若松英輔『吉満義彦』(岩波書店、2014年)を読んで。

 若松英輔氏の『死者との対話』を読み、そこに吉満義彦の名前を見出して以来、吉満義彦は特別な書き手となった。『死者との対話』において鮮烈に描かれる日本カトリック思想家の系譜において越知保夫と岩下壮一の間にいる吉満義彦は本書『吉満義彦』に書かれている通り、預言的性格をもった探求者であった。未だなお読み解かれるべき多くの問題を時代に先んじて探求した人の姿をその著作集を紐解く読者は見出すであろう。評者が関心を持ち続けている人格、良心、実践理性の問題がアリストテレスやトマスについての考察で掘り下げられており、それは単に「について」の論究を超えた内容を携えているように思われる。
 本書『吉満義彦』が刊行されたとき、吉満義彦の文章で手にすることができる刊行物は『近代の超克』に寄せた一文だけであった。おそらく本書の刊行をきっかけにして、若松氏の手による吉満義彦選集『文学者と哲学者と聖者』が刊行されて吉満義彦自身の文章に触れることがたやすくなった。それでもなお、学術的な文章は現在は絶版となっている著作集を紐解かなければならない。いつの日か読める時が来るだろうか。
 本書は『死者との対話』や『神秘の夜の旅』によって強烈な印象を残すであろう人物、吉満義彦の評伝である。若松氏の評伝はその論じられる人のことを分析するということからは遠く、どんな人であるのかを取り組もうとした問題群を読者に提示することを通して描くものである。吉満義彦がなぜこのような言葉を発したのか、その内実が如何なるものであるのかを、吉満自身の言葉と吉満が読んでいたであろう文章あるいは出来事を突き合わせる形で一つ一つ明らかにしていくのである。難しい文章というのは読者にとって書き手の目指すものが見えていない時に生じるものなのではないだろうか。若松氏の評伝を通じてそこに描かれる人々の文章に実際に触れる時、むしろ評伝では触れられることのなかった読者である私自らの心の奥底にある思いを掬い上げるような文章に度々出くわすのである。本書もまたそうした言葉との出会いを呼び覚ますような文章に満ちている。
 若松氏が編まれた選集『文学者と哲学者と聖者』を読んだ後に本書『吉満義彦』を紐解くと、本書において引用されていた吉満義彦の文章が余すところなく採録されており、本書と吉満義彦選集は対を成すものであることに気が付かされる。吉満が実感していた実在そのものとの出会いを通して、私たちはパスカル、リルケ、あるいはニーチェとの出会いへと導かれるのである。本書において描かれる吉満の姿は閉鎖的な古びたカトリックの論客ではなく、時代の切実な問いかけに自らの持ち得るすべてを捧げて取り組んだ思想家なのであり、彼の見出したものを何らかの出来上がった解答としてではなく、同じように問いを引き受け、読者自らが引き受けていくべきものであることを明らかにする。本書を通して私たちがどんな時代を生き、何を求められているのかを知らされるのである。

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