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東に拡がったキリスト教

日本においてキリスト教はアメリカやヨーロッパのものと勘違いされている節がありますが,それは間違った認識です.いわゆるイエスの絵が金髪碧眼,欧米白人のように描かれていることが誤解を生んでいるんじゃないとと言われていますが,他にも,日本に初めてキリスト教を伝えに来たザビエルはスペイン出身のカトリックの司祭であったこと.明治維新になって,クラーク博士に象徴されるような,明治政府がヨーロッパやアメリカから教師として招聘した方々が宣教の中心であったことが明治以後に入ってきたキリスト教が欧米経由となった理由だと思います.わたしもプロテスタントの教会に出席していますので,その考え方は基本的にヨーロッパやアメリカのキリスト教界の影響を受けています.

しかし,一方,自分は「正教」という教会に注目しています.日本人にはギリシャ正教とかロシア正教と言った方がわかりやすいでしょうか.ドストエフスキーやトルストイの著作には正教の信仰が色濃く反映されていると言われます.

正教は各国の名前を冠しています.日本では「日本正教会」「日本ハリストス正教会」"The Orthodox Church in Japan"  です.中心となる教会は東京のお茶の水駅近くの「東京復活大聖堂」いわゆるニコライ堂です.

ローマ帝国でキリスト教が国教となった時,各地域に中心となる大きな五つの教会がありました.エルサレム,ローマ,アレキサンドリア,アンテオケ,コンスタンティノポリスの各教会です.やがてローマ帝国が分裂すると西ローマ帝国にはローマ教会が,東ローマ帝国はエルサレム,ローマ,アレキサンドリア,アンテオケ,コンスタンティノポリスの各教会が残ります.

そして,ローマ教会はドイツやフランス,イギリスなど当時の辺境の国々に宣教していきます.これがカトリック教会となります.一方,東ローマ帝国はコンスタンティノポリスが中心的な役割を担ったようですが,それぞれの国に宣教して,信徒を増やし,教会も増える一方で,カトリックのようなヒエラルキーは作らずに,各国の正教会が対等な関係を保って,東方に拡がったようです.コンスタンティノポリス教会が各国の教会を支配するといった構造が生まれなかったようです.中近東から始まって東へ拡がった,すなわちアジアに展開していったわけです.

カトリックはご存じのように,マルチン・ルターやカルバンなどの宗教改革を通して,プロテスタントを生み出します.一方,正教会はそのような宗教改革を経験していません.ということで,初代教会の教えや信仰の在り方を忠実に受け継いでいるのではないか,という期待があるのです.実際には正教会の礼拝には未だ出席したことがなく,書籍や web 情報に頼っています.

日本の正教会の会堂や集会の数は少なく,教会堂の無い県も多くあります.東北地方では岩手と宮城と秋田だけです.日本海側の県では秋田だけかな.あっ,熊本にもありますね.熊本も日本海側の県ですね.京都にもありますが,さすがに京都を日本海側の府と考えるのは無理がありそう.

今,手元にある高橋保行さんの『ギリシャ正教』(講談社学術文庫, 1980) を眺めていると,カトリックの救いが「原罪によって堕落した」人間が起点になっているのに対して,正教では「人間が神に善なるものとして創造された」ことを強調するとなっています.この教えは,日本人に受けとめやすいのではないかと考えています.そして「聖」と「俗」を分離して考えずないとも.興味深い内容です.

この人間の価値については,以前の note でも記しましたが,私の出席する教会(プロテスタント)では,次のように考えています.

私たちは神の形に似せて創られました.確かにアダムとエバの行為に見られるように,私たちは神さまの教えよりも,自分の考えや判断を優先してしまいます (これがいわゆる原罪).でも,イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなり十字架に磔にされました.それにより,神様と私たち人間の関係は回復されたのです.2000年前に.

その真実を個人的に認め,受け入れる時に,神様と私たち個人との関係も回復します.毎日毎日,知って犯した罪,知らずに犯してしまった罪があります.だから毎日,そのことを思い,イエス・キリストの十字架の贖罪に感謝し,神さまとの関係を回復させていただいています.

目を通してくださいましてありがとうございます.


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