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形をありがたがる文化

 不勉強にしてこの芸人さんを存じ上げませんし高級寿司店なるものにも行ったことがないのでなんとも言えませんけれども、聞いた限りでは(ほんとにそんなイカれたお店あんの?)という印象でした。でも、このニュースから感じたのはお店がひどいうんぬんではなかったのです……今夜のニュースつぶやきは拡大版です。


■形をありがたがる文化

 もし、ほんとうに一貫握って出してあとは常連客とのおしゃべりに興じて次のお寿司が出てくるまでに15分かかるお店があるのだとしたら。そのお店に行く理由とは、食事を楽しむ以外のところにあるのでは……と考えてしまいます。
 例えば、従業員とおしゃべりすることが目的だとか。これがホストクラブとかでの話だったら、料理が出てくる間隔が15分だろうが30分だろうが大して問題はないのではないでしょうか。料理が目的ではないのですから。これなら、そういうお店だと思わず普通の飲食店として利用しようとする方に落ち度が問われそうです。
 もうひとつは、お店で食事や会話を楽しむのが目的ではなく、そこに行くこと自体に満足感を覚える場合。それこそ高級店だったり、話題のお店だったりすれば、その空間に自分が存在したという事実に価値があるわけです。いわゆるステータスというやつですね。

 ニュースに出ていたお店がそうかどうかはさておき、この後者の理由──形をありがたがる文化は世の中に深く根づいているように思います。どれだけ内実がイカれていても、何かで(一時のことであっても)世間的な評価を得た……ミシュランで星を取ったとか、芸能人が来たとか、そんな事実があれば、それだけで価値があると思い込む人は多いでしょう。


■「形」の功罪

 これには、利用できる面と、危険な面とがあります。

 利用できる面とは、言わずもがな「宣伝効果」です。価値があると思いこませる、信じこませることで、利益を誘導することです。実際にどうなのか自分で判断しない、それか自分では判断できない人がこれに従いやすく、またそういう人は、いわゆる権威におもねる傾向が強いと思われます。不思議なもので、思いこみや信じこみが激しいほど、実際の自分の体験にも、都合のいいバイアスがかかってきます。すなわち、そういった人の脳内では「おいしいから名店」なのではなく「名店だからおいしい」という思考制御が強烈にかかっていて、正常な判断ができにくくなる、ということです。

 この場合の正常な判断とは、完全なる自分の意思での判断、ということであり、これができなくなるということは、自由意思を持つ生物としてかなりヤバいことなのでは……と、私は思うんですね。
 ただ、世の中のすべてを自分の価値基準で判断しようとするとけっこうな精神力が要ることは私にもわかります。であるからこそ、コマーシャリズムは今日のような発展を見せてきたのでしょうし、現代日本人はある種の統制が取りやすくなっているというのも納得できます。

 では危険な面とは。

 それは「洗脳」です。意図してある種の情報を遮断する、あるいは偏った情報だけを通す。その情報を受け取った本人が不利益をこうむるような内容であっても──高級店に行ってほったらかしにされるというような──それをしかたのないこと、もしくは当然のこととして受け入れてしまう、そんな状況を作り出すことがいともかんたんにできてしまうことです。
 これが高級店に行ってないがしろにされることで済むならともかく、もっと身近なところで起きたらどうでしょうか。noteでとある人の投稿が絶賛されている、しかしそれは自分にはとても賛同できない内容だった。みんながほめている。では自分の感覚がおかしいのか。みんながほめているから価値があるに違いない。なら自分も讃えよう。
 または、もっと大きな規模になったらどうでしょうか。自国が軍を出して他国に攻め入っている。総帥が先に攻撃してきたのは相手国だと言っている。テレビや新聞もそう言っている。ネットでも反対意見は見られない。ならそうに違いない。やむを得ない、早く戦争を終わらせるためにも早期に相手国を攻め落とそう。……と。


■形に頼らないために

 権威と数に頼ってしまう心理と、権威と数を頼るしかない状況に持っていく手管。私たちが自分自身を振り返って、自分はそうではない、と言い切れるでしょうか。

 このニュースの芸人さんは、他の全部を抜きにしても、少なくとも自分の目で見て、自分の考えで価値を判断したわけです。高級店だからという理由では、納得しなかったのです。
 私自身で言えば、梅の名所をめぐるときにあらかじめネットで調べてリストアップしていったわけですけど、実際に行ってみると(大変だ……ぜんぜん少ない……どーしよ)と思うところも少なからずあったのです。これもまた、ネット情報にいいように操られた結果と言えなくもないでしょう。また、地域によって梅の満開時期に大きなズレがありました。都合よく目当ての梅林の開花状況をツイッターとかに上げてる人がいるわけもないので、こればっかりは自分で行って見てみないとわかりません。

 形をありがたがる文化から逃れるには、自分で行動し、知識を積み重ねていくのが基本です。そしてときどき他の人の考えを知ることが大切です。できれば、このとき意見を聞くのは、自分と同じような自律行動型知識集積マンのほうがよいでしょう。ただし、これをやると、少なくとも今の日本的社会ではかなり浮いた存在になります。友だちが減ったり、親兄弟と険悪な関係になるかもしれません。

 多数派に向かって物申せば叩かれる、そんな風潮はこの国というか風土には強く根付いています。でも、そこには物申されては困るという者が必ずいるはずです。はたしてそれは、従業員を丸めこみたい会社の上層部か、近所の目を気にする親か、都合よく国民を使役したい政治家か。

 いつの時代も気に留めなければならないことが、今こそひとりひとりに問われている、そんな時代な気がしてなりません。この記事を読んで、そんなことを思いました。




今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

それでは、ごきげんよう。

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酎 愛零(ちゅう あいれい)
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