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国籍の違う人と友人になりたい

私はInstagramが好きでやっている。

でも恥ずかしいから、あまり友人にアカウントを伝えていない。
そのくせ魅力的なアカウントは勝手にフォローしてしまうから、フォロー数とフォロワー数の均衡が全くとれていない。
そのことは、私にとってあまり重要ではなかったのだけど、ふと、もう少しInstagramを活用してみたい、という欲が出た。

私は海外に興味がある。
海外の人たちにも興味がある。
これまで何人か海外の人と接したことはあるけれど、仲の良い友人はまだいない。
それなら、Instagramで繋がるっていうのも良いのではないか!
そう思って、作戦を実行することにした。

私はスナップ写真を撮るのが好きだ。
ビビッと来た時にビビッと来たものを撮るのが好きだ。
何の意味もなく見えているものを撮るのが好きだ。
写真は視覚的なものだから国境を越えるに違いない。
同じ趣味を持っているか、もしくは私の写真をあわよくば気に入ってもらえれば、
Instagramを通して海外の友人を作れるかもしれない!
毎日スナップ写真を投稿して、英語のタグを付けて、海外の人と繋がろう!

いざ実行して数日後、私の投稿にたくさんの「いいね」を付けてくれたトルコの方がいた。
とても嬉しかったので、ストーリー機能で、その方をタグ付けして「Thank you」と伝えた。
そしたらすぐにDMが来た。

何回かやりとりをしていたら、ビデオ通話がしたいと言われた。
私は、実際に会ったことのない人とのビデオ通話に抵抗を感じてしまって、少し悩んだけれどやっぱり断った。
それでも彼は何度もビデオ通話を望んだ。トルコの文化では、顔を見ることで信頼に繋がるようだった。
それを理解してもなお気分が乗らず、頑なに拒んでしまった結果、私は彼とのやりとりを続けることができなかった。

せっかくのチャンスだったから、たった一回のビデオ通話くらいいいじゃんとも思ったのだけど。
結局のところ、私はビデオ通話が嫌だったのではなく、実際に会ったことのない人と、オンライン上で仲を深めていくことに恐怖を感じていた。
令和の時代だというのに。

そんな自分がショックだったけど、今はそれを知るタイミングだったのだと仕方なく思うことにした。
じゃあいつ私は海外の友人をつくれるようになるの!タイミングは自分で作るものでしょ!友人ができれば、英語学習にも必然的に力が入って自分のためにもなるのに!異文化コミュニケーションの壁感じちゃってんじゃないよ!もっとフラットに軽くいこうよ!なにお高く止まってんだよ!
って脳内でたくさん言ってたけど、でもその声に従わなかった。
チャンス見過ごした。

せっかくのチャンスを自ら絶ってしまって分かったことは、私は"海外の友人"というパッケージに魅力を感じて、生身の人間をおざなりにしようとしていたということだった。
友人とはパッケージで繋がっていたくないと思っていたはずなのに。

思考と言動の一致は本当に難しい。


そして、私がフォロワー数を気にしていなくても、フォロワー数が人に与える心理的影響があるのは事実だと思う。自己認識と他人からの見え方に乖離があると、経験上生活に支障をきたす。私にはあたかもフォロワーがたくさんいるかのような自己肯定感がある。だからフォロワーを増やそうと思って私がつくった投稿は、残念ながら自分で見ていてとてもつまらなかった。だから結局、フォロワーが少なくても自分が面白いと思えるものを自由に投稿していくことにした。そのかわり見ている誰かは、フォロワー数を加味して私を判断することを忘れないようにしよう。
友人はそういう自分を疎ましく思うかもしれないことも忘れないようにしたい、、。

そして今の私にとっては、Instagramは友人をつくるための直接的な手段にはなり得ないと理解した。知らない世界を覗ける、無数の可能性が散りばめられた、まさに仮想空間だ。仮想空間でも友人がつくれるようになりたいな、と思った。
Instagramが見せてくれる世界の片鱗を、私はこれからも楽しんでいたい。ワクワクさせられていたい!

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