雑記(2024/4/28)-生まれ出づるトルテ

絶賛体調不良気味のトルテです。
最近は気温の変動が激しくて、昼は暑く夜は寒い。
特に私は暑いのが嫌いなので、昼は辛いですね。今は諸事情でエアコンも使えず窓も開けられず、うちわひとつで凌ごうとしてますが、そのうちぶっ倒れるのじゃないかな。

まあそれは置いといて。
今日は4月28日、とてもいい日です。
4かける2はイコール8だし、428〜封鎖された渋谷で〜という名作も4月28日の出来事を描いています。
そして私の誕生日でもあります。

悩みとは尽きぬもの。「生まれ出づる悩み」は手元にはありますが、読んだことはないです。あらすじは知ってるけどね。
昔から日本文学が好きで、夏目漱石の明暗とか、堀辰雄の風立ちぬとか、木山捷平の尋三の春とか、今でも好きですね。
いつか死ぬ間際には木山捷平のように点滴日記でも書いてみたいものです。

ノベルゲームが好きなんですが、その根底には小説を読み耽った過去があります。星新一のSF短編集は小学校の時分に図書館にあるもの全部読みましたし、ちょっと難解な小説でも自分流に解きほぐして、人にその魅力を語るのが好きでした。
人の人生を垣間見るのが好きなんですよね。自分では成れない誰かの人生は素敵で、死のうが生きようが物語には終点がある、それは少し悲しい。物理的な本って残りのページ数で結末が近いことを察したりしますが、ずっと浸っていたい世界観だと悲しいですね。吾輩は猫であるなんかはそうでした。逆に、苦手な話なら終わりが見えてきて気楽になったり……。

ゲームって時に酷ですよね。
プレイヤー自身で物語に決着を付けなきゃいけないことが多々ある。自ら物語にピリオドを打たされるのです。それが惚れ込んだ世界であればあるほど、終わりに向かうことが億劫になったり、ゲームへのやる気が減少することもあります。ですが、画竜点睛を欠くって言うし、自らその作品を完成される行為として、自らキャラクターを操作してエンディングを迎えることは唯一無二の物語追体験と言えるのかも知れません。

時に架空の世界では残酷になれるし、聖人にもなれる。
小説であろうとゲームであろうと、それが現実に関わらないなら何をやっても何を見てもいいのです。小説内で私が殺人鬼だからと言って読んでる私が殺人鬼にはならないし、ゲームの中で聖者と讃えられた英雄を操作しても現実ではそうじゃないこともある。でもそれが気楽でいいですよね。MMOだって、現実の延長線上のコミュニケーションに思えるけれど、実は違うレールに乗った違う軸での交流だったりします。ロールプレイングがゲームの基本ですから。

時に考えます。こんな小説を書いてみたい、ゲームを作ってみたい。いやむしろ、自分ならもっと魅力的な物語を生み出せるはずだと。
そうではなくても、そうであっても、それは素敵なことです。何かしらの原動力になり、良い方向に使えば人を惹き寄せます。悪い方向に活かすと自滅に追い込まれるかもですが。
まあ何にしろ、架空の世界で得た知見を、そのまま現実に持ってこずに自分ならではに変換して活かして、創作をしてみたり仕事をしてみたり。
時に悩みなんてどうでも良くなる鎮痛剤代わりにもなるし、自分をどんどんと追い込む壁にもなる。心持ちで変わるものは、その人の心の形がどんな形でもフィットしてくれるのです。

自分の誕生日は好きですが、焦りもあるのです。
来年の私はそんな私を笑うでしょうか。
でも、そうして歳を重ねるなら、生きる限り生き抜くことも容易いなぁと思います。
最近は古いゲームをよく集めますが、知らなかったものは例え紀元前のモノであっても新しいのです。そうして、古いものを知るから新しいとは何かを知る、温故知新とは私の身体と人生を形作るのだと思います。

私はあまり創作が得意ではないですが、小学校の時に小説を読み耽った自分を、中学校の時に多くのゲームに目覚めた自分を、否定はしたくないのです。自分の軌跡をこんなにも大切にしたいと思うのは自分だけなのだと思います。

面白い物語を知ると面白いのです。
ゲームを遊ぶと幸せなのです。
そう言った感じで、これから一年も頑張っていこうかと思います。

最後に、最近よく松任谷由実さんの歌を聴くのですが、そのひとつ「返事はいらない」の中にこんな歌詞があります。

昔にかりた本の中の いちばん気に入った言葉を
おわりのところに書いておいた
あなたも好きになるように

荒井由美「返事はいらない」

この歌詞、好きなんですよね。いや、急にそんな言葉書かれても訳わかんないだろ!となりつつも、ロマンチックで。
ちなみに、「返事はいらない」を聴くならアルバム版よりシングル版の方が断然良いです。個人的にはですが。

それでせっかくなので、私も好きな詩でも書いて締めましょうか。
好きにはならないんじゃないかな。だって急にそんな詩書かれても訳わかんないもんね!
文脈だってわからないからね。
それでは。

晩春
 
尋ねて来たのに
主人は留守である。
主婦も留守である。
新緑の縁側に
茶碗が二つ置いてある。
──では失敬
ぼくは待っているわけにはいかないのだ。

木山捷平「点滴日記」より

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