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『にぎにぎと ゆきゆきて』シナリオ分析+

色々と話題の


はじめに ~翻訳問題について~

今回は一部で騒がれているように文章が非常に読みづらくなっており、その理由は「警覚心」などの韓国語ならでは単語や直訳風の表現が多いことから特に韓国語→日本語の訳出が不適切だったためだと考えられている。
そのあまりの崩れ方は一周回って面白く、普段は使うことのない新鮮な表現なども見受けられて語彙や表現の幅が広げられたまである。皆さんもお気に入りの台詞のひとつやふたつは見つかったのではないだろうか。

個人的TierGOD
ここまで来たらもう惜しみなく口に出して音読をしたいレベル!

……が本記事ではそこには目をつぶって単純に話の筋を追いかけたい。
また先生の「馬子にも衣装」発言や百鬼夜行と書くべきところを百花繚乱としている部分など恐らく誤訳であるだろうと考えられる部分に関しては本来伝えたかったであろう意図を汲み取った上で判断する。


……とか思ってたらこんなのが来た。

リリースからおよそ1週間後に文章が差し替えられた。
いくら日→日とはいえ炎上後に書き始めたにしては早すぎるような気も。
「幾度も議論・協議」「要素を排除」という文面も相まって下衆の勘繰りが捗ってしまう。

 修正後は話の筋はそのままに無理な翻訳や独特な言い回しが削除され自然な会話文になっていた。そのお陰でキャラの表情も豊かになったように感じられた。物語はプロットの巧拙のみで決まらず。掛け合いの妙のみで決まらず。ただ結果のみが真実。フィックス・リリース。

ミオリネの身寄りねぇ。

そもそものブルアカ翻訳事情

 そもそもブルアカは日本のオタク文化に受け入れられるコンテンツを作るという目的があったため、開発が韓国、先行リリースが日本となっていた。そのため普通の海外産ソシャゲと違ってリリース初期から比較的自然な翻訳が行われていたのが強みのひとつだった。だからこそ今回の騒動がこれほど話題になったのだと言える。

ピカおじのインタビューの抜粋(機械翻訳)

 A.の二段落目の「Yostarローカルチームが日本文化に合わせてテキストを脚色した際に原文と内容が変わることがある」的なことが書いてある部分がまさに今回の騒動の根幹だろう。以前からグロ版で日本版とニュアンスが違うという文句はちらほら出ていたらしいので今回の件がなくともいずれ表面化していたと思われる。

 個人的には修正前はただ読みづらいとか不自然なだけでなくところどころキャラの台詞にコレジャナイ感を感じていた(特にカエデ)。そのため今回の差し替え対応や今後の制作方針には胸をなでおろしたのだが、この日本版とグロ版のズレに関しては解決していないどころかむしろ元に戻っただけなので今後この翻訳という問題にブルアカ運営がどう向き合っていくのかもひとつポイントとなるだろう。

 結果的に今回のイベストはローカライズ前の原文が出された点やローカライズ時にどのような翻訳が為されていたのかがユーザー側で確認できたという点で資料的価値の高いものとなった。

さっきのセリフの修正後
頭痛が痛くなくなった

ちなみに抜粋のピカおじインタビュー全文はこちら↓
(邦題:「感動の涙が止まらない」という評価を受けるブルーアーカイブのストーリーを書いた男 ネクソンゲームズMXスタジオ ヤンジュヨンシナリオディレクターインタビュー, 2023-04-07)




閑話休題

 という訳でいつも通りシナリオの分析をします。物語の筋は修正前後で変わっていないはずですが、一応今回の記事は修正後を対象として話します。

良かった点

 今回のシナリオはかなり挑戦的な内容になっており、今までのイベストと異なる点が多数含まれていた。それ自体がシナリオ的な面白さに直結するかはさておき、試みとしては十分面白かったと思う。

登場キャラが多い

 今回は百鬼夜行からは忍術研究部、花鳥風月部、ワカモを、ゲヘナからは便利屋、救急医学部を除いた全部活(魑魅一座含む)が登場していた。それぞれの部活の全部員が登場するわけではないし、一部はほんの数行の台詞しか与えられなかったとはいえこれだけの量をひとつのイベストで処理しつつ物語として面白いものに仕上がっていた点は凄いだろう。

登場キャラが多いという点では「陽ひらく~」も共通しているが、あちらは探索パートを用いた
オムニバス形式だったのに対し、「にぎにぎ~」は一本のストーリーとして地続きになっている。
話の作りやすさでいえば後者の方がなにかと制約が多くて大変だろう。

 またこれは個人的な感想だが、登場キャラの量に比例して書き手の負担は右肩上がりに増すので、それだけでも今回のシナリオは力が入っていたのではないかと思う。1人キャラが増えるだけでそのキャラの口調はもちろん考え方や趣味嗜好、他のキャラの呼び方、グループ内での立ち位置、先生との接し方など把握しないといけないことが増えるので今回のように大勢、しかも別の学園の生徒と接するような場合はかなり労力がかかったのではないかと思われる。とはいえ各キャラの持ちネタを披露するだけで展開を埋められるという利点もあるので全部が全部大変になったでもないだろうが。

モブがよく喋る

あら^~

 ブルアカでは3周年前後から積極的にモブ生徒へ焦点が当てられている。それは5th PVでのモブの多さ、前々回の「陽ひらく~」でもフィールド探索中のフキダシや名もなきピアノ練習生が重要な位置を占めていたこと、あるいはメインストーリーVol.5 百花繚乱編でやたらモブ生徒の新規立ち絵が多かったことなどから窺える。

 そして今回は今までのイベストと比較してもモブ生徒の台詞が非常に多かった。各シーンが「①ウミカが頑張る→②問題が起こる→③ゲヘナ生が破天荒さを見せる→④なんとか無事に終わる」という形になっており、モブの存在が話の中心に組み込まれている。今までは基本的に噛ませ犬だったり雰囲気づけだったり物語進行上の道具に過ぎなかったのが今回は明らかに登場キャラの一員として動いていた。正直あれだけ喋るんだったら立ち絵に目を足してあげても良かったと思うが、とにかく今までとは一風変わったシナリオとなっていた。

あふれだすフェティシズムこと人力車ちゃん
人力車部でも実装されない限り今後も絶対登場機会少ないし短い。悲しい

シリアスが含まれていた

 恐らく要望が多かっただろう「イベストでのシリアス」が今回初めて実装されたと言える。今までも「消えたエビの謎」の前半や「龍武同舟」のカイ登場シーンなどシリアスな場面はあったが、メインストーリーのようにキャラが絶望する姿が見られたのは今回が初めてだった。
 実のところ3周年アンケであの設問を見た時点ではイベストの尺で納得のいくシリアスが作れるのか、薄っぺらいだけにならないかは心配していたのだが、今回見た感じは初めての試みの割にはそれなりに締まっていた印象を受けた。いつかガチガチにシリアスに寄せたイベスト読みたい。

そろそろトラウマになってもおかしくない
まさかイベストでInterface (Hard Arrange)を聞くことになるとは……

ウミカとアラタの類似性

 本シナリオではウミカが主人公、アラタが敵という配役だったが、どちらも百鬼夜行のために行動していること、綿密な計画がゲヘナ生の突飛な行動で崩されてしまうこと、終盤でショックを受けるなどの共通点がある。このため終盤の皆で一致団結して消火にあたるシーンで魑魅一座が協力することへの説得力が増している。また、そこでの協力を経て円満なエピローグへと繋がっており、イベストで求められることの多い後腐れのない結末というのが実現できている。

気になった点

 今回は短い中に色々詰め込んでいながら起伏もしっかりしていて良かったが個人的にはオチの辺りが気になった。

ウミカのスケジュール順守描写とその回収の量的アンバランスさ

 ウミカがスケジュールにこだわる姿は何度も印象的に描かれていた。そのためそれが物語の中心に関わってくる重要事項、たとえばスケジュールを守ることに固執するあまり本来の目的である「客を楽しませる」という意識がウミカから抜け落ちている、というような展開に持っていくのではないかと勝手に期待していたのだが、実際はスケジュール固執に関しては「花火を早めに用意してしまった(→自分のせいで問題が大事になってしまった)」という鬱展開への導線として簡単に処理され、そこから特に何か言及されることもなくいきなり「(失敗しても)努力したことが大事、困ったら周りに助けを求めることも重要」というオチに繋げられていたため肩透かしにあった気分にさせられた。
 実際、客であるゲヘナ生が喜んでいるにも関わらずウミカは(スケジュールがずれ込んで)落ち込んでいるという構図が何度も繰り返されていたので後述の「周りが見えていない」という部分と関連して「スケジュールを守るより大切なことがある」的な繋げ方が自然だったように思う。

 「客を喜ばせる完璧な旅行ガイドには(ウミカ自身が言っていたように)突発的な状況にへの機転を利かせた対応なども必要になる。それがまだできないのでウミカは代わりに綿密なスケジュールを組むことで対抗しようとした。しかしそれが上手くいかなかった。ウミカは頑張ってスケジュールに合わせようとするも深みにはまっていき、当初の客を喜ばせることという目的が見えなくなっていた」……という綺麗な流れが見えており、そのためのお膳立ても済んでいるのに最後のシーンでズレた感覚がした。
 あれだけ特定の描写を強調したのであればそれを回収する必要が生じるし、そうしないのであればシナリオ体験へのノイズとならないよう表現を分散すべきだと思った。それがいわゆる燻製ニシン的な使われ方をしているなら話は別だが。例えるなら体操選手がめちゃめちゃ助走つけたので次ひねりジャンプとかするのかなと思っていたらそのまま走り抜けた感じ。

一応この台詞から「自分と相手の違いを知ることが大事→相手を楽しませるにはスケジュールに向き合いすぎるのではなく相手の表情を見ることが大事」という風にスケジュールに拘る描写を考慮した読み取りも可能だが、直後のウミカの「どういう反応をすれば良いのか、迷ってしまいますが……それでも、私の失敗はやはり……!」という台詞を踏まえるとここでは気づきが発生していないことが分かる。
こうした成長物語は基本的に「主人公がそれまでの経験や他者の言葉から気づきを得て事態が好転する」という構造になり、その気づき=テーマを綺麗に見せるために物語が作られるともいえるが、逆に言えば主人公が気づきを得ていないものは中心的なテーマから外れる。
つまり上記の「自分と相手の違いを~」は今作のテーマとして想定されていない可能性が高い。
というかゲヘナ生と百鬼夜行生の対比が積極的にされていた訳でもないので多分違う。

オチについて

 また「困ったら周りに助けを求めることも重要」というオチにも多少気になる点があった。「周囲からの助け」に関しては物語前半からフィーナやキララたちから貰っており、そのお陰でガイド自体は何とか大きな失敗をせずにすんでいた。しかしウミカ自身は社長(シズコ)より劣っているという意識からそのことに気づけず、社長みたいに1人で完璧にするべきだと思い込んだ結果、最終日の花火の件に繋がってしまう。それを先生とフィーナがシズコも人を頼っていたと告げたことによりウミカが立ち直った。という展開になっていた。
 つまり周囲からの助けは最初からあったことを考えると今回の物語は単に「困ったら周りに助けを求めることも重要」というテーマがあっただけでなく「責任感故に周りが見えていない」という反テーマも存在しており、それらの対比をどれだけ美しく見せられるかが面白さの肝となっていた。だが個人的にはそのテーマが思ったよりは映えていないように感じた。

 その理由はウミカが周りが見えていないことの読み手への意識づけが不足していたからだと感じた。シナリオ中でウミカが何度も悩む描写がされていたが、それ単体では(感情移入先のウミカと同様に)問題があることにしか目が向かず、周りが見えていないことの表現とはならない。
 周りが見えていない表現をするにはその人間を外側から観察する人間が必要である。つまり「ウミカを心配する(=周りが見えている)先生や他の生徒」と「その人たちの言葉が(=周りが見えていないので)入ってこないウミカ」という構図が必要になる。
 たとえば一日目夜にウミカやキララたちと話すシーンでは先生はネガティブなウミカに対してそうまで落ち込む必要はないと遠回しに気づかせようとし、キララたちはウミカに感謝を告げていたのだが、より決定的な描写を加えて分かりやすくしてもいいと感じた。このシーンの終わりは「(門限が過ぎているので)先生がキララたちを追いかけて退場→ウミカの独白」となっていたが、ここを「話の途中でウミカが明日のスケジュールを立てに一人退場→その後ろ姿をみて先生とキララたちが心配そうな会話を二言三言→ところでとっくに門限~」と繋げた方がウミカの孤立感・空回りの表現にもなるし、ウミカがキララたちの門限破りに気づかなかった(=周りが見えていない)こともより強調できていたと思う。
 また前項のスケジュール順守の部分に読み手の意識が持っていかれ、周りが見えていないという状態に意識が向きにくいとも感じた。いわば悪い意味で意識誘導が行われており本テーマに目が向きにくくなっていた。

このシーンでウミカはようやく周囲に目を向けるのだが、それ以前の描写で
周りが見えていないことが十分に強調できていなかったので
この先生のセリフが浮かび上がってくる感覚がしなかった

モブについて

 一般生徒を半分主役にする、というのは試みとしては面白いがシナリオ的には面白い訳ではない。そもそもモブは端役だからこそモブなのであり、モブを中心に取り上げるのであればその中のひとりに名前など個性を与えて脱モブ化させて感情移入しやすくした方が面白くなるだろう。
 モブの描写を増やしつつ面白さを担保するという点では「陽ひらく~」のアプローチの方が適しているように感じた。

『ウマ娘』ではモブにも身体的特徴等を含む名称と性格が与えられており、
キャラクター性を感じられるようになっている
モブをモブのままシナリオ上で引き立てる現実的なラインはこの辺りだろう

終わりに

 今回は翻訳問題のごたごたでシナリオ自体には目を向けられにくかったが、新たな試みが複数行われていながらひとつの物語として纏まっており、割と力を入れたものになっていた印象があった。またスチルやミニイラストの枚数、新規モブ立ち絵や桜吹雪や舞い散る煤の画面エフェクトなど演出面でも普段より豪華さを感じた。それらの賑やかさが今回のキーワードであるお祭りと上手く噛み合っていたように感じる。
 だが一方でボイスのないキララ、翻訳問題、ガイドカエデの立ち絵(主観)など粗もあり、全体的に見るとどこか中途半端な印象を受けてしまうのが勿体ないと感じた。


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