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鏡の中のうつくしいひと/戸田真琴


 ふと、鏡の前に立ってみる。AVデビューして半年くらいの頃に、自分の身体を客観視できたほうがいいのではないかと思って買った、天井にも届きそうな、やたらと大きい鏡。汗で濡れた服を一枚一枚脱いでいくと、見慣れた裸が目の前に現れる。年齢と同じ数だけの年月を共に生きてきた身体。ただぼうっとそれを眺めるとき、それは親しい友人のようにも感じられる。ここ最近は首から肩にかけてのカーブが浅く首が短く見えるね、毎日パソコンの前に座って文字を打ったり、それをリュックにつめて重たいまま街を彷徨っているのだから肩も人一倍凝るよね。腕は例年通り夏が近づくほどに小麦色になる。焼けたねって笑われたり、もっとひどい頃には美白のための努力を怠っているからだって会ったこともない人にSNS越しに怒られたりもしたけれど、わたしは太陽を避けていたいとは思わない。眩しい世界を見るために生きている。一生懸命生きているからね、UVカットよりも優先したいことがあまりにもあるものね。左右すこしだけ大きさが違う胸も、ピンク色じゃないってやっぱり怒られたことがある先端も、ずっとわたしは特別変なのかなって悩んだこともあったけれど、ぜんぜん変じゃなかった。それが、それこそが好きだと言われたきらめく瞬間を覚えている。縦にすっと影が入った腹筋は鍛えていないのに筋肉質で、小学生の頃から上体起こしの記録だけが妙によかった。数年後胃腸が悪いことをきっかけに病院にかかると、ずっと緊張して腹筋に力を入れてるんでしょう、と先生に言われた。背中からお尻までのラインも、同じく筋肉質でよく歩くふくらはぎも、全部ここがなぜこういう形に育っていったのか、その軌跡を見てきた。わたしの身体、不自然にウエストを細くレタッチされて悲しかった私の身体。見える限りの黒子の位置をけっこう気に入っている私の身体。私はこの、たまたま入った魂の乗り物としての肉体のことを、美しいと思う、誰もいない部屋で鏡の前でそう思う。砂丘に風が吹くたびにシルエットが変化していくように、夏の昼間に実った茄子のように、きっと美味しい、美しいなと思う。

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 だけれど、これがこの部屋の外に歩いてゆくとき、とてもさまざまな傷を負う。他者からの評価という、ほとんどが石礫、仮に肯定的な言葉が投げられたとしてもそれさえも勝手な評価であることには変わりない。一歩外に出た瞬間から、なにかより優れているだの劣っているだの、色や形はあっているのかと、本来存在しない正解不正解の前に晒され、価値を測られつづける。ただ生きてきただけの身体だ、正解以外はずっとないのに。

 どうにかあの、ただふと鏡の前に立った時のような、あのなだらかな、心臓が鼓動していることと地続きの当たり前の肯定が、君の身体の奥から湧き上がるように。人目に晒され続け疲れてしまったその身体に、誰かにジャッジされることを恐れて隠し通してきたその身体に、それらをなんとかして守り抜こうと闘ってきたその心に、私たちができることはなんだろう。そう模索してこのプロジェクトをやっている。撮影対象は自分ではないけれど、被写体となる女の子にいつも、自分の身体と心の受け止めてきたこの世界の有様を、救いを求めるように、預けてしまっているところがある。

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