自分だけの詩

私が詩を書き始めたのは、日記の端っこだった。その頃の日記を読むと絶不調で、自宅療養のなぐさみに日記を書いていて、詩の他にも小説を書いていた。たぶん、10年くらい、そんな感じで誰にも見せられない、自分のためだけの詩を書いては、時々読み返していた。
 その頃の詩は、人に見せるつもりもないものなので、まぁ本当に真っ逆さまに暗い。ただ、孤独だった私は、少しは社会とつながりたくて、その中から人に見せてもいいかと思った詩をWEBに載せてみることにした。最終的には20篇近くUPしたが、こんなところを訪れてくれる人がいるのかと期待はしてなかった。

 そんなある日、久しぶりに会った友人から、こんな話を聞いた。ある小説のなかの記述に「防空壕 詩」で検索したところ、一つの詩にたどり着いたという箇所があったので、自分もやってみたら、それは香澄海の詩だったということだった。よくできた話だけど、友人が嘘をつく必要もないし、その手の嘘を言うような人でないので、そんなふうに「つながる」ことに素直にびっくりした。その時のホームページは随分前に閉鎖したし、どんな詩だったのかも今や覚えていない。

私が日記帳に書いた詩を自分だけの秘密にしなかったのは、やっぱり誰かとつながりたかったのかな。さっきそう書いたから、気づいたんだけど。それだけじゃなく、誰にも読まれないのは不憫だと思ったのかもしれない。

しかし、私はいったいどうやって「人に見せてもいい詩」を決めているのだろうか。最初は「暗すぎるかどうか」だったかな。でも、その後、だんだんハードルが下がって、暗いのも載せていったような気がする。
今は、推敲して寝かせて推敲して寝かせて、もう書き足さないと思ったら発表することにしている。ただ、書き足したいけど今はできないものはまだ発表しない。それと、感情表現があまりにも未熟だと思われるものや冷静さを欠いているものもやめている。そう、私は感情があまりコントロールできない口なので、そこが推敲の1つの山場なのだ。

さて、懐かしくなったので、昔書いた暗くて感情丸出しの詩を一つ、置いておくことにしよう。

ハト

悲しみの思い出はつきることなく
未来の暗黒を誘う
私の心は ぐるぐるとトグロを巻いて
ノド元をぬるぬると絞めつける

いつかと思う気持ちに覆いをかぶせて
どうせとあきらめるカサブタが増えていく

あなたに宛て手紙を書きたいけれど
あなたは読んでくれるはずもない

私はあなたに 酷いことをした
私はあなたに 愛情を持っていた
だけど あなたは
そしらぬフリで通り過ぎていった

「手前の坂道でハトの死骸を見つけました
ハトの首筋にはまだぬくもりが残っていました」
そんな書き出しの手紙を
誰が読んでくれるだろう

私には何も残されていない
そんな取りこぼされたような
寂しさが滲む
どこにも行く宛がなく
じっとうずくまるだけだ

これを今、推敲したら、どうなるんだろう?ふと、そんな事を考えた。

しかし、考えてみると、今書いてる詩も何年かしたら、書き直したくなるかもな。宮澤賢治さんは最期のときまで推敲していたと読んだことがある。


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