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3本指が、5本指になった日

私は早産で、低体重児として生まれた。

生まれた産院では、対処出来ないと、
国立小児病院(現・国立成育医療センター)に
緊急搬送された。

そして、約1ヶ月間、保育器の中で過ごした。

早産だったためか、医師も理由が
分からなかったそうだが、
左手の親指と薬指が、曲がったままだった。

両親は、医師から、
手術をするなら、小学校高学年から
中学生の間にすることを、勧められた。

その時、父は考えた。

それなら、10年以上、3本指で
過ごさなければならない。

何か、子供が飽きない、でも、
役立つ物はないか。

自分が欲しい本を探しに、
仕事の帰りに、大きな書店を訪れた時。

見つけたのが、知育玩具だった。

ものは試しと、その知育玩具を買い、
私に渡すと、右手と、左手の3本指を使い、
器用に遊び始めた、という。

これだ。

そう思った父は、毎年、
クリスマスプレゼントに、私には、
知育玩具を買うようになった。

それが功を奏したのか、私は、
幼稚園でも、身の周りのことは、
大抵、1人で出来た。

しかし、出来ないこともある。

給食では、食器を持ち上げることが出来ない。
体育では、鉄棒や、跳び箱が出来ない。

3本指では、自分の体重を支えることが、
出来ないのだ。

曲がっている指にも、負担が掛かる。

幼稚園では、許されていた、
給食のフォークとスプーンも、
小学校では、認められなかった。

校長先生も、将来を考えてのことだと思う。

お陰で、箸の使い方が、上手くなった。

そして、小学校高学年になった時。

父から、手術のことを聞かされた。

今やるか、中学まで待つか。

私は、手術は嫌だ、と答えた。
単純に、怖かったのだ。

前は出来なかった、跳び箱も、鉄棒も、
練習の末、出来るようになった。

食器を持ち上げることは、苦手だったが、
それでも、何とかなっていた。

そこで、中学生の、受験に支障がない時期、
に、手術すると決めた。

本当なら、1〜2年生が良かっただろうが、
結局、3年生の夏休みに、
東京の親戚の家に、3週間近く、泊めてもらい、
手術した。

手術の後も、縫合のズレが出てきていないか、
また、抜糸まで2週間、
その後のケアに、1週間掛かる。

手術した日の夜は、麻酔が切れて、
痛み止めを飲んでも効かず、
眠れない夜を過ごした。

それから、30年近く経つが、
毎年、冬の寒い日は、縫合したところが、
シクシクと痛む。

この痛みは、3本指から、5本指になった証。

そう思うと、何となく、愛しく思えるから、
不思議だ。

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