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人は在るものしか想像できない?

「人は在るものしかそう想像できない」

昔ね、
テキスタイルの先生に言われた言葉。

「例えば君が、今まで見たことないような色と柄で生地を作ったとしても、
その模様はこの世の何処かに必ず存在する。
昆虫の色だったり、花の模様だったり。
人は在るものしか想像できないんだよ。」


そうだなぁ、と思う。


もし、夢があって、
その夢を成し遂げた自分を
鮮明に想像できるなら、
その夢は夢では無くて
自分の歩く線の上の何処かに存在する事実と言うことになる。

 
スピリチュアルでも
パラレルワールドとかでもない、

むしろ、そゆモンなんだなと思う。

映画やアニメのファンタジーも
この世の何処かには
必ず存在すると言う。

その夢を
いつでも鮮明に想像できる様にするために
するのが学び、
いつまでも在るものにするためにするのが努力。

そんな感じなんやろな。

"願うだけで叶う"はちょと違う。

常にベクトルを向け続ける努力を怠れば、
鮮明に想像できなくなってくるよね。


そのうち、フワフワしだして
なんとなーく、
叶えばええな〜くらいになって、
そして、いつしか"昔、叶えたかったことリスト"に収納される。


やっぱりね、
そこにたどり着くためには
踏ん張るとこは踏ん張らないとあかんのよね。

それが、苦しみにしか感じられないのなら、それは、ほんとに成し遂げたいことでは無いんじゃないのかなって思う。

夢叶える時ってね、
物理的に苦しいことはあっても
心の何処かは熱いもんが沸ってる感じがする。


" 女のまたの力と書いて「努」
それにさらに" 力 "を足して
「努力」となる。 "

それくらいよ、それくらいのエネルギーを出せっちゅーことよ。

生ぬるいキラキラはいらんです。  


せやけど、
女のまたの力...男がするのは何ぞや?
"男の玉の力"と言うことにしたろ。

女はおまたに力入れて!
男はキャン玉に力入れて!

なっ!



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