現代の教育の歪さ

自分が死ぬまでにどうにかしたいものの一つとして、教育がある。私自身、いわゆる地方の資格至上主義、理由もなく医者や公務員になることをよしとする思想の家庭で育ち、キャリアに関して自らの考えを持つことが許されない環境下で育ったのち、それに抗って大学進学し、4年間様々なキャリアを見てくる中で、教育分野の問題点が見えてきた。それは、現代日本の教育が現代社会、もしくはこれから来るであろう社会の要請に合っていないということである。具体的には、個人の思考を尊重しない姿勢に問題があると考えている。

客観のみが求められる試験形式、それを擁護する親・教師世代

まず、現代日本の教育が個人の思考を尊重しないと考えている理由が2点ある。一つが、大学の入学試験の大半が、いわゆる一つの問題に対して一つの答えしか求められない形式であるということである。つまり、「あなたがどう考えるか」という主観ではなく、「答えを知っているか」という客観のみが求められる。AO入試をはじめとした入学形式のオプションが生まれてきたのは事実だが、それらがオプションである限り、それを容認しない親世代・教師世代に振り回される生徒が残り続けると考えている。

AIの時代・個の時代に求められるもの

一方で、現代社会は個を活かすことを求めるようになると考えている。LLMをはじめとしたAI技術の進展によって、客観的な事実はコンピューターによって自動的に提供される社会になる。こうしたときに人間に求められるのは、客観的な事実を淡々と述べる能力ではなく、主観をストーリーに載せて語り、人間を動かすような能力ではなかろうか。『弁論術』でいうところの、パトスを伸ばすことをもっと重視すべきだと思う。
また、国家単位でスタートアップを推進していること、それは今後も続くであろうということも、個を活かすことの重要性の裏付けとなっている。スタートアップにおいては少人数で急成長企業を作らなければならないため、各個人が自分の強みを持ち合わせていなければならない
私はこうした民間の要請する人材の移行に従い、教育もそれに合わせた形に変化すべきだと考える。

教育に関する議論は社会平和の観点から重要である

この議論は、教育単体のみならず、社会全体の行く末を考える上で重要であると考えている。現代のヒエラキカルな社会構造は、おおよそ雇用の安定性によって支えられている部分が大きいと考えている。しかしながら、AIをはじめとした技術の進展によって、その雇用の安定性が失われつつある。ル・ボンやオルテガによると、こうした慢性的な社会不安が、個人の思考の欠如と合わさったとき、ムッソリーニやヒトラーのような全体主義的独裁を生み出しやすい環境を生み出すという。こうした体制が生じるのを防ぎ、先人たちが築いた自由と平和を守るためにも、教育の在り方を考えることが重要である

現代の教育の歪さ

現代の教育、つまり旧来の詰め込み型の教育には問題がある。課題に対して客観的な答えを覚え込ませるような形式は、ひとりひとりの生徒が主観を持つことを妨げ、現代の社会の要請、つまり、客観よりも主観、平均的な能力よりも個人の特出した特性を求めるトレンドに合致していない点である。こうした現代の教育の歪さを解消する方法論に関しては、今後考察を深めていきたい。

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