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結構な勘違い* 英語ができる、寄りの人間だと思っていた


小さい頃から、海外を勝手に身近に感じていた私。

そう、完全に両親のおかげ。
私はただただ海外旅行に連れて行ってもらっただけ!
ただ、外国語を耳にしたり、それを真似して口に出してみることに抵抗がなかっただけ!

そしてさらに、なんとなく英語的な発音ができているような感じで(カタカナ比)
thとかrとかの発音が良い感じに聞こえて褒められたといういい記憶だけに支えられて、
私は英語ができる”寄り”の人間だと思っていた。

私の年代ではまだ少し珍し目の部類で(ふんわりさせたいがための日本語どうにかして)
9歳でYMCAの英会話クラスに通っていたわけです。そのセレクトね。ちなみにスイミングクラスもYMCAだった。
英会話だけど、ちゃんとやってたのかといえばそうでもなくて。劇的な進化はしないけど、そりゃあ全く英語に触れてない同年代に比べたら、アルファベットは書けるし子供用の絵本くらいは読めるわけで。
それで学んだ気になっていて。

そのまま中学に入学して、どうなったと思います?
初めての中間テストで英語のテストは学年トップ。(This is a penレベル)

いや。いやいやいや。
3年間、英会話教室通わせていただいているのでね、それくらい取れないと親に顔向けできないから。
中学はほぼ勉強なしでした。

中学の単語並べ替えて正しい文にしなさい、的な問題とかは、こう言ったら通じるな、って言う感覚だけで乗り切ってきた。そして乗り切れてしまった。テストの点が90点を切ったことはなかった。

問題は高校。

高校受験、私立併願校はなんとしてでも受ける科目数を少なくしたくて、英語と国語だけで受けられるところを探した。(絶対に数学は無理な完全文系)
そして、英語学科を英語だけで受けるという道を選択し、結果、特待生合格だった。
結局その高校には行かずに都立に行ったのだけれど。

でも、高校は、Grammarという授業ものがあって。感覚では太刀打ちできない並びが正解だったりする。文型とかあんまり理解していなくて。
高校2年の時のGranmarの先生がとにかくわからなさに拍車をかけた。その先生が受け持ったクラスの平均点は40点を切る時さえあった。全然わからなかった。

そして私は英語を諦めた。

ずっとCAになろうと思っていたので、進路は白紙。志望大学探し直し。
あの時、あの英語学科に行っていたら…全く違う未来だったんだろうな、、と思っても後の祭り!

大人になるまで英語の勉強からは離れてしまったのだ。

できると思っていたことができなくなるって、本当に、なんていうか、屈辱というか。
悔しかったのにその悔しさを”勉強してわかるようになる”方向に持っていかなかった。
今だに1番の後悔はここだと思っている。

全然、英語できる寄り、の人間ではなかった。
なぜなら私は努力が足りなかったから!

気づいた時にはいい歳だったけど、気づいたからセーフ!とばかりに今学び直し。笑
本当に全然文法の基礎がないことが発覚して、品詞分解は全然できないし、時制はめちゃくちゃだし。どうやって会話してたの私、、と恥ずかしくなるくらい。

頑張ります、、

やろうと思わないと、やらないものだよね、学ぶって。

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