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火葬と自分の骨の話

この前、アメリカ人とお互いの国の火葬事情について話したの。

あちらの国では長らく土葬が主流だったけど、今は火葬を選ぶ人が増えているみたい。
ドラマや映画に出てくるような棺を墓地に埋めるシーンもだんだん過去のものになっていくのかな?

アメリカの火葬は日本よりも高温らしくて、骨は残らずみんな灰になっちゃうんだって。
遺体が人であれ動物であれ、火葬業者に棺を預けて後日容器に入った遺灰が返ってくるみたい。

だから日本では火葬場の人が焼き上がった骨をここはどこの骨だのなんだの説明してくれて、参列者が体の下の部分から順番に壺に入れていくって言ったらびっくりしてた。


そんな話をしたせいか、ふと自分の火葬について考えちゃった。

当たり前だけど、わたしはわたしの骨を見ることはできないのよね。
それどころか孤独死してお葬式をあげてくれる人がいない人生を送ったら、わたしの骨を見てくれるのは火葬場の職員さんだけなのよね。
それもお箸でちまちま拾ってくれるわけじゃなく、きっと箒やらちり取りみたいなものでガーっと集められて何かにザーっと入れられて。

そうしてもらえるだけでもありがたいと思わなきゃいけないし、そもそもひとりで死ぬこと自体は怖くないのだけど、
でもわたし自分の骨はちゃんと
「足の指の骨が残っています」
とか
「こちらの仏さまの手首の骨はとても細いです」とか説明されたいし、
うっかり落としちゃっても構わないから、できれば参列者に緊張しながら骨を拾ってもらいたいな。
お葬式とかお経とかお墓は全然無くていいんだけどさ。


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