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「人間の身体のだいたい半分くらいは優しさで出来ているのだから。」

ねぇ、優しく話そ。


誰かを否定するのは簡単よ。

それを、発信するのも
とても簡単なことね。

どんなことでも、
誰かを否定するとき
ある一定数の賛同者はいるから、

それで、さも正しいことを言ったような気になるのね。

でもね、
否定されたほうはね
悲しいのよ。

傷つくのよ。


何処かの誰かにとっては

いつもの発信のひとつに過ぎないような言葉は

どこかの誰かを平気で傷つけてるの。


「嫌なら見なきゃいい。」

そうね。


でも、意図しないで目に飛び込んできたら?

それで誰かを深く傷つけてしまったら?


投げかけた言葉で相手に嫌われるだけならいいわね。

でも、もし
それを見た相手が
取り返しのつかないほど傷ついてしまったら?


特定の人たちを叩くのも
言論の自由なのかも知れない。

それに賛同するのも
反論するのも自由よ。

でも、それで傷つく人がいること
決して忘れてはいけないのだわ。

あたしが大切にしているのは
「言わない美学」

何を言うかより
何を言わないかをいつも考えて発言する。

そこにはいつも
相手に対する尊敬がある。


攻撃するよな発言は
己の自信の無さの表れなんだと思う。

そんな誰かも
本当は臆病で、いつも何かに怯えているのかも知れない。

心が弱っている、
それに気がついてないのかも知れないなと思うの。


何かを否定したくなったとき、
攻撃したくなったとき、

もう一度考えてみて欲しい。

そして、
あなた自身、

あなたの仲間や
仕事や、
生き様や、

そんな物を丸ごと否定されたら
あなたは平気で居られるのかなって。


ねえ、優しい言葉で話そうよ。

一方的に言い放った言葉は
深く深く刺さるのよ。

あなたにその意図があろうとなかろうと。

ねえ、優しく話そ。

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