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受傷機転(脳溢血になったとき)を思い起こして

それは何気ない休日にサーフィンを楽しんでいる時だった。軽い疲れと極度の寒さから海を上がろうと思っていました。

’’ もう少しやろうよ’’との妻の声に少し頑張りサーフィンをしていると、頭の中で急にコーラ飴がとけるような感覚と軽い頭痛にみまわれました。最後の1本と波に乗ろうとするも中々乗れず岸辺まで何とかたどり着くが、立ち上がるとバランスを崩し中々立ち上がることができなかった。

それを見ていた近くにいたサーファーが助けてくれ妻の介助のもと海からあがって車に戻った。

その時は寒気がひどくお湯をかければ何とかなると思っていた。救急車を呼ぶことにまだ否定的であった。少し体が温まり立ち上がろうとすると全く立てない自分がいた。

救急車を呼ぶことを了承した。そして救急車の中で隊員から上下肢完全麻痺との声が聞こえ脳出血かと半信半疑ではあるが脳内出血であることを認識した。

救急センターに運ばれ被殻出血50~70mlと聞かされ

’’本当に被殻出血なのか’’とドクターに詰め寄った。それは前日の勉強会で被殻出血の事を学んだばかりであった為か...

その後の記憶はない。

気付くと一次救命の病室であった。

この後は自分の感じたことや思ったことの記憶と現実がさだかではないが三途の川の話をしたいと思います。

三途の川はやはりありました。

気が付くとドブ川に何人もの遺体が放置されその中に入るように指示されました。その時すでに亡くなっていたある人が現れ ’’まだこっちに来るのは早い’’と蹴りだされました。そこで私はブルナイ王国の王子と一緒にそこから逃げました。

救命病院に入院中私は無性にお寿司が食べたくなり病院を抜け出すと’’アッサラーム’’と叫ぶとブルナイ王国の用意したバイクを借りることができました。そのバイクに乗り私は毎晩のように駅前のすし屋に食べに行きました。

実際はブルナイの王子にもあったことがないし、お寿司屋にも行った形跡はありませんでしたが、今でもしっかりとした記憶として自分の中にあります。またある病院の立て直しとブルナイでの建設を王妃に頼まれた記憶があります。(その資金なんと7000億円...真実か?虚像か?解らずじまい)

脳出血が寓話を作り出す。

救命病院のリハビリテーションでは左上下肢が完全に動かず懸命に動かすPTにパラリンピックのトレーナーになれるように言葉をかけながら立ち上がり訓練を中心にLLB(長下肢装具)での歩行訓練を行っていた。歩行距離は20~30mか?この時上下肢の随意収縮は見られずBS1~2程度、装具なしに膝の伸展はたもてなかった。この時受傷後1か月は意識不明続き、覚醒後2週間後の時であった。意識レベルの向上とともに身体機能も少し向上し次のリハビリテーション病院も決まった時であった。

申し訳ないがPT、OT、の記憶はなくSTの記憶が強く残っている。お寿司とラーメンが食べたくてしかたなかった。

都内のリハビリテーション病院に向かう時に利用する介護タクシーの事で妻ともめる。(この時病院敷地内や海が見える場所を車いすで散歩するまで回復していたがまだ脳は混乱していた。)

それは介護タクシーがどういうタイプがあるのか仕事柄知っていたから、ストレッチャーでの移動をきらい車いすでの移動を希望していたから。

都内のリハビリテーション病院に転院し、すぐにマーゲンチューブは外され口から食べた魚料理のおいしさは事知れずであった。

リハビリテーションの開始とともにパラリンピックのサーフィン大会出場を決意する。現状認識ができないこともこの後遺症のひとつか?

PTは面白いPTで下半身を治すことを条件にPNFの技術指導することを交換条件とし約束をした。主PTは立ち上がりと階段昇降を中心に訓練を行い、サブPTはLLBによる歩行訓練を行った。(この時まだBS1~2。歩行距離30mマックスか?)OT、STは左空間無視に対するアプローチが多かった。(パズルや線引きなど)

入院中は外出してお酒が飲みに行きたかった。居酒屋に行きたかった。なぜお酒を飲んではいけないのか、たばこを吸ってはいけないのか日々格闘していた。看護婦さんやワーカーさんが娘に見えお酒やたばこを要求したが、のちに覚醒とともに違うことに気付く。

早期退院を強く要求し、無事家屋調査が終わり3月20日に退院が決まる。この時SLBでの平行棒内歩行が可能となる。距離にして3mか。

在宅サービスも週4回のリハビリデイサービスと訪問リハビリ週1回。訪問入浴なども決まり退院となる。

退院後自宅では上記に加え妻の毎日のROM訓練と室内SLBと4点杖歩行訓練により約10m歩行が可能となる。(退院後1か月,今だBS1~2変わらず)

デイサービスの変更により週3回のリハビリデイサービスとなり自宅での妻のリハビリは変わらずだが、妻との歩行訓練では連続20mの歩行が可能となる。

退院後2か月現在、室内での段差昇降は見守りレベル。SLBと4点杖歩行は連続60mへと向上する。(下半身はBS2~3レベル)左空間無視に対しては車での外出時、助手席で免許取り立ての妻の歩行者確認によって強行に行われている。

車への乗車も可能で車での外出も楽しむ毎日。

今後一層の向上を望んでいる日々である。

<まとめ>

やはり三途の川はあった。

脳出血の後遺症は多岐にわたる。

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