ストレートな感情表現が苦手なぼくたちの”I love you”
手をパーにした状態から中指と薬指を折り曲げると、手話で"I love you"の意味になるらしい。
実際に右手でやってみる。するとどこか見覚えのある形になる。なんだっけこれ。
……あぁそっか、スパイダーマンが糸を出すときにする手の形だ。我ながらばかばかしいと思いながらも、気になって検索をしてみる。
あながち間違いじゃなかった。
手話は世界共通じゃなく、その国によって異なると聞いたことがある。でもこの"I love you"を示す手の表現はそもそも手話ではなく、かつてアメリカの若者の間で流行った「造語」らしい。
小指が"I"、人差し指と親指で"L"、小指と親指で"Y"。
なるほど。一時期、写真を撮るときのポーズとして流行った、親指と人差し指をクロスさせた指ハートみたいなもんだろうか。
***
ぼくはこれまで、誰かに「愛してる」と言った経験が一度もない。
愛したことがないわけじゃない。ただ、「愛してる」と言ったことがないだけだ。「好き」とか、「大切に想ってる」とか、近しい表現では言ったことがある(それもそんなに得意じゃない)。でも「愛してる」だけは一度もない。言ったことも、書いたことも、ブレーキランプを5回点滅させたこともない。
なぜか言えない。世間には愛してるの言葉を100万回贈れる人もいると聞くのに。なぜか言えない。なんだか恥ずかしくって。
きっとこの気質は、祖父譲りなんだと思う。
子どもの頃、ぼくは祖父母と同じ家で暮らしていた。祖父は、野球少年の「一球入魂」Tシャツみたいに、背中に「亭主関白」と書いてありそうな人だった。ぼくにとっては雷親父ならぬ「雷祖父」で、火山が噴火するときみたく、込み上げてきた感情を怒鳴り声として爆発させる人だった。
一方で祖母は、とても朗らかな人だった。怒られたことはほとんどない。曲がった腰を両手で支えながら(幼いぼくはどうしてあんなに骨が曲がるのかと不思議に思った)、畑仕事に精を出し、採れたてのきゅうりをスティックにしてよく食べさせてくれた。近所の人からぼくが「ちゃんと挨拶するえらい子やなー」と評判だと、うれしそうに誉めてくれたのを今でも思い出す。
祖母はぼくが25歳のときに亡くなった。
四十九日だか、一周忌だかの法事のとき。線香の匂いのする本堂を出ると、縁側でお寺のおしょうさんと祖父が話をしていた。
「どうですか、お元気ですか」
「いやー、まぁ。」
祖父はこのところ、明らかに元気を失っていた。それが年齢によるものなのか、祖母を先に失ったことが原因なのかはわからない。
「いたらいたでうるさいと思ってましたけどね、おらんとおらんで寂しいもんですわな」
正直、意外な発言だった。
祖父と祖母の関係は、喧嘩、というか、祖父が一方的に怒鳴っている印象が強かった。祖母に対してそんなふうに思っているなんて。祖父の心の内を盗み聞きしてしまった気がして、なんとなく忍び足で建物の陰に隠れた。
このときぼくは、祖父からすごくあたたかいものを感じた。ひょっとして、これが愛なのかなと思った。それは決して「はい、これが愛です!」という明確なものではなくって、百貨店の上りエスカレーターで「あれ、なんかいい匂いする……」と、すてきなフレグランスの香りに気付いたみたいな感覚だった。
そういえば。
祖母がお昼ご飯を作ってくれるときは、必ず祖父も一緒にキッチンに立っていた。どんなに怒鳴っても、祖母を傷つけるような発言は決してしなかった。祖母を病院に連れて行くときは必ず、祖父自ら同行していた。家族写真を見返すと、そのほとんどで、笑顔で写る祖母の隣に祖父がいる。
「おらんとおらんで寂しい」、きっとこれは亡き祖母への、祖父なりの愛情表現なんだろうと思った。相当回りくどいけど。もっと早くに言えたらよかったのかもしれないけど。でも祖父らしい。きっと祖母も同じように感じたと思う。「急になんなんよ~」と、照れて目を逸らす祖母の顔が浮かんだ。
***
感情をストレートに表現するのには、すごく憧れる。
海外でホームステイをしたとき、ホストファミリーのパパとふたりの子どもたちが、何の記念日でもないのに"I love you"と言いながら抱き合う姿を見て驚いた。3人が抱き合う光景は、やわらかくて厚みのあるヴェールに包まれているみたいで、思わず見惚れてしまった。
いつの日かぼくにも、家族とあんなふうに抱き合う日が来るんだろうか。いや、抱き合いはしないと思うな。ぼくの性格的に。
じゃあ「ストレートに表現しない人=愛が弱い人」かというと、それはぜったいに違うと思う。愛の深さは、そんな物差しを使って測れるものじゃない。
大切なのはその表現方法じゃなく、自分の想いを自分なりの表現で伝えることなんじゃないかな。
言葉でも、手話でも、造語でも、態度でも。
自分なりの表現で、自分の手の届く範囲から。
ストレートな感情表現が苦手なぼくたちの”I love you”も、案外悪くないと思うんだ。どうだろうか、おじいちゃん。
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