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金沢で育った私が見てきた観光ビジネスで変化する街

2015年3月14日、東京駅と石川県に位置する金沢駅を結ぶ「北陸新幹線」が開通し、東京と北陸の都市「金沢」を約2時間30分で結ぶこととになりました。
これをきっかけに今まで以上に金沢には観光客が訪れるようになり、街はどんどん変化していきました。

金沢で生まれ、高校1年で海外に単身留学をするまでほとんどの時間を金沢で過ごした「金沢地元民の私」の目線から北陸新幹線開通によって生まれた町の変化、良いところ、悪いところを含めて書いていきたいと思います。

ぜひ最後まで読んでもらえれば幸いです。

(ちなみに写真は金沢の名物海鮮丼を友達と食べに行った時の写真です!)

金沢の文化教育

私は金沢で生まれ育ちましたが、今でも印象に残っている小学校の頃の授業が地元金沢を知るための総合学習でした。
今も続いていると思いますが私が行っていた小学校では総合学習として金沢の伝統工芸品について自分で調べて発表する時間や、21世紀美術館などの名所への訪問、能などの舞台観劇などがありました。

実際に私がやったのはこんな感じです
・金箔貼り体験
・和菓子作り
・九谷焼についての歴史研究
・能楽堂への訪問

また家庭科の授業では金沢の郷土料理「じぶに」をみんなで作ったりもしました。
英語の授業でさえ、外国人に兼六園への道案内をしなさいなどの金沢ならではのコンテンツが盛り込まれていました。

今でも小学校のメンバーと会って印象に残っている出来事を話すと高確率でこの総合学習の話が出てきます。

「金沢」という地元の街を自分で調べて、体験して、話を聞いて学ぶことで地元への愛着や誇りを感じることができました。

東京に出てきて「金沢地元っていいよね」「金沢って何が有名なの?」と聞かれた時に、自信を持って説明することのできることはこの金沢で受けてきた総合学習の賜物であると感じています。

こうした地元学習がさらに広まっていき、多くの人が自分の地元を「何もない田舎」と表現するのではなく、良さを発信できるようになるといいなと思います。

北陸新幹線で変化していく街並み

北陸新幹線が開通したのは2015年です。
当時私は、中学生で北陸新幹線によって街の姿がどんどんと変化していくのを見てきました。

特に金沢駅周辺の開発は凄まじく、もはや私は小さい頃に知ってる金沢駅の姿とは全く違う姿に急速に変化していきました。

例えば、金沢駅の中にある「あんと」というお土産街、あれは新幹線開通に向けて作られたものです。

開通から数年すると「あんと」のすぐそばには金沢の名物である金沢おでんを楽しめるレストランなどが連なるレストラン街が作られるようになりました。

また、「車がなければ観光地を回りにくい」という地元の人達の声が聞こえたのか、観光地を回る専用のバスが作られ、またレンタル自転車の設備も配備、観光しやすい街へと変化していきました。

また、北陸新幹線開通をきっかけに「ひゃくまんさん」というキャラクターも誕生。だるまのようなフォルムをした「ひゃくまんさん」は横幅が大きすぎて北陸新幹線に乗車できないという笑い話もできました(笑)

私は高校時代アメリカに留学していて、1年間地元に戻らずにいたので帰国した時の変化には正直びっくりしました。

良くも悪くもですが、地元のなつかしさは金沢駅から綺麗に消えてしまっていました。それぐらい、新しいレストランやお店が立ち並び、観光用の新しいお土産が作られ、宣伝されているということです。

地元の人が知らないものが観光客に人気!?

私には滋賀に住む親戚がいるのですが、ある日その親戚が金沢を訪れる機会がありました。

中々金沢に来る機会のない親戚だったので、私達はできる限りのおもてなしをしようと親戚に「金沢で何をしたい?食べたいものとこある?」と聞きました。

その時返ってきた答えは

「金沢おでんが食べたい」

でした。私達の頭の中は

「???」

となりました。

地元に住む私達は「金沢おでん」なんて言葉を聞いたことがなかったからです。その当時、様々なテレビで「観光地、金沢」を取り上げられていましたが、その中には「地元の人達も知らない金沢」が取り上げられていました。

そうした内容を見ていた親戚が

「地元民の私達よりも金沢のことを知っている」

という不思議な現象が起きていました。

そんな現象に、地元民の私達は

「私達の知らない金沢を掘り起こしてくれた」

という気持ちがある一方

「地元に根付いた」「地元民に愛される」

と宣伝されるもの達への違和感があり、その感情は何とも言い難いものでした。

これが観光で街が変化していくことなのかと感じた、不思議な体験でした。

「近江町市場」が地元のものでなくなる瞬間

ここまでは観光都市となって変化していったある意味ポジティブな側面を書いていきましたがここからは少しネガティブな側面について書いていこうかなと思います。

みなさん「近江町市場」をご存じでしょうか?
おそらくインターネットで「金沢 観光」で調べると「兼六園」と並んでトップで紹介される金沢の観光地です。

昔ながらの魚市場で美味しい海鮮丼などを楽しめる場所です。

この場所は地元の人々にとってある意味大切な場所でした。小さな頃から私もよく通っていましたし、私のおばあちゃんの行きつけのお魚屋さんもありました。

しかし、「金沢の観光地」として取り上げられてからは人が押し寄せていったこともあり、地元の人が寄り付かなくなるという現象が起きました。

「人が多いし」「食べ歩きのための場所になっているし」

地元の人の台所と呼ばれていた「近江町市場」ではなく、観光地としての「近江町市場」に変化していきました。

「近江町市場」も北陸新幹線開通前は廃れていくのではないかと叫ばれていたので、この変化決してネガティブ100%の話ではないです。

ただ、地元に住んでいた私からすればこの変化がある意味で「住む人の憩いの場所」を奪ってしまった現実を見てしまったということです。

終わりに


いかがだったでしょうか?

よくこういう街の変化の話を地元の友達や家族とするのですが、共有する機会があまりなかったので、少しでも皆さんが記事を読んで「へー」「おもしろい」と思っていただけたら幸いです。

私も地元金沢が大好きなので、機会があればぜひ旅行などで金沢を訪れてみてください!

Nanami








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