自分の声を聞いてあげてる?
どうも
CHISAです☺︎
唐突な質問ですが、
自分がやりたいと思ったこと、
どれだけやらせてあげてますか?
実際に私がこれを意識した時に、
自分にやらせてあげてるのは
思いついたことの半分もやらせてあげれてなかったです
それくらい自分に我慢させてたんだと思う
でもある人が、
「それってめちゃくちゃ厳しい(脳内)彼氏じゃない」
って言っていて、本当だって思った
何かやりたいこと、思いついたことがあったとして、
「そんなのやる意味あるの?」
「時間の無駄じゃない?」
「もっと他にしなきゃいけないことあるでしょ」
って
そんなんじゃ、何も進めなくなる
自分の直感や感覚を信じたいのに、
信じられなくなる
そうすると、自分で選択して決断もできなくなる
人に判断を委ねることが当たり前になる
その感覚は30代半ばまで私がその感覚を持っていた
でもそれが普通だと思ってたし、
人に合わせられることや、
その場の空気を読むことはむしろいいことだと思ってた
でも知らぬ間に身体はそれに耐えられなくなって
心身のバランスが崩れることになる
その当時はなんで私が?って思ってたけど、
今考えると少しわかるようになった気がする
大切な仲間、家族の気持ちや選択を優先してたけど、
私にも本音があった
(本音さえも聞こえないくらい自分にフォーカスしてなかった)
でも今はやっと自分の声に耳を傾けることができるようになった
(本音を聞けるのと、それを選択して行動させてあげるのは別物で
今は後者を意識してやってる最中です)
この本音をまず自分自身が聞いてあげること
それが、本当に自分への愛そのものなんだと思うんです
周りからの愛や評価がなかったとしても、
自分自身のことを「わたし」がみている
それだけで自己肯定感は上がるし、
まず自分の根っこの部分が腐らずにぐんぐん根付いてくれる
根っこがしっかりすると、
あとは選択や行動に信頼が生まれる
これは成功、失敗とかではなく、
体験させてあげられる力がつく
だって、本来私たちは
地球に体験をしたくて生まれてきたのだから
成功、失敗の概念も捨てて、
いろんな体験をさせてあげる
もし自分が大切な我が子だったら、
全てにすぐに手を差し伸べるのではなく、
ちょっとくらい痛いことでも体験させてあげるでしょう
そう思うと、最初言った脳内彼氏は、
ある意味過保護な親みたいな視点も
持ち合わせてたのかもしれない
無駄に傷つきたくないから
傷つかなくてもいいように
安心、安定の中にいられるように
あなたはどんな視点で自分を見ていますか?
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