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スピリチュアルは苦手だけど、運とバイオリズムはあると思う

去年11月、台湾に旅行した時のこと。
台北の中山から地下鉄で15分ほどだったか、龍山寺の近くの地下街を歩いてたら占いがあったので、日本語OKということもあって面白そうだからやってみた。
2023年の運勢はどうか聞いたら「努力してください」とのことだった。…おお。

ちなみに、もう7月ということで自分の2023年上半期の結果を振り返ると、そりゃもうウンコでした。
今27歳で、ぶっちゃけ20代の大半は低空飛行でさまよっていたけど、今年は酷かった。特に6月。ほんとに、何するにもタイミングが悪く理不尽に遭遇した。
経済的にも精神的にも破綻する一歩手前まで行ったし、それでいてまだ傷が癒えてない。

ちゃっかり占ってもらってるところタイトルを全否定してるみたいだけど、誤解なきよう、別に占いを死ぬほど毛嫌いしてるわけではなく、当たるも八卦当たらぬも八卦だから、占いに対しては否定も肯定もしないというダブルスタンダードに捉えてる感じ。

でも、こういった思い出作りでもない限り、やっぱ基本的には占いとは程よく距離を置いてる。誰かが占いを羅針盤に例えてたけど、その羅針盤の言いなりになりすぎたら本末転倒もいいとこだろう。占い師でさえ「占いにハマる人は幸せになれない」と忠告してるのはこういうことであり、甘い言葉になびかれ、すがり続けてるうちは主体性に支障をきたし、幸せに近づくことは難しいということなのだろう。

かくいう私も、10代のころは占いが好きだった。なんかロマンチックで世界観が魅力的だったのと、とある占い師の「占いは統計学」という言葉で「占いにはそれなりの裏付けがあるんだ」と安心したから。
それでいつしか色んな命卜相といったあらゆる占いをつまみ食いしていった。西洋占星術、タロット、四柱推命、算命学、紫微斗数、九星気学、六星占術、数秘術、風水、五星三心占いなど。
でも、やっぱり的中してなかったというのと、占いを追うのがしんどくなった。スピリチュアルは現実を疎かにしてまで熱中することではないと悟った。

しかし、占いを妄信する人も「占いは統計学」とは色んな人に言い聞かせているけども、統計学の素養がある人ならともかく、統計が何たるかなんてまともにデータ分析なんてやったことがない我々凡人に知る由がないだろう。統計結果はいくらでも盛れる。…と思う(実はよくわかってない)。

そういえば、大学でちょっとだけ統計についての授業を取ってたけど、従属変数とか独立変数とか質的データとか量的データとか難しい単語がいっぱい出てきた。
その授業についていけるようになるために「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」(伊藤公一朗 著 光明社文庫)って本を読んだけど、それによれば、なんでもGoogleのロゴの青い部分を決めるのにも統計が役立っていて、ずいぶんめんどくさいことをしたらしい。数パターンの青をロゴの「G」と「 g」に施し、どのパターンの配色が一番サイトへのアクセス数が高いかを集計したうえで採用したんだって。

参考までにGoogleの青い部分


ただ集計して原因を追究するといっても手間暇かけてるんだね。

占いでも、命数なんかが統計結果なんだろうけど、わざわざその人のその後の人生について追跡調査がなされてないところ、信ぴょう性が微妙である。
的中率がカンストしてる一流の占い師は占いがすごいというより占い師の洞察力が優れてるかホントの意味で霊感の才能があるかもしれない。どのみち、あまり鵜呑みにしたくない。占いに振り回されてしまう。占いは占いであって統計学でも神通力でもないのだ、というのが私の持論。

ただ、そんな私でも、運やバイオリズムは信じていて、人生ダメなときはダメで割り切ってる。信心深くはないが、神様も信じてる。神社もたまに行く。
なんでかといったら、もちろん努力が大事なのは当たり前だが、大事なのはそれだけじゃないと思うし、インスピレーションから得られるヒントも案外バカにできないところもあると感じるからだ。
科学的セレンティビティといって、アカデミックな研究の世界でさえも運や偶然による奇跡の発見を丁重に扱うこともあって、尚の事インスピレーションはバカにできない。なにより、個人の価値観として人生には多少のロマンがあってもいいだろうとも考えてる。

それに、唯物的で理屈っぽいままだと、努力論や根性論にのめり込み、視野が狭くなるだけじゃなく利己的になってボケる傾向があると感じる。私のオカンが特にそう。
私が自己啓発とか意識高い系の類を嫌いな理由はここにある。

最近親ガチャという単語が賛否を巻き起こしたが、戦時中以来、長らく精神論が支柱だった日本社会において、生きる上で運もそれなりに重要な要素だということを気づけたのは良いことだと思う。
パナソニック作った松下幸之助も「ツイてると思える人は感謝できるということ」だと言ってたけど、なかなかに言いえて妙。

私も常日頃、自分のことを「運がいい」「幸せ」と言い聞かせるようにはしてる。口ぐせはその人を作るというから、せめていい口ぐせを自分のものにしたい。だが最近は凹みすぎて「面倒くさい」「何もしたくない」が口ぐせになってしまった。その「何もしたくない」が実現されてしまって今は単発の仕事をたまにやりしながら毎日散歩してる笑
楽しいけどね。もうそろそろ飽きてきた。

私にとっては20~27歳くらいまではずっと低迷・暗黒期だったが、もうそろそろ上向く時かもしれない。
頑張ろ。それもマイペースに。

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