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不登校児は透明人間

そう、ずっと思っていた。
娘が学校に行かなかった中学校時代のことだ。

娘は中1の2学期の途中から学校に行かなくなってしまった。
子どもは学校に行っていないけど、親の私はPTA役員を引き受けていたので
委員会活動のために学校に通う、
という親子逆転学校生活を送っていた。

お母さんたちが集まれば、学校行事のあれこれの話になる。
「体育祭で○○君が応援団長なんだって」
「このあいだの地区大会でバレー部が優勝したんだって」
「○○ちゃんはテストで1番取ったらしいよ」
うちの不登校児のことはみんな知っていたので、別段気まずい思いもせず
その時は学校のあれこれが知れて良かったな、ぐらいに思っていた。

そうやって過ごした中3の秋の文化祭のこと。
子どもたちが演劇やダンスパフォーマンスで会場を沸かせた後、
校長先生が総評を述べる時にこんなことを言ってくれた。

「今日、この舞台で力を出し切って表現した君たちは素晴らしい。
そして、ここに来れなかった子たちも同じように素晴らしい存在だと
僕は思います」

この一言を聞いて、私は馬鹿みたいに号泣してしまった。
あぁ、この校長先生にはうちの娘が見えている、と。

この日まで、私は自分がこんなに心細く寂しい気持ちでいたことに
気づかなかった。
不登校のことを誰かに話しながら泣いたこともなかったし、
学校で活躍しているお子さんを持つお母さんたちを妬んだこともなかった(と思う。たぶん)

でも、お母さんたちが話す学校の話の中にうちの娘は出てこない。
(あたりまえ)
なんとなく、不登校児って透明人間みたいだな、と思っていたのである。
いるけど見えない存在。
でも校長先生には見えていたのだ。
本当にありがたくって涙が出てしまった。
(あまりに感激して号泣したその顔のまま、校長先生のもとに走っていって
「ありがとうございます!」を連呼したような気がする。 恥)

その時の校長先生が、いま教育者として新しいステージで活躍されている。
ネットでたまたま知ったのだが、あの先生なら納得!と
ひとり大きくうなずいてしまった。

K先生、あの時の不登校児は子どもも産んで、毎日頑張って仕事に行っていますよ。先生の温かい眼差しにどれだけ私が救われたことか。
ありがとうございました。







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