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誕生

誕生日は3月11日だ。

生まれる瞬間からわがままで、予定日よりも1ヶ月早く、未熟児でしかも仮死状態で生まれたそうだ。
だから泣き声をあげていないらしい。
1ヶ月間は保育器の中でチューブに繋がれて保護されていたそうだ。

母は28歳の時、胎盤剥離のため緊急入院の末、帝王切開で私を産んだ。

出産で母子どちらかが死ぬかもしれないと医師に言われた、と父は言っていた。

幸い、どちらも今日まで生きている。


母の妊娠が発覚した時、両親は無職だった。
大学卒業後4,5年働いて、それぞれ精神的に苦しかったらしい。母の実家のある九州で休養を兼ねてのんびりしていたそうだ。

父は、母の妊娠がわかると祖母に就職を急かされ慌てて面接を受け、面接官の同情を買って半ばすがるように内定をもぎ取った。母が新聞で見つけた仕事だったそうだ。

無計画でマイペースで行き当たりばったりな両親だ。家族が今日まで当たり前のように生きてこられているのが本当に奇跡に思えてならない。周りの人のおかげということが決して過言ではない。


17歳の誕生日は、東日本大震災で多くの日常が崩壊した。
大きな地震が起きたのは、後輩がお祝いのため予約してくれたお店に入る直前だった。

命の尊さと他人のありがたみを、嫌でも感じる運命なのかもしれない。いつ死ぬかわからないということを考えずにはいられない。
だから、私は自分の命を自分の思うように使い切りたい。私自身がそう思うから、人が他人のために動くことを当たり前とは思えない。そのことを尊重する気持ちを持っていたい。
半ば強迫観念のように、そう信じている。



人間は孤独で、私は孤独な人が好きだから、孤独を楽しく生きていくために、そんな社会のために働いていたいし、わかりあうことを楽しみたい。

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