納富信留『プラトンとの哲学』(岩波新書、2015年)を読んで。

 本書は数あるプラトン入門の中でも異色の本である。まず特筆すべきはその文体にあろう。著者は私たち読者とプラトンとの間に立って、私たちに、あるいはプラトンに語りかける。この本を手に取ってその語り口にある種の抵抗を感じる人もいるかもしれない。しかしこの語り口こそが本書を異色のプラトン入門にしているのである。
 本書はプラトンの主要な対話篇の場面と取り組まれる問いを読者に提示することを通して、プラトン対話篇の世界へと読者を招く。語り口の柔らかさとは裏腹に学術的なプラトン入門にふさわしい内容が詳しく紹介され、本書を通読することでプラトン対話篇の全体像をつかめるようになっている。このことはR.S.ブラックやミヒャエル・エルラーの入門書を除いては日本語の著者の本では案外カバーされていなかった部分ではある。プラトンの書き残した対話篇の一つ一つがプラトン著作群の中で相互にどのような関係にあるのかが最新の研究に基づいて紹介されているのである。
 プラトン研究の全体像を提示するかと思いきや、プラトンが一つ一つの対話篇で取り上げた問いはむしろ端的な仕方で読者に提示されているのが印象的である。対話篇の対話の道行きそのものではなく、対話篇と取り組むことで著者自身が抱いた当惑が読者に語られ、むしろ読者はプラトンが提示する数々のアポリアそのものへと案内される。その難問の数々を読者に突き付けることによって著者はプラトンの対話篇を読者が自ら読むことを促しているのであろう。
 上記のこと以上に本書を特徴づけるのは著者のプラトン「への」語りかけである。中でも印象的なのは田中美知太郎が戦争に向かっていく状況下で如何にプラトン論を発表していったのかが語られていたことである。そしてその章の参考文献には井筒俊彦の『神秘哲学』が取り上げられている。著者のここでのプラトンへの語りかけは「語り」であるからこその律動を湛えており、読者にもまたプラトンを読むことの意味を問いかけている。著者の生き生きとした読解の痕跡として、著者がプラトンと四つに組んだ末に見いだされたであろう洞察の一つをパルメニデス読解に見出すことができる。随所にちりばめられたこうした洞察は単に現行の研究紹介にとどまらずに著者自身が到達したプラトン研究の最前線を垣間見させてくれるものとなっている。読者はプラトンとの対話のみならず、プラトン研究の深い森の中へとも案内されるのである。

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