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2020年折り返しにてnoteを始めた訳は祖母の死です。

こんにちは。

今日から自分の人生の記録をしていきたくて、2020年残り半年を迎えた今日noteをスタートしてみました。

人生の記録をしていきたいと思ったきっかけは、ここ1年で自分の人生が大きく変わる出来事が数多くあったからです。実はまだその大きな出来事は継続していて、なかなか出口の見えない戦いになりそうです。

話はかわり、8月末に大好きな祖母が亡くなりました。18の頃から県外に出ていた私は、今までゆっくり祖母と関わる時間を持ててなかったのですが、その出来事がきっかけで実家に帰り、祖母が無くなるまでの約1年間ずっと一緒に過ごすことができました。

祖母は、60歳の時(定年してすぐ)癌を患いました。治療をして、再発をしての繰り返しで20年が過ぎ、今年の7月に「お腹が痛い」との訴えで病院に言ったことがきっかけで検査し、余命半年を宣告されました。

余命半年を宣告されてからは、祖母はガタガタと容体が悪化して、ご飯の食べる量も減っていきました。

約20年間辛い癌治療を続けていた祖母は、延命の為の治療を望みませんでした。その代わり、とにかく楽に逝きたい…。と話していました。

家族は少しでも長生きして欲しい、でも本人の意思を尊重したい。そんな葛藤の中でた結論は、「在宅で看取る」でした。

毎日、祖母が食べられそうな物を作っては差し入れしていましたが、余命宣告されて1ヶ月もしないうちに祖母は何も口にすることができなくなり、500mlの点滴(250cal程度)のみで生きている状態になりました。

筋力は衰えて、ベットから動けない。だけど、祖母は最後まで自分でトイレに行きたがっていました。車椅子を使ってでも、ポータブルトイレは使いたくない様子で、ある時は車椅子に乗るのに20分、トイレまでの距離(普通に歩けば3秒くらいの距離)を40分かけて移動していました。数回は漏れてしまったそうですが、それでも家族に下の世話をして欲しくないと言う祖母の強い思いがあったのだと思います。

まだ、祖母が少し会話ができる状態の頃、私はアロマでハンドマッサージ、フットバス、体拭きをしてあげました。

祖母は山奥の田舎で生まれ育ったので、「木の匂いがええね」と言っていました。お風呂に入れない、シャワーも浴びれない状態は、認知機能がはっきりしている祖母にとって、とても辛かったと思います。

その後、祖母は氷、水を筆談でするようになりました。喉が焼けるように熱くなるのはリンパ癌のせいだったと後から知りました。この頃に、繋いだ手を強く握りかえしてくれた事がありました。きっと、頑張るんだよ、おばあちゃんも頑張ってるから!と言うサインだったんだと思います。

亡くなる前最後の5日間は、担当医と訪問看護師さんとの話し合いで祖母の入院が決まりました。コロナ禍にある為、1度入院したら最後。面会も1人と限られている為、孫の私は会うことが出来ないと思い、生きている祖母にありがとうを沢山伝えました。

入院して5日目の金曜日の夜、祖母は血圧ががくっと下がり、永眠しました。

祖母の葬式には、家族で書いた手紙と、孫達が折った鶴、生前に飼っていた亡き犬の写真を入れました。あと、祖母がやっていたクロスワードも足元に入っていました。祖母は沢山の花に囲まれて綺麗でした。あれ、今動いたよね?おばあちゃん?と話しかけると目を開けて笑いそうなくらい綺麗でした。

私は、祖母に心配ばかりかけていたので、絶対頑張るよ、幸せになるからみててねと泣きながら伝えました。

長かった介護生活ではありませんでしたが、余命半年と言われた中で、実際は余命1ヶ月だとは思わず、祖母との早すぎる別れに頭がついていかなくて、放心状態でした。つい先週、初七日が終わり、祖母のいない世界の平常な生活に戻りつつあります。祖母の遺影の周りに華やかに飾られていた沢山の花も、暑さで枯れてしまい、今日は、菊の花が両脇に少しだけ咲いていました。

私は、祖母の死を通して、人間の命の儚さを実感しました。

今いる人と一緒に過ごせる時間は有限で、自分の命も有限で。いつ、別れの時が来るかわからない…そんな事をちゃんとわかって生きている人がどれくらいいるんだろうかと思います。

自分のいない世界で、いつも通りの時間が流れていく…生前の自分の持ち物も、一緒にあの世へは持っていけないと思うと、生きているうちに本当に必要な物ってないんじゃないかな?と思いました。

自分の脳みそだけ最後まで一緒だから、「知識と経験と思い出が大事だな〜」なんて思いながら、今日はせっせと断捨離をしました。持ち物に関してはお気に入りが一つづつあればいいし、経済を回す為に生み出される流行に踊らされる事なく、自分軸で生きればいいんだと言う事を学びました。どんな本を読むより、実体験は心に響きます。

来月あたり、普通に「来たかね〜」って祖母が玄関の掃除をしている気がしますが、そんなことはないので、私は私の人生を頑張って生きます。




追記

祖母の日記に、「2020年 孫とひ孫は幸せにならなければならない」と書いてありました。1年前、死にたくて、0歳の娘と高層マンションから飛び降りかけたことがありました。実家に娘と帰省し、約1年間、傷ついた心を癒してくれた祖母に心から感謝しています。また、娘にみかんむいでね。また、ストーブで焼き芋焼いてね。いつか一緒に散歩しようね。





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