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「続・日本語ラップ批評ナイト」開催に寄せて(A面)

 つやちゃん

「続・日本語ラップ批評ナイト」チケット予約ページ
赤井浩太「「続・日本語ラップ批評ナイト」開催に寄せて(B面)」

 ひとまず、図々しくも「日本語ラップ批評ナイト」の“その後”を名乗るところから始めてみよう。ご存知、2016年~2017年に行われた伝説のトークイベントは、「日本語ラップ批評ナイトVol.2は批評界のさんピンCAMPになりえたか?」という挑発的なタイトルのまとめ記事が作られたことからも分かる通り、この国の日本語ラップ批評にとって重要な議論の場として今も語り継がれている。

 日本語ラップ批評なるものは、90年代からその歴史をスタートしている。磯部涼氏が元祖として位置付けた、FRONT誌「日本語ラップについて」(佐々木士郎)が書かれたのが90年代半ば。さまざまな書き手によって脈々と記されてきたミチバタの<路上の・・・呼吸・・>は、実に20数年の年月を経て、日本語ラップ批評ナイトを再びの起点に今も盛り上がりを続けている。

 しかし、全く始まらないのが、女性のラッパーについての語りである。2022年、これだけ女性のラッパーが増え、YZERRが発した<姉さんならもっとイケる>というフレーズがパンチラインと化し、ヒップホップイベントに多くの女性が集まる中で、いよいよ避けることのできないテーマとなってきた女性のラッパーについて、日本語ラップ批評やジャーナリズムは見て見ぬふりをし続けるわけにはいかないだろう。いまや、男性ラッパーがヴァースをつなぐ際の添え物として女性のラップを見世物的に使う時代は終わったのだ。

 つまりこういうことである――『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』によって<ヒップホップと女性>というテーマでの実践がようやくはじめられることになった今、私は傍流である本書とともに、ヒップホップ批評においての本流=批評界におけるさんピンCAMPである<日本語ラップ批評ナイト>に殴り込みをかけるわけだ。戦いに選んだ相手は、今年単著の刊行を予定している赤井浩太氏。日本語ラップに<政治>という切り口でナイフを入れ、革命を形象化する試みを極めて身体的なレベルで遂行している、リスペクトすべき書き手である。

 しかし、道場破りを新参者だけでやっていてもインパクトは小さい。そこで、司会として<日本語ラップ批評ナイト>メンバーである、世界一日本語ラップ批評を読んでいる男a.k.a韻踏み夫氏を招聘した。最高の布陣だ。日本語ラップ批評史を正確に捉えるために、文芸批評のパースペクティブやヒップホップ音楽に対する造詣を備えたメンバーを集めたかったという狙いもある。両氏の鋭い視点によって、私の批評自体が新たな批評・・・・・にさらされるだろう。「フィメールラッパー批評原論」と名付けた、その意図がここで生きてくるのだ。一方通行の批判ではなく、ともに対話し議論を積み上げていくことの必要性。つまり、この地点からようやくフィメールラッパー批評の蓄積が開始されるのである。

 一方で、『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』は刊行から半年近くが経過し、すでにいくつかの議論を呼んでいる。何よりも、現場での動きが生まれはじめているのが嬉しい。 フィメールアーティストのイベント「desktop」は、本書からのインスピレーションを元に大阪・東京で開催が決定。また、論評もいくつか届いているため以下にまとめておく。当日の議論をより理解していただきたく、<ヒップホップと女性>というテーマで論じられた過去の代表的な文献もあわせて記載する。本イベントの対話は、これらを前提に置きながらアクセル全開で進める予定であるがゆえ、ぜひ参考にされたい。

 書籍にも書いた通り、女性のラッパーはバトルやディスに対し否定的な立場をとる人が多い。そもそも、闘争それ自体が男性的な行為だろう。しかし、それゆえに、女性6人がzoomで集いほんの少し怒りを露わにしただけで、平和ボケの界隈はビビって大盛り上がりである。いやいや笑えない。このまま空気を読まずに、「横になって整えるメンタル」を奮い立たせ、「カムバ待ってるギャル」のためにもう一度闘おう。

いいか、遠慮はナシだ。傍流なら傍流で、それなりの心構えはできている。
かつて偉大なるラッパーはこう言った。
<神通力より強烈な奴ら/AKYは/誰にも止められない!>

【書籍に寄せられた論評】
・矢野利裕氏(ミュージックマガジン2022年4月号)※一部抜粋
「著者は、日本語ラップどころかアイドルも含めた日本のポップス自体を“フィメール・ラップ”の地平から捉え返そうとしている。それは、かつてヒップホップが既存の音楽史をブレイクビーツの地平から捉え返したこととまったく同じいとなみである。」
「一点気になるのは、評者の歴史化をめぐる“闘争”への称揚自体がすでに、ヒップホップの男性中心主義的な原理に囚われていないか、ということだ。COMA-CHIに重ねるかたちで筆者が問うていたのは、まさにそのMCバトル的“闘争”の男性性だったはずだからだ。」
 
・yuinoise氏(OTOTOY)
語りは“空気”としてのフィメールラップを変える
 
【書籍に関する対談/インタビュー】
・二木信×つやちゃん(Real Soundブック)
つやちゃんが語る、フィメール・ラッパーたちの功績とその可視化 「チャラいものこそが素晴らしい」
 
・渡辺志保×つやちゃん(サイゾーWeb)
「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史
 
・宮崎敬太×つやちゃん(TV BROS)
いま日本のフィメールラッパー批評に必要なのは「第一歩を踏み出すこと」
 
・遼 the CP×つやちゃん(PRKS9)
そこで誰が埋もれてきたのか?
 
【<ヒップホップと女性>に関する必読文献】
イアン・コンドリー『日本のヒップホップ』第6章 女性ラッパーとキューティスモの値打ち(2009、NTT出版)
野田努/三田格編『ゼロ年代の音楽(ビッチフォーク篇)』(2011、河出書房新社)
韻踏み夫「ヒップホップとミソジニーについて」(2018、ブログ)
高島鈴『シモーヌ』VOL.2~「シスター、狂ってるのか?」(2020~、現代書館)
韻踏み夫「耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――」第四回 ヒップホップ・フェミニズム/通俗性/革命的モワレ(2022、ブログ)

文責――つやちゃん

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