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家族と社会とコミュニケーション

親から離れることの意味をようやく理解できたように思う。親は私とは違う人間だ。

父と母が私と弟を守っていてくれたことに感謝している。ありのままを受け入れてくれて感謝している。
経済的に安定している両親がいなかったら今ここに生きていられない。社会的な評価がついても変わらずに私を大切にしてくれている弟がいなかったら私は自暴自棄になっていたかもしれない。



小学生の頃、ひどい時は皿が割れるような夫婦喧嘩に怯えて、弟と部屋にこもり電話で泣きながら祖母に訴えたことがあった。中学・高校の頃、日常生活の中でも正月や大晦日など家族のイベント時は尚更、両親の喧嘩や沈黙がお決まりだった。
それは普通だった。だから学校での平穏や楽しさは時には自分の心を殺しても死守したかったのかもしれない。いつも笑顔で明るい人に憧れた。

学生の頃は、外面は良く家族に対してヒステリックで冷静さに欠ける母が嫌いだった。今は、私たち姉弟を想ってくれていたと理解している。強い信念で育ててくれたことに感謝している。とても甘えさせてもらっていた。
社会に出たら、その母に対して逃げ腰の父が嫌いになった。何も言わないから一見優しいようで、母を救おうとしていなかった。母の不機嫌は関心ごとではなかった。愛に恵まれた人だから温厚で平和を好み、見返りの無い愛を与える意味を知らなかったのだと思う。
家族は長い間、母だけを責めた。でも人はそんなに強くない。だから他人を求める。誰かに自分を肯定してもらいたくなる。一番肯定してほしいのは一番側の相手だ。父には母を肯定していてほしかった。


私にとって、思春期の両親の不和は無力感に繋がったし、今思えば恋愛に幸せを感じることができない原因だった。
自分の意思決定に責任を持てない根本的な要因だった。
社会人が自分には遠いものに思えていた。
社会はとても大きく存在して忙しなく動いているけど、私には関係の無いもののようだった。ただ観るもの、何故か置いていかれないようにするものだった。

もっと早く社会に積極的になれていれば、親や周りがくれた掴めるチャンスに素直に飛び込んで社会的かつ経済的に今より豊かになれていたかもしれない。だけど私にとって、社会はとてつもなくどうでもよかった。

家族仲が良くなければならないとは思わない。でも、家族のコミュニケーションがもっと上手くいっていたら、社会性を犠牲にしてまで悩まなくてよかったことや、親に対して感じる必要のなかった感情があるのは事実だ。

自分の足で立ち、自分の社会を広げるために、家族と向き合ってきた気がする。
母とは特に、これまで何度怒鳴り合いの喧嘩をしたかわからない。お互いに涙を流した事も数えきれない。散々傷つけ合うことでしかコミュニケーションが取れなかった。
なぜ両親が結婚し夫婦関係を持続するのか疑問を抱いてから、理解して腑に落として他人事にするのに10年かかった。その時間と経験を引き換えに、私は家庭の平穏と家族の信頼関係を感じて満たされることができた。

人として、そう在ることに憧れていた。
澄んだ目で自然に親を尊敬し大切にしている人が、私にはずっと眩しかった。
中学卒業の時に担任に書かされた親への感謝の手紙に、ひどい事しか書けず本心から感謝できず、だから渡すこともできなくて情けない自分が嫌いだった。


両親の不和の根本的な原因は、人間はひとりひとり違うということが蔑ろになり、コミュニケーションを怠っていたからだ。

一対一のコミュニケーションは、実際何でもいいと思う。
例え雑でも、雑同士で分かり合えるし、同範囲内でしか広がらないし、その中で満足していれば誰にも問題は無い。分かり合えなければそれでもいい。お互いが了承していればいいから第三者が理解する必要も無い。
配慮が必要なのは第三者を含むチームにおいてだ。なぜならそのコミュニケーションが第三者に少なからず影響を与えるからだ。当人にたとえその意識が無くても、影響を受け与えることで関係が成り立っているし、社会の形成はそれの延長線上だと思う。
私は両親の不和からそれを学んだ。完璧な人間なんていないということを身をもって教えてもらえた。


今、弟に恋人ができたことが本当に嬉しい。
両親がお互いを大切にしあう場面が増えて嬉しい。
私は家から出て行く時が来たことを実感している。自分の人生を地に足をつけて選択していける。やっと人のせいにしないことができるようになると思う。
社会がどうでもよかったのは、一番近くの家族に対して興味を持たずに何の理解もしていなかったからだ。

父と母はそれぞれの人生を全うしている。
私がこれからも両親にできることは、これまで育ててもらったことを感謝して態度で示し続けることだけだ。

親の不和が続いても、私も弟もなんとかなっている。
十分に幸せな家庭で育った。
でも心からそう思えるまで、楽ではなかった。目に見えないから余計に。誰かにとって大したことなくても、私にとっては大したことだった。
でも、言葉にして色んな視点に晒してみれば、どうってことはなくなった。

私は自然の中で、社会の色んな人の経験による発見や発明や努力や思いやりで生きることを愉しめる。
自分には何ができるのだろうか。
美味しくご飯を食べたい。

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