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さて、webのほうからどうしてもジョンマンの秘密の続きが知りたくて、指という指を複雑骨折してまでスマホのリンクをタップしてきたみなさん。

そう、僕のジョンマンというニックネームの秘密

「ジョン万次郎の末裔だから」

せっかくこれを信じて激痛に身悶えながらもここまで来ていただいたのに申し訳ございません。

いえいえ、嘘ではないんですよ、全くの嘘では。

とは言え最近禁煙と断酒のダブルチャレンジのせいでなんだか意識が朦朧としてきて、自分でも何を言っているのか分からなくなる時があるんですよね。

もう煙草は2時間も吸ってないし、酒にいたっては昨晩より一滴も口にしていないのです。

そんなストイックな僕ですが、とりあえずビール的な感じでとりあえずジョン万次郎との関係性からお話ししましょう。

まず「友達以上恋人未満」的な言い方で言えば

「他人以上親戚未満」

えっ?

ですよね、これじゃあほとんどの人が含まれてしまいますよね、、、

うーん、それじゃあ

「18以上60未満」

さーせん!これは僕の守備範囲の話でした。守備範囲の広さは元阪神タイガースの新庄にも負けないと昔から自負しております、へへ。と、どうでもいい話は置いておいて、単刀直入に言いますと

僕の母方のお婆ちゃんのお姉さんがジョン万次郎の息子と結婚している。

んっ、と、ということは、結婚はしているけどもジョン万次郎の血痕は僕には微塵も無いということになりますね。

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で、でもですよ。ジョン万次郎の中浜家と僕の母の石館(いしだて)家は親戚なんですよ。30年くらい前にバカのツレにそれを話したところ、次の日からそいつが勝手に僕のことを「ジョン」と呼び出して、周りのバカなツレたちも吊られて呼び始めて、バカな僕も「どーも、ジョンです」なんて、初対面のバカっぽい人に自己紹介し始めて、それを横で聞いていたバカ風な赤の他人が「あんな日本人丸出しな顔してジョンだって、プププ」とさらに周りのバカチックな人に話、バカクラスターにより1年と経たず僕のあだ名は「ジョン」と、犬か英語の教科書に出てくるアメリカ人のようになってしまいましたとさ。

といった感じで、ニックネームとして定着してしまった「ジョン」ですが、これには利点もあって、まず覚えてもらいやすい。そして犬のように親しみを持って可愛がってもらえる。顔とのギャップが素敵、とご婦人方に騒がれる。

と、最後のはあくまで僕の想像ではありますが、このようにいい事もあるのです。そして30年の時が経ち、現在僕が営んでいるラブパクビジネス、巷で言われるところのパクネスにおいてキャラクターとして作られてボトルにも描かれている顔(あれ僕のイラストで、ラブパクのボトルを見た事のあるほぼ全ての人が、僕に会った瞬間、あっ!「小林製薬」とは言わず「ラブパクのボトルの人ですよね?!」とか言うほどとても似ているのです。それなら折角のキャラクターであることだし、僕の元来のヒーロー気質も加わって、ジョンよりも由来にも近い”ジョンマン”と、少なくともパクネス上では名乗ろうと言うことになったのです。

まあ血の話で言えば、片岡愛之助と藤原紀香夫妻くらい(情事通J)薄い繋がりなのですが、実際のところ万次郎さんと僕ジョンマンとはいろいろと似ているところがあるんです。(自分調べ)

例えば、僕は中学生の頃の愛読書沢木耕太郎の深夜特急の影響で、30年以上も昔の高校2年の夏休みに、バイトで貯めた20万円とローマ行き片道格安航空券をバックパックに突っ込んでヨーロッパ一周を企てたのです。

そりゃ本家万次郎さんに比べれば大したことじゃないですよ。流石に木の手漕ぎボートでとりあえず着の身着のまま大海に飛び出す勇気はありません。

しかし、当時日本語すら怪しい偏差値40のピュアジャパニーズなセブンティーンボーイの僕が、なんの当てもなくツアーでは無い一人旅に出かけるのは結構無謀なことでした。

そして、悪運の強さと言う点でも共通するところがあったようで、そんな無謀な旅にも関わらずいろいろな人との出会いによって約1ヶ月半、最終的には東南アジアに流れつつも放浪の旅を達成できたのです。

そして帰りついた沖縄で鹿児島県に拘束され1年半に渡る尋問の末、東京都に引き渡されタイ国王来日のタイミングもあり、都庁の要職に就きましたとさ。

と、これは万次郎さんの方の話でして。僕はと言えば、旅の魅力にどっぷりと魅せられてしまい、その後バカ田大学に進学した後も4年間のほとんどをバイトしてお金を貯めては旅へ、お金が無くなれば帰国し、またバイトして旅へと、ボヘミアンな人生の第一形成期を着実に歩んでいったのです。

そんなジョンマンですので、大学にもロクに行くことはなく、皆さんが就職活動なるものに勤しんでいる時も入浴活動やら中毒活動やらと他のことに忙しく気がつけば卒業間近。というわけで、普通に会社員になることが困難になった僕は、ちょっと顔見知りな只のNOVAティーチャーのイタリア人に声をかけ「屋台のピザ屋をやろう!」と天命を受けたが如く完全なる思いつきで食の世界へ第一歩を踏み出したのです。結局ピザ屋はやらず、しばらくはドミノピザ恵比寿店でデリバリーのバイトをしながらまたもや旅に出てはバイトを繰り返すんですけど、、、。

まあ、ジョンマンの人生の続きはまたnote内の「ジョンマンのぐだぐだ話」で書いていこうと思ってますが、本家ジョン万次郎さんに負けず劣らずな波乱万丈な人生が待ち受けているとは、この時のジョンマンには知る由もなかったのである。

うおーい!

ジョンマンってなんなの?ヒーローかなにか?それとも、、、みたいに興味を抱きつつ読み進めてきたのになんの話やねん。アホ、亜北、北アジア、そんのものねーんだよ!

とお怒りの収まらない皆さん。

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