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15min studio | 音楽。大気を飲み揺らめきを楽しむ為の音楽

▼そう言えば随分前の事だけれども「心に思うことを口に出さずにいると、やがて思っている事が話せなくなる」と何かの本に書かれているのを読んでなるほどねと思った。確かにねと。ボクはどうだろうかと。例えばボクは和声の響きや音律を探すのが嫌いじゃないから、これは余談だけれども旋律というものは「高低変化を伴う音の連なり」と定義されるそうで仮にそれが2音以上の音の響きをさしているとすれば、ボクはその2音以上の音の響きを探すのが好きだから、そういう事をもって何かを表現しているつもり。何か、とは何の事か。心に思うこと。端的に言えば。

▼そこで思い出すのはこの冒頭の何かの本に書かれていた言葉。置き換えて言うなら、この2音以上の音の連なりを奏でないでいると、やがて、心に思う事が音にならなくなってしまうんじゃないかと。今、静寂というのは休符のこと、と感じたとする。それは音の連なりを奏でているから。しかし奏でなくなると、それは休符にさえならなくなるんじゃないか。いつかはそういう時も来るだろうけれども、自らそうはしたくないもんだなと思う。ちなみに音符ばかりが音じゃないよね。外は雨。無数の雨音。未来への波紋。そういえば再び話はそれるけれども失うものは何も無い、と言えればカッコいい。けれどもそれをこの冒頭の言葉と対で感じようとするとちょっとした抵抗があるなというのが今の気持ち。明日には、夜には、食事でもすれば、散歩でもすれば、ギターでもつま弾けば、歌でも歌えば、また気分も変わるかもしれないけれども。

▼長く抑制された幼い頃の心の痛みを繰り返しさかのぼり、感じ、表現すること。再び曖昧な引用。これはwikiの引用なんだけれども、プライマルスクリームという考え方があるらしくて、それを説明するとすればそういう事だそう。幸いにしてそういう心の痛みというのは、少なくとも意識する程のものを持ち合わせてないので、これ自体はふーん、という程度だけれども、ただ、痛みとかという事ではなくて、何にせよ繰り返し感じて、表現するというのは悪い事じゃないだろうなと思う。喜びとかだって、それを繰り返し感じて表現してないとねっていう事。いや、もっといえば喜びとか痛みとかっていう明らかな起伏に限らずちょっとした事でも感じて表現するっていうのはいいなと。

▼さて、かつてここにプロフィールを書いていました。けれども少し変えます。変化に次ぐ変化。

note.muでは、主にちいさな音楽を公開しています。各トラックのライセンスは「CC BY-SA」です。

ボクは南カリフォルニアで小さなレーベルをやっています。「15min records」という名前のレーベルです。フィジカルとネット配信の両方を少しづつ手がけています。といっても主には音楽のリリースよりもそれ以外の事に関わっている事の方が多いように思います。まあ何にせよ、自分の手の届く範囲で日々を紡いでいます。

Twitter: @15minrecords

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