僕の場合の文字の使い方

私は文章を書くと言う行為に蓋通りのやり方を持って接する。notionに内省的なことを書く場合とiPhoneのメモアプリに歌詞を書く場合である。

他人に対する解釈を文章にするのは言語化することで思考話整理するためであり内省的な活動であり誰かのためではない。しかしそれを自分にも他人にも読める形に推敲して共有することは誰かのためにもなると思う。初めは何の計画性もなしにただ自分の内省のためにしていたことが意図せず誰かにとっても役に立つことになり得る。
この種類の文章を書く時に一番初めはまず自分の言葉で主観的に量を多く見たままに写真を撮るように書いておくべきだ。その後に何度も読み返して客観性を加えて自分を含めた人間に伝えるための文章に変えていく。
会話は主観的で即興的なやり取りであり一つ一つのやり取りに時間をかけたり読み返すということがままならないため浅い内容に妥協せざるを得ない性質がある。
主観的で即興的な写真的な記録を筆者の内省を通して深い内容かつ相手に伝えるものに変容させるという工程が文章を書くことであり、そのため文章は会話とは対照的に深く視覚的認知が可能でわかりやすいという性質を持つ。

他人に対する解釈を整理するために書くのはいいが、愚痴は歌詞に書いてはいけない。その場で言わなければ言った結果の現実の行動記録を書くべきである歌詞はかけない。愚痴は歌詞にしてはいけないし受動的人間の癒しや暇つぶしや現実逃避にすぎず人の主体的な感情に訴えかることができない作品になる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?