です。


4.実は3兄妹だったらしい

 さて、私のいう心当たりとは、もう一人の兄のことでした。

 確か、小学校高学年の頃だったと思います。私には4つ違いの兄がいますが、その兄と私の間には流産してしまった子がいると、母が教えてくれたのです。もちろん当時はショックだったそうですが、昔から子どもを持つなら2人までと決めていて、その子がいたら私が生まれてくることはなかったと考えると、これはこれで良かったのだと思っているそうです。

 ーーそして、数年後のこと。

 母方の祖母(※群山出身の祖母は父方)と話をしていたとき、なぜかその話になりました。

 お腹の子が亡くなったと聞いてから、祖母は毎日お寺に通って、その子の供養をしてもらっていたそうです。1周忌が過ぎた後も、家族の健康と安全祈願の際には必ず水子の供養もお願いしていると言っていました。

 祖母曰く、「生まれてくる前に亡くなりはしたが、家族の一員として授かった大事な命で、ちゃんとあの世に行けるように、向こうで幸せに暮らせるように供養してあげるのが、生きてる人の役割」とのこと。

 信仰深い、祖母らしい言葉です。

 また、「大事にしてあげないと、残ったあなたたち2人の幸せを羨んで、悪さをするといけないでしょ」とも言っていました。

 水子の霊がそういう悪さをするのかは分かりませんが、少なくとも私は、知らない間に祖母に守られていたのだと感じたのです。


5.でも、結局誰かは分からない

 自分の番が終わり、オンニの占いを聞いている間も、私の頭の中は「かわいい赤ちゃん」でいっぱいでした。  

できれば、もう1人のお兄ちゃんであってほしい。

 忘れちゃいけません。なんてったって、群山は(父方の)祖母の故郷なのですから。そんな異国の地で、偶然にも亡くなった兄と出逢い、ともに旅をすることになるなんて、感動的じゃないですか。私の祖母は、兄にとっても祖母なのです。

 これはもう、信じたくなっちゃうでしょ。


 ーー占いを終えて外に出ると、私はオンニに言ってやりました。「四柱と言ってたのに、あのアジュンマは巫堂じゃないか」と。

 するとオンニは、「最初から分かっていたことを何を今さら」と、壁に描かれた「卍」を指さしました。

 そう、韓国で見掛ける「卍」は仏教というよりも「巫堂の家」という意味だったのです。そして、巫堂にとって四柱の学習は必須であり、四柱に精霊や神様の力を借りて占うのが巫堂の占い方だそうです。

えぇ~。そんなの知らなかったし・・・。

 ただ、巫堂と分かっていたら絶対に行かなかったので、これも必然だったのかもしれません。

 すると今度は、オンニが怪訝な顔をして、私に向かってこう言うのです。

”근데, 너, 애기가 있는거지?”
「てかさ、赤ちゃん憑いてるんだよね?」

「うん、まあ、そういう話だったね」

”그래, 넌 저리 가. 내가 귀신 무섭다고 했잖아. 이쪽 오지마!”
「分かった。あっち行け。私が幽霊怖いの知ってるでしょ。こっち来るな」

 ああ、全く・・・。

 へジンオンニという人は、たまにこういう大人げないことを言うのです。

 仕方ないので、私はいつも以上に近寄って歩いてやりましたよ。暑い日だというのに、本当に勘弁してほしいところです・・・。


(つづく)

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