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いくつもの海 母なる海

海なし県に生まれ育ったからだろうか。

海への憧れがもうずっと昔から止まらない。

伊豆の沖縄にも劣らない生命力溢れる海

それでもやっぱり透明度はどこにも負けない沖縄は宮古島の海

数々の小さな島の母親のような包容力のある瀬戸内の海

東尋坊に打ち付ける今にも人をさらっていきそうな波を作り出す日本海の海

一口に海と行ってもそれはそれはいろんな顔を持つ、特に日本の海が大好きだ。

海好きがこうじて30歳前後でダイビングの資格も取ってしまった。過去に数々の資格を取ってきた私だが、実はこの資格が一番取って良かったと思えるものかもしれない。海に潜らなければ見えない景色があって、世界地図全てが選択肢になるあの感覚は、ダイビングをしていなければ味わえなかったものかもしれない。

ダイビングを初めてした時になにが一番衝撃だったか、というと海の生き物たちがとてもとても寛容だったこと。私たちが海に入ってもさほど驚かず、【あら、きたの。いらっしゃい。】って感じでチラッと見て寄ってきたりする。まるであなたも私も元を辿れば海から発生したんだから同じなのよ、と言っているみたいだった。海の大きさは物理的な大きさだけでない。本物の包容力を携えているのだ。

海は死とも隣り合わせなのはもちろんだが、死すらも次の生命につながっている。そんなことを、先日たまたま見たドキュメント番組で思った。

そんな海が今危ぶまれている。今見たり食べたりできている魚が未来にはいないかもしれない。循環ができなくなるのだ。これほど恐ろしく悲しいことがあるだろうか。未来に生きる人たちにそれを残せないなんて。

次に海に潜ったら一つでもいいからゴミを拾ってこよう。海に悪影響を与えない日焼け止めを塗ろう。

今まで私を心身ともに救ってくれた海に恩返しをしたいじゃない。

ありがとうの気持ちを込めて海を想う。そんなことからだっていい。

日本の海を、そして世界の海が少しでも悲鳴を減らせたらこれほど嬉しいことはない。



#海での時間

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