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『-ive aLIVE!』シナリオ分析

 流石に歴代No.1のイベストだった。新たな試みも複数みられ、その上で非常に完成度の高い作品に仕上がっていた。だが全てが綺麗に纏まっている訳ではなく、一部気になる点も存在した。


あらすじ

良かった点

 今回はアイリを中心として物語が展開しており、ブルアカのイベストでは珍しくシリアスな場面が描かれていた。シリアス要素を入れると途端に尺が圧迫される(詳細は余談を確認)のだが、今回はシナリオ構成の工夫やミニゲームによってその尺が捻出されていたため、アイリの成長をしっかりと描き切ることができていた。

・時間の飛ばし方がめちゃめちゃ良い

 アイリ1人練→アイリ逃亡の知らせ→スイーツ団決起→アイリ吐露→スイーツ団逮捕→イチカやツムギとの話→アイリ和解
 途中から最後までのこの一連の流れは果てしなく良かった。

 まずアイリが不穏さを醸し出しながらも上手くなろうと意気込むシーンはただ弾けなくて落ち込んでいるシーンから失踪に繋げるよりも落差が生まれるぶん、より彼女の問題の根深さを演出できていた。そして逃げ出したシーンを直接描かないことで孤立感の表現と尺の確保が両立できている。

 またアイリの意気込みシーンと彼女の逃亡の原因を3人が考えるシーンが隣接していることでアイリの悩みの繊細さと3人の勘違いの大味さの対比が映えていた。

 そこからアイリが心情を吐露し、先生が何か話す前にスイーツ団が捕まったという連絡が入るのもいい。まずこの物語はアイリの物語である以上、3人の強奪シーンは(たとえ見栄えが良くとも)必須ではない。もし描く場合は3人のアイリへの想いの強さを表現したいという目的で描かれることになるが、3人は行動前の話し合いの時点で既にアイリを想う気持ちを述べていた。つまり後は「実際に行動した」という結果さえあればシナリオ的には十分だったため、ここは省略して尺を稼ぐことができた。むしろ描かないことで3人があっけなく捕まったことを表現できてたまである。

 そして牢屋でのシーンは久々にアイリと再開した3人がアイリに説明を求めるシーンで場面転換が行われるが、ここも実際の説明シーンが描かれなかったのが良かった。その理由も先ほどと同様、アイリが逃げ出した理由は既に先生に語っていたため、ここで再び語るのは尺の無駄になるからだ。その説明省略のための場面転換と同時に撒いていた要素の回収(強奪の処遇、ツムギとの会話)を行うという流れも非常にスムーズだった。そして戻った頃には3人の言葉でアイリが自分を受け入れるというクライマックスまで時間が進んでいる。

 この”裏で時間を進める”という手法は重要で、単につまらないシーンを省略し面白いシーンだけを提示できるだけでなく物語世界に厚みを生み出すことにも繋がる。そして今回のイベストではそれが非常に上手かった。

・隙間の補完の仕方がはてしなく良い

 今回はイベスト10話+後日譚2話+ミニゲーム内の小話35話で構成されていたが、この小話35話の存在が相当良かった。バンドものに練習風景(=掛け合い)が必須なのは当たり前だが、ただ練習している描写をだらだら描くだけでは勿体ない。そのため基本的には説明描写や不穏な要素など何らかのプロット的動きと共に描かれることが多いし、そういった話はテンポが良く面白くなりやすい。だが逆にいえば面白い作品を作ろうとするとシナリオの都合で描写に制限が掛けられてしまうということでもある。しかし本イベストでは足りない描写をミニゲームの合間合間に短く差し込むことで本編での掛け合いの描写不足、並びにミニゲームのコンテンツ力不足の両方を解決していた。
 また今回のイベストはアイリの悩みが物語の主軸に置かれていて、テキスト分量の多くもアイリの台詞に割かれていたことが特徴的だった。このように明確な主人公を設定することは面白い物語を作るにはほぼ必須といっていい反面、複数キャラを売り出したいソシャゲのイベストにおいて特定キャラの偏重は他のキャラのガチャが回らなくなるというデメリットが存在する。だがこの問題も小話35話があるお陰である程度緩和することができている。むしろこれがあったからこそアイリ主軸の物語を作ることができたとすらいっていいだろう。つまり最高。できるなら毎回やってほしい。でも単純に制作陣の負担が大きい。だから毎回は多分無理。悲しいね。

・掛け合いが驚くほど良い

 スイーツ部はボケ(ナツ)、ツッコミ(ヨシミ、カズサ)、常識人(アイリ)とメンバーのバランスがいい。さらに一人一人見ていくとナツはブルアカの十八番である哲学的な展開に容易に持ち込むことができ、ヨシミとアイリは状況によってボケにも回せる。カズサとアイリはシリアスな展開に親和性があり、カズサには多少鋭利すぎる言葉も言わせることができる。そして全員が全員に対して強めのツッコミをすることができる。この四人は会話の自由度が尋常ではないため掛け合いが魅力的になりやすいと感じた。
 創作においてメリハリは重要であり、シリアスを引き立てるにはほのぼのとした日常パートが必要不可欠だ。そして日常の最たるものが掛け合いであるため、その掛け合いを描きやすいというのはシナリオで売り出す際にも重要になる。今回のイベストでもナツとカズサのじゃれ合いが放課後スイーツ部の日常感を演出しており、そのお陰でアイリの心情変化がより鮮やかに描けていた。

特に適度に突っ走れるヨシミは本当に便利
今回のイベストもヨシミがいなければ勘違いの展開に持っていけなかっただろう

・椎名ツムギがあまりにも──「良い」

 このキャラがいることで一気にメインストーリーっぽい硬派なブルアカ感が生まれていた。ツムギが聞き手となること物語の結末に対する先生の解釈が語られる場が生じ、また第三者からの評価が付け加えられることによってそのテーマがより強固なものへと昇華した。それだけでなくバンドという特殊な状況が生じる理由にもなり、不穏な予言により物語の展開を速やかに動かし、アイリが姿を消す理由にもなり、初心者のシュガラに彼女たち専用の曲を歌わせたいという大人(運営)の都合にも一役買い、更には癖の強いセリフで面白さも提供してくれた。この物語の一番の功労者は間違いなく彼女であり、彼女がいなければそもそも物語として成立していなかっただろう。

出番はなくとも存在するだけで無限に貢献する女
粋な空気。君は優美。椎名ツムギ。いい役割。


気になった点

 今回のシナリオは全体的に非常に完成度が高かったように感じたが、唯一「06 誰が為に」におけるヨシミ、カズサ、ナツの一連の会話が自分の中でかなり引っ掛かってしまった。そのためこのシーンの検討には少し多めに紙幅を割きたいと思う。

・3人の勘違いの処理が流石に雑

 この場面ではアイリと他3人の認識の差が反映されていた。アイリ大好きクラブの3人は彼女が自身の存在価値に頭を悩ませているとは露ほども思わなかったので彼女の悩みを過小評価してしまった。そのため「普段のアイリが抱くであろう悩み」の中から「連絡が取れなくなる程度の理由」を想像し、「自分から言い出したのに自分のせいでみんながセムラが食べられなくなるから」という答えを導き出した。これ自体はごく自然な流れであり、3人のアイリに対する評価(それくらいしか問題が見つからない→無意識的にアイリを高く評価している)が見られて胸が温かくなるシーンですらある。

 だがしかし、「アイリはセムラをどうしても食べたかった」から「3人でセムラを強奪しに行く」まで繋げる流れはこれが彼女たちの勘違いや早とちりが含まれているにしても流石に無理があるように思えた。
 そのことを検討する前に、今回のアイリ周りの騒動における3人なりの解釈を纏める。

(既に起こったこと=アイリ失踪の理由)
①アイリはセムラをどうしても食べたかった
②でも演奏が上手くいかない
③このままでは自分から言い出したのに自分のせいで皆がセムラを食べられなくなる
④自分の代わりの演奏者を探しに行く

(これからについて)
⑤セムラを手に入れれば解決
⑥代わりの演奏者が来るのは違う
⑦本番までの一週間アイリを放っておけない
⑧今すぐセムラを手に入れたい
⑨3人でセムラを強奪しに行く

 ここで私が最も違和感を抱いたのが「⑥代わりの演奏者が来るのは違う」だ。一見するとこれは別に何の問題もないように感じる。だがこの一連の流れは全て、「①アイリがセムラをどうしても食べたかった」という大前提があるから成り立っているのだということを踏まえると途端に色々な部分がおかしくみえてくる。

 そもそもアイリが悩んでいる直接の原因である③にはどこにアイリの悩みの本質が潜んでいるかという点で二通りの解釈が存在する。

3-1……みんながセムラを食べられないから(行動制限)
3-2……自分が足を引っ張っているから(罪悪感)

 つまりアイリはセムラを食べられないという結果自体を憂いているのか、自分のせいで皆に迷惑をかけてしまうという過程を嘆いているのかという二通りが存在する。もちろんこの両方が含まれている可能性も考慮できるし実際3人も多少そのように捉えていたと考えられるが、それでも彼女たちはどちらにより重きを置いていたかというと答えは間違いなく前者だ。でなければ⑨の際にアイリを犯行に連れて行かない理由を説明できないからだ。

 3人は事前に「放課後スイーツ部が終わる」というリスクを是認していた。つまりセムラ強奪という手段に犠牲が伴うことを認めたうえで行動に起こそうと決意した。しかしもしアイリが3-2によって悩んでいるのであればアイリ以外の3人のお陰でセムラを手に入れたとしても、アイリは「自分のせいでセムラを食べられない」から「自分のせいで放課後スイーツ部が終わった」という理由の置き換えが起こるだけで彼女が抱えていた罪悪感自体は解消されない。つまりどちらにせよ3人はアイリを他の手段で慰めなければならないため問題の解決にはなっていないのだ。つまり⑨のアプローチを選択した時点でアイリは主に3-1によって悩んでいるのだと3人が解釈したことが暗に示されている。

つまりこの「どうしても」は美食研究会に近いレベルでの「どうしても」を
想定している可能性が高い

 だがそうなってくると「⑥代わりの演奏者が来るのは違う」がなぜ成立するのかが途端に不明瞭になってくる。なぜなら悩みの原因を3-1だとしている以上、演奏の上手い人を入れることで確実にセムラを手に入れられることが分かっていれば、やはりその演奏が上手い人を見つけた時点でアイリの主たる悩みは解消されるからだ。つまり「演奏が上手い人の捜索を手伝う」という手段は有効に働くはずであり、それを3人が否定する理由はどこにもない。なのにこの手法が駄目な理由は本編中では「~それは違うと思わない?」「当然じゃない」の二言で済まされ、その後に続く「⑦本番までの一週間アイリを放っておけない」があたかもその理由であるかのように描かれていた。

ヨシミ「学園祭本番までの残り一週間、アイリを放ってはおけないし……。」
ヨシミ「せっかくの学園祭、アイリ抜きじゃ楽しめないわ!」

 では⑦が否定の根拠として機能するよう3-1に手を加えて「みんなが今すぐにセムラを食べられないから」と前提を読み替えることは可能だろうか?これも当然NOだろう。それでは最初からバンド練習などせず美食研究会スタイルで突撃すればいいだけの話になってしまう。

 つまり「⑨”3人で”セムラを強奪しに行く」という解決法が認められる以上「代わりの演奏者が来る」も本来有効だと認められなければならず、そこに言動の矛盾が生じている。もしこれがアイリを含めた4人で強奪するのであれば3-1だけでなく3-2も解消されることになるため問題にはならなかった(話の展開的には問題になるが)。

 細かいことのように感じるかもしれないが、これが3人がアイリの悩みについて考えるという非常に重要な場面であることが事態を深刻にしている。3人がアイリの悩みの原因を勘違いしているだけならそれは仲間のための暴走であり美しい青春物語だと言える(このシーンもおそらくそういう効果を目的として挿入されたのだろう)。しかし悩みの原因を仮定したうえでその仮定にすら矛盾が生じるような議論が行われるのは話が別だ。彼女たちの思考の出発点が「アイリのため」であるならば議論中も常に(たとえ勘違いしていたとしても)アイリの側に立って物事を考えるため、自分たちが「違うと思うから」という素朴で身勝手な理由からアイリを救える選択肢を捨て去るはずがない。つまりこの捻じれが生じた時点で3人がアイリのことを第一に考えているようで実は自分本位に行動していたと捉えられてもおかしくない。個人的にこのシーンは作りたい流れがあるがそれの辻褄合わせが上手くいかないので勢いでゴリ押したという印象があった。

・カズサの葛藤が思ったよりもない

 カズサは以前『放課後スイーツ物語~甘い秘密と銃撃戦~』においてナツたちが良かれと思って「放課後スイーツ団」を結成したことでレイサに勘違いされて事態がややこしくなった、という経験をしていた。そのため当初は(当時も最終的には上手く問題を解決してくれた)先生に全てを任せるつもりでおり、上記のような発言もしていた。なのに最終的にはそれとは真逆の行動を取ることが決まり、アイリに内緒で事態を大きくすることについてのカズサの葛藤が示されなかったのが気になった。

 そもそもこの議論の発端は「先生が解決しようとしてくれている間に私たちもできることをしよう」だったはずがいつの間にか「私たちで解決しよう」に主旨が変わっており、そのことを読み手に疑問に思わせるような描写がなかったことが気になった。つまりこの主旨の入れ替わりを「3人の若さゆえの先走り」という内容を伝えるために用いられているのであればよりそれに適した演出をすべきで、その演出のために一人だけ冷静さを残したカズサが必要であり、そのために過去イベストを彷彿とさせる発言を事前にさせていたのではなかったのかと疑問に思った。
 つまるところ、前半の「なぜアイリは失踪したのか」ではあれだけ何か引っかかってそうに描かれていたカズサが、後半の「どうやってセムラを手に入れるか」の議論では一転して疑問を抱かなくなっていたのが気になった。この態度の切り替わりが発生するには前半と後半の境目でカズサが何か吹っ切れたような描写が必要になるがそれらしいものはなかった。

このセリフ以降からカズサは懐疑的な姿勢を取りやめる
今考えたらこの設定が色々と事態をややこしくしてしまったような気がしなくもない


終わりに

 ブルアカの今までのイベストでは大きな成長はあまり描かれなかった。しかし前回の『にぎにぎと ゆきゆきて』からシリアスな展開を持ち込まれ、今回の『-ive aLIVE!』ではイベストという短い尺ながらかなり高いレベルでキャラの成長が描かれていた。しかし一部気になる部分があったのも確かだった。とはいえブルアカは性質的に加点方式で見るべき作品だと思っているので個人的には大満足だった。てかライブやらスチルやら周年でもないのにこんな力入ったもの見せてもらっていいんですか。

余談:なぜイベストでシリアスは描かれないのかの妄想

 そもそもなぜイベストでシリアスは描かれないのかというと、一番の理由は単純に尺が足りないからだと筆者は勝手に思っている(他にもメインストーリーの流れに直接組み込まれていないという理由もあるだろうが割愛)。
 エンタメ傾向の強い作品では作中のどこかでシリアスな展開が挟まれる、というか一度葛藤やら何やらで下げてから大団円に繋げる流れは映画やら漫画やらでも基本中の基本であり、「三幕構成」やら「ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)」という言葉はシナリオ論をかじったことのある人ならお馴染みもお馴染みだろう(興味がある人は↓「きちんと学びたい人~」の「物語の構成篇」辺りを見てほしい)。エンタメ作品におけるシリアスは成長という達成感を演出するための下準備であることが多い。

 だがそれには最低でも「状況設定→問題発生→主役キャラの心理描写→解決の糸口→解決」くらいのシーンが必要になり、ソシャゲの場合はその上でガチャを回させるためにPUキャラ全員を魅力的に描く必要が生まれてくる。ブルアカの場合は「配布1キャラ+PU2キャラ+復刻PU1キャラ」の計4キャラ分は最低でも当該イベスト内で準主役級の描写が必要となり、話によっては更に敵役にも紙幅を割かなければならない(ex. 『0068 オペラより愛をこめて!』のドン・アランチーノなど)。
 そして元々イベストはガチャの売上をあげるために早いスパンで更新されなければならないという制約を背負っており、そのためひとつひとつのイベストにはそこまでリソースをかけられず、結果的に尺が短くなってしまう。なのでシリアス展開を入れようとすると元々短い尺が更に圧迫され、上手く作れなかった場合はそれぞれの描写が中途半端で何の魅力もないシナリオに成り下がるという膨大なリスクがある。それだったら無理せず「状況設定→各キャラの魅力的な描写→ちょっとした問題→解決」という風にキャラの供給に割り切った方が丸い(『電脳新春行進曲』はまさにそれ)。なので今回『-ive aLIVE!』でシリアス要素を扱い、尚且つ面白いものに仕上げたことはかなり凄いことだと個人的には思っている。

 正直なところ今までのブルアカのイベストはメインストーリーと比べると面白さが二段三段下がる印象があった。それは「シナリオゲー」としてのブルアカの面白さはそのほとんどがキャラの内面を抉るような重々しい展開や七つの古則やらゲマトリアやらの哲学的な議論、つまりシリアスな部分に結びついているからだと思っている。だが前回の『にぎにぎとゆきゆきて』や周年時の『陽ひらく彼女たちの小夜曲』のように段々とイベストの方にも工夫を凝らすようになってきており、今回の『-ive aLIVE!』では世間から高い評価を得るまでに至った。これはいち先生として非常に喜ばしいことだ。
 ブルアカ運営がこの挑戦的な姿勢を持ち続ける限り、今後必ず今回以上に面白いイベストを我々に見せてくれるだろう。



結論:ブルアカは”神”













余談2:次復刻される龍武同舟もかなり面白いのでみんな読もうね


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