見出し画像

「ない」と思い込んでいただけかも?

4月にめでたく50歳を迎えました
人生100年時代あと50年をどう生きるのか?
なんてことに思いをはせつつ50の手習いで始めたことが2つ

1.杖道(じょうどう)という武道を始め昇級試験を受ける
2.大型バイクの免許取得のために教習所通い

http://tokyo-jodo.jp/applicant/what-is-jodo

LINE_ALBUM_バイク練習_211110

免許が取れたら愛車になる予定のカワサキZR7!


人生前半の50年でやらなかったことをやってみよう!今までの自分なら絶対やらないことを…
苦手なことではなく得意なことを伸ばした方がいいそれはわかっているけどあえて苦手なことをやってみる。


運動神経をおかんのお腹に置いてきた!
体育の時間は超憂鬱で出来れば見学していたい
スポーツが楽しいって意味不明?!

スポーツから極力距離を取りつつ人生を歩んできた私
そんな私がなぜ苦手な「体を使うこと」にチャレンジしようと思ったのか?


それは「私は運動音痴!」と思っているのは「思い込みかも?」という気づきがあったから

母に「私って子供の時から運動音痴だよね?」と聞くと
「小学校低学年の頃はリレーの選手にもなってたよ」とのこと

「おや??」私の記憶的には生まれてこの方運動音痴と思っていたのにどうやらそうでもないらしい。
なにかのきっかけで運動苦手という意識がめばえ運動を避けるようになったのだろう。

 苦手なことをすると失敗や挫折して傷つくのが嫌だ!
 失敗や挫折をしたくないから苦手なことはしない 
 ゆえに「私は運動が苦手」と決めてチャレンジしない
 チャレンジしないので経験が積めず「運動音痴な私」の出来上がり!


人はある意味「なりたいようになれる!」わけですね。
それに気づいた私は「思い込み」で「体を動かす楽しさ」を知らないで生きてきたのは、もったいなかったな…と後悔したのです。

さて、そんなこんなで50の手習いで始めた2つのチャレンジですが予想通り大苦戦しています。
チャレンジを避けて経験を積む機会から逃げてきたのだから当然と言えば当然なのですが…情けないくらい思うように身体が動かないし、覚えが悪い!

生傷が絶えず、出来ないと凹み、出来てる人を羨み自分を責めるという「出来ない自分との向き合い」という新たな課題にも取り組みつつ少しずつ進めています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?