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ヌードモデルでおくりびと。生と死に向き合う渡邊明日香が見つけたい、人の美しさ

『ミスiD 2021』のファイナリストに選ばれた渡邊明日香さんは、ヌードモデルとして活動しながら「おくりびと」として知られる湯灌師のお仕事をされています。また、学生時代から大好きなメイクを武器に障害を持つ方の施設や高齢者施設に赴き、メイクセラピーを行ってきました。

自分の身体を使って「生命の美しさ」を表現するかたわら、「死」とも向き合う。対極とも思えるそのふたつはそれぞれ密接に影響し合っていると渡邊さんは語ります。彼女が人生の大きなテーマとして掲げる「人の美しさ」、そして、自分や誰かの人生にふれる中で手に入れた「身体は器」という考えはどのようなものなのでしょうか。

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渡邊明日香 / わたなべ・あすか
1994年7月4日生まれ。兵庫県宝塚市出身。関西学院大学人間福祉学部社会福祉学科卒。社会福祉士 / 精神保健福祉士 / 臨床化粧療法士。福祉施設にてメイクセラピーの提供を行うかたわら、2017年に“はだかの被写体”としての活動を開始。現在は湯灌師としても働く。(撮影:Katsuki Tanaka)

メイクは100を120にするだけじゃなく、50を100に近づけることもできる

ー渡邊さんは学生時代からメイクセラピストとして活動されていたそうですね。昔からメイクを通して、誰かの内面に向き合いサポートすることに興味があったのですか?

渡邊:美容を使って人の役に立てるかもしれないと最初に思ったのは中学2年生のときでした。当時、リストカットをしているクラスの同級生と仲がよくて。ある日、「痛くないの?」って傷に触れたときがあったんですけど、彼女は「こんなに汚い腕に触れてくれてありがとう」と言って泣いてしまったんです。そのときはただの中学生なので何もできずそばにいるしかなかったけど、その出来事をきっかけにメイクについて調べるようになり、傷を隠すカバーメイクというものがあることを知りました。

メイク自体は中学に上がった頃から好きだったんですが、初めて自分の好きなことで人の役に立てるかもしれないと気づいたんです。そこから自分で勉強を重ねて、高齢者や障害者の方々や、多様な悩みを抱える方にアプローチしたいと思うようになりました。

ー「メイクはおしゃれのためのもの」というイメージがあると思いますが、実際にメイクセラピーを行う中で、メイク自体への印象の変化はありましたか?

渡邊:楽しかったり、ハッピーになりたかったり、プラスの働きを求めるのが一般的だと思うんですけど、私が施設で行っているのはマイナスを補填するメイクなんです。例えば、人間の持っているものが100としたら、何かしらのかたちで少しずつゲージが削られている方々がたくさんいます。障害がある、歳をとって認知症になってしまったなど理由はさまざまですが、「私なんて」とマイナスに引っ張られている状態の人を、元の状態に戻していく。100を120にするというより、50を限りなく100に近づけるツールとして美容を使っています。

どっちも正しいメイクのあり方だと思うけど、ただ生きていくのもしんどい時代で、自分のことを好きになれる瞬間を一瞬でも誰かと共有できたらいいなと思って。

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撮影:田中優実

ー実際にメイクを施した方から、どういった反応がありますか?

渡邊:例えば、おばあちゃんだと最初は「私なんて肌もしわしわだし、化粧なんてしても意味がない」と拒否する方が多いんです。それでも、まずはおしゃべりするところから始めます。「私、めちゃくちゃメイク好きなんよ」とか「よかったらこの色似合いそうだから、試しに塗ってみない?」とか。そこから少しだけでもメイクして、鏡を見てもらったときの瞬間の「わあ!」っていうお顔が本当に素敵で。一瞬の出来事だし、メイクは取ってしまえば終わるものだけど、その表情を大事にしたいんです。

あと、認知症を患うと日常生活すらままならないこともあるんですけど、お化粧道具を目の前に広げると普通にメイクできる方もいるんです。誰かの介助がないとご飯を食べられない方も、メイクは自分で動作ができる。その人の人生にとって美容はとても大事だったんだなって歴史に触れる気持ちになれるし、記憶よりもっと奥の心に残るんだと思えます。


常に「私らしく」いなくても大丈夫。もっと適当でいいんだよ

ーそうした経験から「人の美しさ」について考えるようになったそうですね。渡邊さんのInstagramでもたびたび美についての考えが投稿されていますが、どのように「美しさ」を捉えていますか?

渡邊:私が普段関わっているメイクは、少なくとも広告的に売り出されている美しさとは違うと思います。でも、私が普段から見ている、メイクをされて素敵な笑顔でいる人が美しくないわけがないんです。自分が見ている美しさって何なんだろうというのは、私の中で人生の中で探し続けたい大きいテーマのひとつです。

人を見て美しいと思うのって、何をどう感じてそう思うんだろう? ってずっと不思議で。世間的には、美容の雑誌やネットを見ても「HOW TO」がいっぱい載ってるじゃないですか。二重で、鼻筋が通ってて、彫りが深くて顔小さくて、っていう「美の条件」があり、それを叶えるための「HOW TO」がある。でも、それを突き詰めたらみんな同じゴールを目指すことになりますよね。これだけたくさんの人がいるのに。

私が会う人たちは10分、15分座っているのもしんどかったり、じっとできない人もいるから、必ずフルメイクするわけじゃないんです。ちょっと口紅さすだけ、眉毛描くだけということもあります。でも、そういう付き合い方でいいと思ってて。マニュアル通りにする必要もないし、逆にすっぴんでもいい。だけど世の中には「こうあるべき」があふれ、知らない間にすりこまれて、みんなコンプレックスを抱えてる。美を生業にしているので変かもしれないですけど、「もっと適当でええやろ」とは思っています。究極、ありのままを美しいと捉えることができたらメイクなんていらないんですよね。

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撮影:Miu

ーここ数年の間に、「私らしく」という言葉をSNSや広告でよく見るようになりました。でも、すこし綺麗事っぽいというか、実際は「私らしさってなんだろう」と悩むこともあるだろうし、ありのままの自分を美しいと思うことは決して簡単ではないと感じています。渡邊さんは、「私らしく」生きるために何か必要なことってあると思いますか?

渡邊:私自身、私のことはめっちゃ嫌いだと思いながら生きてて。みんなが「私なんて」って言うのもすごくわかるし、これだけいろいろ仕事をしてても、結局「私なんかぜんぜんあかんわ」と考える日もあります。でも、そういうものなんだろうなと最近思い始めて。私のことを常にずっと大好きっていうのはそれこそ綺麗事で、人生山あり谷あり、自分自身を100%把握すること自体できないと思うんですよね。だから、「ありのままの私らしくいよう」って時代的に言えるようになったのは大きいと思うけど、これをキャッチーなコピーとして乱用して、次の流行が来たら終わりというのであればもったいない。

あと、「ありのまま」っていうのは、「生まれたままの姿に手を加えず、何もしなくてもいい」とは意味が違うとも感じています。作り込む必要はないかもしれないけど、だれかに強要されずに、自分で自分の「こうありたい」を決められたらいいですよね。

ー先ほどおっしゃっていたように、コンプレックスを抱えて苦しい思いをしながら規定に沿うのではなく、自分で「私らしさ」を決めていけたらと。

渡邊:ただ、今は「私らしく」いないとだめな時代になってる気がするんです。でも、ずっと自分探ししてもいいし、迷走してていいと思うんですよね。懐の大きさがあれば自然とお互いのあり方を受け入れられるようになるはずだから、私は自分自身も一事例として捉えているし、私が日々会う人たちも同じく一事例として受け止めています。

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撮影:Miu

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