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【バイク教習日記番外編3】逃げてもよかったんじゃないの?

50歳153㎝の女子が無謀にも大型バイクの免許にチャレンジした時のことを振り返りながらコーチングやカウンセリングの観点から分析していきます。


満身創痍状態でも続けられたのは何故?


コケて足はまだら模様の青あざだらけ、打ち身のせいか筋肉が痙攣して足が動かしづらくなった。痛みのせいで睡眠を阻害されることも度々あった。

教習がある日はお腹が痛くなったり、吐き気やめまいがした。
病気で握力が10歳児程度の15㎏しかなかったことが判明した。

コケまくり、挙句の果てには先生のバイクに追突したり、ミラーを折ってしまう始末
最初のやる気は不安と恐怖のせいでどこかに行ってしまった
果たして本当にバイクの免許を取りたいのか?と自分の決意でさえも疑ってしまう。

逃げてもよかったんだけど…でも


不安だよね。逃げたくなるよね。もう逃げてもいいと思うの。そんな自問自答を繰り返しながらも続けて来られたのは何故か?

「なんとかなる…だろう」

そんな根拠のない想い(決して自信ではない)が漠然とあったからだと思う

自分ならなんとかするんじゃないだろうか?
どうやってかはわからないけど…

続けていれば何とかなる気がするような…気がするかも??

なんと非論理的であやふやで適当な!と言われそうだけど、どうやってかは皆目わからないけど「できるような気がする…かもしれない??」くらいの吹けば飛びそうな灯のような想いがあったからだと思う。

そのかすかな灯のような想いは、ずっと前から私の心の奥底でゆらゆらと常に絶えず点き続けていた。

鬱になりどん底からV字回復する過程で自分と仲良くなり、試行錯誤しながら乗り越えてきたという「成功体験」から生まれたものだろう。


大きく変化するときは「成長痛」は付き物だ!


鬱からのV字回復の過程でコーチングを受け、自分改造に挑んだ時期がある。

「やる気はあるけどなんかうまく進まない」
「方向性はあっているはずなのに上手くいかない」

気持ちと行動がかみ合わない、努力しているけどまるで結果がでないという停滞期を何度も経験した。

「もう嫌だ!」がんばっても何も変わらない。何度も投げ出しそうになったし、実際に投げ出したこともある。

そんな時コーチングの先生は失敗しても「チャレンジしたことを認め」受け止めてくれた。投げ出しても決して非難しなかった。凹む私を見守りつつも、タイミングを見て「次はどうしたい?」と「次は何に気を付ける?」と常に前に進むことを前提に関わり続けてくれた。

私は自分の成長を信じていなかったけど、コーチは私の成長を信じてくれていたんだなと今ならわかる。

チャレンジするときには必ず失敗やうまく行かない挫折を経験する。
それは「成長痛」のようなもので、成長には付き物なんだ。
痛い時期に必要なことは「出来る」と自分を信じて行動を続けること。
時には心が折れてもいいし、投げ出してもいい。
心には復元能力があるので、そのうち少し元気が出てくる。
そのタイミングでまたリトライすればいい。

教習中に何度も心が折れたけど、なんとか接ぎ木しつつ続けられたのは、「成長痛」として受け止めていたからなのかもしれない。

どんなに時間がかかっても、続けていればなんとかなった。過去の自分の頑張りを認めることで今と未来の自分を信じられた。

な~んて「いい事言った!」感じで締めくくろうとしているけど、今と未来の自分を信じるは言うはやすし行うは難しで…。情けなくも必死に七転八倒、四苦八苦している様子がバイク日記には綴られています。

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