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臓器提供について僕が考えたこと

「のぞむ」という人間は肉体に宿るのではなく、人々の記憶に宿る。

僕は生まれた時、50年前だったら医療技術が追いついて痛かったら死んでいたよねっていう状態で生まれてきて、妹が交通事故に遭って、中学生の時に同じくらいの年でALSに罹って20歳ごろに死んだという事実を知って、高校生の時に通っていた予備校の先生の弟さんが交通事故に遭って壮絶な死に方をしたということを聞いた。

そんな人生を送ってきたからこそ、僕の中には「いつ死ぬかわからない」という恐怖があって、いつも不安になっていた。だから、生と死についてめちゃくちゃ考えて、考えまくった。その結果、出した結論が「のぞむという人間は肉体に宿るのではなく、人々の記憶に宿る」というものである。僕自身、本当にいつ死ぬかわからない。今日寝たら死んでるかもしれないし、明日死んでるかもしれない。本当にこればっかりはわからない。ただ、わからないからこそ、できるだけ多くの人々にとって記憶に残ることを成し遂げ、孫子や老師、孔子のように人々の記憶の中で半永久的に生き残り続ける人に僕はなりたい。

「臓器提供」はもしもの時のための保険

僕は、今後できるだけ多くの人々の記憶に残ることを成し遂げたいし、そのためにできることを全力でするつもりだけど、もしかしたら、道半ばで倒れるということが起きるかもしれない。だからこそ、臓器提供にサインした。臓器提供をしたら、もし何も成し遂げずに死んだとしても、僕の臓器を受け取った人の記憶には必ず残るから。「のぞむ」という人間がこういう人間でこういうことを考えてて、こういうことを望んでいたってことが自分の臓器を受け取った人に知ってもらえて、自分のことを命の恩人として覚えてくれるなら、それだけでめっちゃ嬉しいし、僕という人間が少しでも長生きすることにつながると思うから。


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