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不登校の果てに

今年25歳になる娘は、中学生のころ不登校児だった。
もともとマイペースで、集団行動が苦手だった彼女は
比較的ゆるい小学校生活から、時間割も制服も
きちんとしなくてはいけない中学校生活に合わせるのが大変だったようだ。

おや?と思ったのはある夜、明日の時間割を揃える時のことだった。
何度も何度もカバンの中から教科書を出してはしまい
出してはしまい、かれこれ2時間以上やっているのだ。

「早く寝ないと明日起きられないよ」
と声をかけてもやめられない。
「起きられなくて学校行けなかったら、せっかく準備したのが無駄になるよ」
言えば言うほど、やめられない。
結局、次の日は起きられなくて休むことになった。

なんでも、カバンの中に教科書やノートがきちんと揃えて入っていないとだめなんだそうだ。
私にはまったく理解不能だったが、本人が納得するまでやめられない。
そんな彼女ルールが、その日を境にどんどんと増えていった。

ハンガーにかけてある洋服が取れない(ハンガーが動くのが嫌なんだそう)
トイレットペーパーの切り口が気になる(何ロールも使ってしまう)
お風呂で体を洗う順番が決まっている(間違えたらやり直し)
床板の線を踏まないように歩く(延々とたどり着かない))

こんなルールがどんどん増えて、時間がいくらあってもたりない。
24時間の中に生活が収まらないのだ。
普通の学校生活が送れるわけがないのである。

後に、強迫神経症という病気の一種だとわかるのだけど
これは本当にキツかった。
私もそうだが、本人が疲れ果ててしまうのだ。

理由はよくわからない(本人曰く)が
これは完全になくなるわけではなく、ストレスがたまってくると
新しいルールが増えてくるらしい。(今でも)
心療内科でお薬をもらったり、カウンセリングを受けたり
乗馬してみたり、猫を飼ったり、旅行に行ったり
高いサプリを飲んでみたり
いろんなことを試してみたが、劇的にうまくいったというものはない。

階段を1段ずつ上がって、時々2段下がって・・・みたいな
気づいたらジグザグに上向きになっていったという感じだ。

渦中にいた頃は、本当に地獄のような毎日だった。
取っ組み合いのケンカもしたし、延々とお互いに文句を言い続ける絶望的に分かり合えない夜もあった。この娘はこの先、社会生活なんて望めないのではないかと暗い淵を覗くような気分で過ごしていた。

それでも、試行錯誤しながらなんとか高校を卒業して
専門学校に行き、今は職について毎日ちゃんと出勤している。
想定外ではあったが、子どもも産んだ。

今は実家でシングルマザーとなったわけだが、
それでも、強迫神経症が一番ひどかった時期から比べると
断然に楽しい毎日だ。

彼女の子ども(私にとって孫だが)この男児は愛嬌があって面白い。
ところどころ、神経質な面もあって娘の気質を受け継いでいるなという部分もあるのだが、孫なのでおおらかな気持ちで面白がれる。

先日、この孫が
「僕ね、ばあばのことがだーい好き」という。

この時の気持ちを例えるならば
熟れた果実をギューッと絞って、極上の一滴を飲んだような
胸をかきむしってバッタリ倒れてしまうような
幸せな気持ちだったのだ。

あぁ、あの苦悩と絶望の苦しい時間はここにつながったんだな
生きてて良かったと心底思ったのである。

不登校の子を持つ親は、本当に苦しい。
自分を責めるし、子どもも心配ゆえに追い詰めてしまう。
もちろん、不幸な事件になる場合もあるだろう。うちだって紙一重だった。
それでも、その親子なりの出口はあるのだと思う。

いや、まだ出口ではないな
出口に向かう途中の階段の踊り場のようなもの。
それでも、今はそれなりに幸せである。


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