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【独占取材】ジョンマンって一体何者? ラブパク誕生秘話も初激白!

こんにちは、LOVEPAKU(ラブパク) 中の人S子です。
突然ですが、前々からS子のところに”ある問い合わせ”が殺到しているのです。
それは、「ジョンマンって一体何者??」という質問。
ジョンマンとは、ラブパク生みの親であり、S子の雇用主でもあるジョン事務所のCEO。
今までもこの公式note内で、ジョンマンの自己紹介記事はあったのですが、イマイチ信憑性がないのか、逆に謎が深まっているのか、「ジョンマンって本当にいるの?」「どうやって名品ラブパクを生み出したの?」など、実にたくさんのお声をいただいています。
そこで今回は、みなさんが気になっているジョンマンに、S子が直接いろいろな質問をぶつけてみたいと思います。
謎のベールに包まれたジョンマンを丸裸にしていきましょう!

飲食業時代

S子:
お疲れ様です。今日は色々お話聞かせてください!

ジョンマン:
は〜い!まずどこから話そうか。

S子:
そうですね。ではまず、ラブパクを作る前のことを聞かせてください。
何をされていたんですか?

ジョンマン:
大学出てすぐに、『NIGIRO』っていうイタリアンの屋台を始めたんだ。
当時高樹町にあったJ-WAVEの前で始めて、青山界隈を警察屋さん、保健所屋さん、ヤーさんと鬼ごっこしながら、あちこち転々として4年間続けたんだ。

S子:
初っ端から、なんだかパンチの強いエピソードですね(笑)

ジョンマン:
そう?
で、その後は貯めたお金で、渋谷2丁目に怪しい人が溜まるラウンジを開店したんだ。
でも怪しい人たちがいろいろ問題を起こして、すぐ閉店したよ。

S子:
なんとなく怖いので、深掘りしないでおきますね…
ちなみに、怪しい人ってどんな感じの人が集まってたんですか?

ジョンマン:
アーティスト連中の溜まり場になってたな〜。
そいつらときたら、カネ全く持ってなくてさ。
まぁ今では、世界的なグラフティアーティストになった奴や、映画監督になった奴もいるから、当時のツケを払って欲しいと思ってるよ。

S子:
本当にいろんな方々が集まってたんですね。
では、その後は何をされていたんですか?

ジョンマン:
辻堂海岸で友達が始めたビーチラウンジ『SPUTNIK』に料理担当として参加したんだ。
4年間、夏の3〜4ヶ月の間だけ働く季節労働者だったんだよね〜。
その後、SPUTNIK解散の打上げをかねて、『日本一周パーティーツアーTHE BUS』っていうのをやったんだ。

S子:
なんですか、それ?

ジョンマン:
いろんな企業からお金を騙し取って(笑)、ロンドンバスを改造したんだ。
そのバスで、3ヶ月間あっちこっちをイベントをしながら周ったんだよ。

S 子:
それってどんな感じのイベントをしていたんですか?

ジョンマン:
例えば、東京はお台場で1万人くらい集めてやったよ。
あまりに盛り上がりすぎて、フジテレビに「暴走する若者たち」みたいな感じで取り上げられたな〜

S子:
すごいですね(笑)
でも3ヶ月も旅すると、さすがに疲れますよね。

ジョンマン:
そうなんだよ。
案の定、燃え尽き症候群になっちゃって、インドゴア病院に3ヶ月入院したよ。

S子:
え、なんでここでインド?
なにが本当で、どこから嘘なのか、わからなくなってきました…

ジョンマン:
まぁ、自分でもよく覚えてないんだけど(笑)
で、その間に悟りを開き、天からの啓示でたこ焼きの修行を始めたんだ。
修行の末、絶品のたこ焼きを作れるようになったから、たこ焼きをメインとしたBAR『タコバル』を始めることにしたんだ。

S子:
急にたこ焼きが出てきた…
もう何が何だか…

『タコバル』時代のジョンマンのイラスト

ラブパク誕生秘話

ジョンマン:
で、このたこ焼きBAR『タコバル』では、たこ焼きだけじゃなくいろんなおつまみも出してたんだ。
その中でも特にお客様の評判が良かった料理が、パクチーもやしだったんだよ。

S子:
あれ、まさか…

ジョンマン:
そう!このパクチーもやしに使っていたタレが、ラブパクの原点なんだよね。
お客様から「このタレ、是非売って欲しい」って言われて、店頭販売を始めて、ネット販売も始めて、あっという間に会社まで設立しちゃった。

S子:
そうだったんですね!
お客様からの「売って欲しい」っていう後押しがなかったら、ラブパクはこの世に産まれてなかったんですね。

ジョンマン:
そうだね。
会社を設立してからは『タコバル』は人に任せて、自分はこっちに専念することにして、今に至るっていう感じだね。

初代ラブパク【LOVEパクチーSAUCE】(通称オリジナル)

▲一度聞いたら耳から離れない【LOVEパクチーの唄】
ラブパクファンは必聴です!

誕生からの変遷

S子:
ラブパクって、最初から今と同じ商品だったんですか?

ジョンマン:
いや、違うよ。
最初は、タイ産の調味料をミックスして作っていて、【LOVEパクチーSAUCE】(通称オリジナル)っていう名前だったんだ。
それを国産の材料で一から作りたいと思って、そこで新たにできたのが【LOVEパクチーSAUCEナチュラル】(通称ナチュラル)
その後、最初のオリジナルの販売をやめて、ナチュラルを【LOVEPAKU】にブランドチェンジして、今のラブパクになったんだ。

S子:
そうだったんですね〜
最初のオリジナルもちょっと食べてみたかったです^ ^

ジョンマン:
商品にしよう!と決めて10秒で考えた名前が【LOVEパクチーSAUCE】だったんだ。
その時『タコバル』にデザイナーの後輩が遊びにきてたから、パッケージデザインを頼んだんだよね。
出来上がったデザインを見てみたら、中に俺の顔が描かれてたんだ。

S子:
まさかそれが、キャラクターとしてのジョンマン誕生の瞬間!?

ジョンマン:
そう!
でもその時は【ジョンマン】っていう名前じゃなかったんだ。

S子:
なんだったんですか?

ジョンマン:
【パクチーマン】だったんだよ。
酔った勢いで「とにかくパクチー好きの」という設定までして、その後重い宿命を背負って生きることになったんだ…

S子:
実はジョンマン、パクチー苦手ですもんね(笑)
いつパクチーマンからジョンマンに改名したんですか?

ジョンマン:
【LOVEPAKU】にブランドチェンジした時だね。
やっと素に自分に近いジョンマンを名乗れるようになって、ホッとしたよ。

【ジョンマン】の前身【パクチーマン】のイラスト
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▲パクチーマン時代のジョンマンが表参道を練り歩いている動画。なかなかの衝撃映像です(笑)

ラブパクのこだわり

S子:
なんとなくジョンマンやラブパクの歩みがわかってきました。
では次に、今のラブパクのこだわりを教えてください。

ジョンマン:
こだわりといえば、やっぱり材料かな。
できるだけ国産の原材料を使うようにしているんだ。
こだわりの生の野菜やハーブを使って、手作業でしかできない工程でソースを作ることで、あの独特の食感や香りを出しているんだ。

S子:
ちょっと繊維感の残っているソースってあまりないですもんね。
香りもラブパクの特徴ですし、そのこだわりが多くのファンを魅了しているんだと思います。

ジョンマン:
飲食店の経営しかやったことのない素人が、自分で開発したラブパクを商品として世に送り出すのは簡単なことじゃなかったよ。
ラブパクを製造してくれる工場を探すのも、大変だったな…

S子:
どんな点が大変だったんですか?

ジョンマン:
やっぱり製造するにあたっての最低ロットがネックだったね。
「1トンから」っていう工場ばかりで、お願いしても断られてばかりだったよ。
あちこち探して、やっと「100kgからでも作ります」って言ってくれたのが、今お世話になっている『味泉(あじせん)』さんなんだ。

S子:
そうだったんですね。本当に『味泉』さんには感謝ですね!

▼ラブパク原材料、こちらでチラッとご紹介してます▼

ジョンマンとラブパクの展望

S子:
今日は色々聞かせていただいてありがとうございました。
私も勉強になりました!
最後に、今後の展望とか野望とか、あれば教えてください。

ジョンマン:
ジョンマンを襲名したことなので、ヒーローとして世界中の困っている人たちにラブパクを届けて、世界平和を実現させることかな!

S子:
(笑)
世界平和を目指して、頑張っていきましょ〜!

ラブパクオリジナルPAKE®︎に世界の平和を守るジョンマンの姿が!

もっとジョンマンについて知りたい方は、こちらをどうぞ↓↓



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